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2012年10月19日 (金)

天地真理67 ひとりじゃないの (2)声の調子

当時天地真理さんが「ひとりじゃないの」をテレビで歌う姿を、
今では考えられないほど頻繁に見かけた
が、  
私はそれを見て、
痛々しい気持ちを持ったことを思い出す。
明らかに歌い過ぎと過労でガラガラになった声を、
それでもバックオケの音に負けまいとはりあげ、
しかも自分の声の不調自体さえも微笑み飛ばしてしまうかのような、
曇りのない笑顔で歌い切っていた、
今から振り返ると、そんな印象を持つ。

YouTubeに当時の記録がいくつか残されている

シングルレコードでは最初こそトランペットが鳴るものの、
エレクトリックキーボード、ギター、ストリングスなどが、
歌の微妙な味わいを引き立てるよう、デリケートな伴奏をしているのだが、
テレビで見た当時のステージでは、
これ見よがしでひっきりなしの騒々しいドラムと威勢の良い金管群が、
似つかわしくない高速テンポで、これでもかとあおっているように思えた。
それは、この曲に対しても、この歌手に対しても、無残としか言いようのない仕打ちをしているように見えた。
天地真理さんは歌が下手だ、音痴だ、というイメージが一部にできたのも、この頃のせいだと思う。
1972年の紅白歌合戦での映像を見ても、その声の不調は痛々しいほどだ。
ある意味これは、流行歌手の勲章のようなものでもあり、
他の同業歌手は、我々が思うほど気の毒には思わなかったのではないかと推察されもするが。

その映像を今振り返ってみると、
むしろ声が不調であることを伴っているから一層、
そのことを一切悪びれることなく、臆することもなく、恥ずかしがることもなく、
不思議と、実に堂々と歌いきっているように感じられる。
紅白歌合戦という場で、とにかく精一杯やることは当たり前なのだが、
今になってみると、この自信に満ちあふれたかのような、堂々たるふるまいはどこから来たのか、
どうして出せるものなのか、という疑問まで湧いてくる。

私はその頃、いくら音程がずれても、声が出なくても、
不思議とこの歌手のことを歌が下手だと思ったことはなかった。
ピアノ演奏を聴くときにも時々そのような経験があるのだが、
ミスがなく、卒がなくとも、また思い入れたっぷりに弾いているようでも、
何故か感動がなく、うまさ
感じないこともあれば、
ミスがあっても、調子が悪そうでも、
どこか惹きつけられたり、この人は本当はうまいんだなと感じることがある。
もちろんアマチュアでもプロでも、ミスや不調がないに越したことはないのだが、
うまい人、音楽心のある人の調子の悪い時の演奏と、
もともと下手な人の演奏とは明らかに違うと感じられるのだ。
それはそのひとがうまいということを前もって知っていることが大きいこともあるだろうが、
初めて聴く人の場合でも、ミスが多くとも、音楽の端々にうまさの一端を感じることができることも確かにある。
それは名演奏家と呼ばれるプロの演奏でも、素人の発表会でも同じだ。
私は当時若輩ながら、
この人はどこか無理をしているように見え、
やわらかいいい声をしているのだから、
そこまで声を張り上げなくてもいいのにと思ったりしたものだ。

ただ、当時実力派とされていた歌手は、
概ねかなりの下済み経験を積んだ上でのヒット、という手順を踏んでいることと比較して、
いくら音楽学校でレッスンしていたといっても、プロとしての実践経験がさほど多くないまま
とんでもなくブレークしてしまった点は認めざるを得ないと思う。
声自体のタフさもそうだが、喉や体調の管理、本番へ向けての準備の仕方、
自分の声の特長を理解したある種のこだわりなどは、
まだ未熟であったことは想像に難くない。
そんな準備など到底できるようなものではない酷使のされ方であったことを
第一に認めるとしても、
どんな状況でも、どんな伴奏でも、歌を自分の世界へ引き込み、
自分の特長にこだわりきって、高レベルのパーフォーマンスを示せる、
「器の大きな歌手」になるまでには、まだ至っていなかったかもしれない。

今振り返って、YouTubeにあるテレビ出演での歌唱と、
同じくYouTubeに時々現れる1974~1976年代のライブ録音や
2つのライブアルバムを聴いたりすると、
天地真理さんは、テレビでの1曲のみの歌唱は、時に不安定になって実力を出し切れないことが他にもあり、
一方、スタジオ録音はもとより、同じテレビでも数曲を歌う特集番組やライブステージなど、
状況に慣れて歌に集中できる環境では、すばらしい実力を発揮していたような印象を抱く。
テレビで歌ったこの歌、ということで言えば、
1974年に小柳ルミ子さんと出演したNHKの「ビッグショー」での歌唱が出色である。
バックのバンド演奏は決して好ましい伴奏ではないが、
比較的良い状態の声に乗って、この歌本来の味わいを聴くことができる。


  この1974年10月13日放送の「ビッグショー」では、自身のヒット曲の多くを歌っているが、
  YouTubeで聴いた限り、どれも素晴らしい出来で、
  復刻をお願いしたい番組の一つである。
  
結局のところ、客観的に見れば、どんな場面でも、単発でも即興でも、
常に器用にこなす人、というよりは、
きちんと準備し、リハーサルをこなせば、素晴らしい実力を発揮する、
少々不器用だが奥深い実力を持った歌手、というところではなかったか。


  言うまでもないが、きちんと準備すればだれでもいい作品を残せる、と言えるほど
  芸術の世界は甘くないだろう。
  もちろん常に実力を十分に発揮できることは、プロとして望ましい重要な資質だが、
  それがその芸術の質につながるかと言ったら、それは別問題だろう。
  芸能としてはともかく、芸術として捉えた場合、
  到達したものの偉大さは、たとえそれが一瞬であっても、1回限りであっても、
  その到達したものの質で測られるべきであって、
  その平均値であったり、平凡なものの安定した繰り返しではないはずだ。

少々脱線してしまったが、この歌で天地真理さんは、
第3回日本歌謡大賞放送音楽賞第14回日本レコード大賞大衆賞をとり、
紅白歌合戦に初出場した。
そのような一見華々しい成果もさることながら、
当時はそんなことは考えもしなかったが、
歳を重ねてから「プレミアムボックス」を手に入れて改めて聴いて感じるこの歌の価値は、
もっと大きかったのではないかと、今は考えさせられる。
そんなことについて、次は触れてみたい。

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天地真理」カテゴリの記事

コメント

真さん こんにちは
今回のテーマも天地真理という歌手を考える上で興味深いものですね。

「きちんと準備し、リハーサルをこなせば、素晴らしい実力を発揮する、少々不器用だが奥深い実力を持った歌手」という表現はとても的を射ていると思います。
たしかに、天地真理さんはいつでもどこでもどんな歌でも器用に歌える人ではなかったと思います。それをもってプロとして不十分と考える人もいます。しかし、「到達したものの偉大さは、たとえそれが一瞬であっても、1回限りであっても、その到達したものの質で測られるべきであって、その平均値であったり、平凡なものの安定した繰り返しではないはずだ」と私も思います。
条件が整った時の彼女のうたの素晴らしさ、私はそれを愛してやみません。

ただ彼女は(コンサートではなく)テレビで歌うときは完成度の高いうたを歌うというより、人々が彼女に求めているもの・・・〈よろこび〉や〈幸せ〉を、うたや表情、体の動きを含んだパフォーマンス全体で一所懸命届けようとしていたのではないでしょうか。たとえガラガラ声でも「そのことを一切悪びれることなく、臆することもなく、恥ずかしがることもなく、不思議と、実に堂々と歌いきっているように感じられる」のはそのためではないでしょうか。
私は最近そんなふうに考えています。

 「天地真理さんは歌が下手だ、音痴だ、というイメージが一部にできた」のは、「ひとりじゃないの」を作詞した小谷 夏、すなわち、「時間ですよ」を作った男 久世光彦氏が大きく関わっていると言わざるを得ません。

 久世氏一人でプロデュース、演出を行うようになった「時間ですよ」第3シリーズは、73年2月から始まり、人情劇を基本にしつつ、そのストーリーに関係なく、ギャグ、コント、風呂場シーン、新曲披露などが散りばめられたお茶の間番組です。なお、私の記憶は、このシリーズから残っています。

 久世氏は、素人が見せる予測不可能な演技から笑いを誘うことを番組に取り入れるため、2万人の中から浅田美代子を起用したそうです。全くの素人の、どこにでもいそうな少女の浅田美代子は、自他ともに認める音痴です。

 当時、TVは一家に一台、一家団欒で見ており、また、ビデオもないので、挿入歌などは、一瞬で流れていきます。「時間ですよ」の視聴率は高く、基本的に大人の番組ですので、多くの大人たちは、天地真理さんを浅田美代子と同類として見てしまったか、記憶の中で混同してしまったか、ではないでしょうか。

 浅田美代子は、久世氏により発掘され、元来音痴なのに、小谷夏は、詩を提供し続け、歌手として育てていきました。歌の才能がない普通の女の子でも、突然アイドル歌手になれる時代を作ったという点で、時代を象徴する歌手だったと言えると思います。

 結果として、前シリーズで、真理さんが持っていた人に癒しを与える部分が、浅田美代子に取って代わられた状況になったようにも思われます。さすがに、NHKは、大ヒットした「赤い風船」を紅白に出しませんでした。一方、天地真理さんは、「恋する夏の日」で、元気溌剌のイメージを確立しましたが、73年紅白については、演出、衣装、テンポが速いなど、最悪です。

 「赤い風船」は、安井かずみ、筒美京平コンビの名曲で、「時間ですよ」では、もともと天地真理さんの新曲だったのではと感じます。次のYTを見ると、さり気なく、自然体で歌う天地真理さんの歌のうまさは、明らかにプロの歌手です。

--- 「時間ですよの天地真理ちゃん1973-1」の3:30~5:25、11:50~end に「赤い風船」あり ---
http://www.youtube.com/watch?v=QYfHVkBklDA&feature=relmfu

ひこうき雲さん

コメントありがとうございます。
テレビでは”人々が彼女に求めているもの”を”一所懸命届けようとしていた”というご指摘、
なるほどと思います。
漠然とした印象ですが、この方はいろいろな企画、要求に、非常に素直に、
真摯に従おうとするところが感じられます。
それがこの方の良さであり、一方で歌手としての弱点にもなったように感じます。
テレビでも、もっと自分の、歌手として何かにこだわった方が歌手としてはよかったような気もします。
しかし芸術などの世界では、いろいろなことが一体となってその人の歌、歌い方に結びついているとも考えられ、
何かにこだわって押し通せる人だったら、歌も別のものになっていたでしょうね。

chitaさん

コメントありがとうございます。
浅田美代子混同説ですか。
日本語では”あの番組に出ていたアレ”などと言ったりしますから、
そのアレが、ある人には浅田美代子さんのつもりでいても、ある人には天地真理さんであったまま、
会話や思考が進んでいった可能性も否定はできませんね。

ご紹介のYouTubeの場面を私が以前に見た時、
2人の歌手が歌った後、浅田美代子さんが歌うという演出は、
かなり酷い演出だったのではないか、と感じたことを思い出します。
歌などの芸能においては、親近感があるから好き、ということもありますから、
技術的な良し悪しを、歌としての良し悪しとして言いきってしまうことはできませんが、
こうやって同じ曲を続けて聴かされると、
単に音程がどうこうというだけでなく、
声の質、声を伸ばした時の安定度と伸び具合、ビブラート、言葉の扱い方(ニュアンスの付け方)のいずれもが
全く別次元であるということが、あぶり出されています。
そこでこの2人は決定的に違うんだと認識した視聴者もいれば、
”癒しを与える部分”などの共通性から”混同”となった視聴者もいたとすれば、
テレビやドラマ演出の罪深さでしょうか。

おっしゃるように、この歌は天地真理さんにお似合いの雰囲気があり、
とりわけ歌い出しからの8小節の情感は秀逸で、
独唱でレコードに残しておいてもらいたかったと、惜しい気持ちがします。

bellwoodです。こちらも遅れたコメントで恐縮です。
天地真理さんの「声の調子」についての私自身の当時の印象ですが、確かに連日出演していたテレビの歌番組においてはしばしば荒れた声を張り上げるようにして歌っていて、不安定だなあと感じることがありました。
しかも真理さんは不調であればあるほど、それをカバーしようと表情や身振りを含めて一生懸命に頑張るところがあり、結果として必要以上に力んだ歌い方になっているようにも見えました。言うまでもなくその真摯なところが彼女の魅力でもあったわけですが。
「歌が下手」という風評も、個人的にはこの歌番組での印象に起因していたのだと思います。

一方、当時私が数回観たライブステージでの印象は、全く異なるものでした。
バラエティに富んだ曲の数々がレコード以上に瑞々しくニュアンス豊かに歌われ、声量豊かな美しい歌声が会場に響き渡ると、歌手・天地真理の本当の実力を全身で感じ取ることができました。

それに天地真理さんは、そもそも歌番組で1曲だけを歌わされるのが苦手なタイプの歌手なのではないでしょうか。
たとえば宇多田ヒカルさんもそのタイプで、スタジオ録音やライブでは素晴らしい実力を発揮しているにもかかわらず、歌番組での1曲だけの歌唱はいつも驚くほど不安定です。彼女の場合は真理さんとは正反対で歌番組への出演そのものに慣れていないということもあるのかもしれませんが、こういうタイプの歌い手さんは時々おられるように思います。
おっしゃるように真理さんも、同じテレビでも特集番組などでは実力が出ていますね。
以上、またも私見にて失礼いたしました。

bellwoodさん

コメントありがとうございます。
ライブステージまで、一度ならず観られたとのこと。
「プレミアムボックス」のライナーノーツに、ライブこそ天地真理さんの魅力を示すもの、との記述がありましたが、
まさにその通りのご証言ですね。
「歌手・天地真理の本当の実力」というお言葉は、
2枚のライブアルバムでその一端に触れることはできますが、
実際に肌で感じられた方からのものとして、私には大変重く感じられます。

宇多田ヒカルさんのことはあまりよく知りませんが、
ヒット曲などで耳にするその声は、とてもデリケートな発声のように感じていました。
歌番組での1曲限りの演出にピークを持って行くのは、難しそうであることが想像できます。
天地真理さんのファルセットも、そのような、いきなりエンジン全開の状態にもっていくのに苦労するタイプの声、
という要素があったのかもしれませんね。

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