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2012年7月

2012年7月30日 (月)

Beegie Adair1

以前このブログで私は、イージーリスニング的ピアノ音楽はあまり好きではないと書いたことがあった。
私が今取り組んでいる歌謡曲のピアノアレンジが、まさしくイージーリスニング的ピアノ音楽であるにもかかわらずだ。
もちろん、その魅惑的な旋律や響きにおやっと聴き耳を立てることはある。
しかしどうもすぐに飽きてしまうように思う。
その理由はと考えてみると、まずそこで使われているピアノの音色が、
概ねキンキンした、薄く硬い感じの音であることが多いことがあげられる。
それは単に元の楽器の音がそうだというだけでなく、録音やその後の処理も含めて、
そのような音を希求しているかのようだ。
それが私の好みに合っていないことがある。

そして次に、コードの使われ方が、せいぜい7thコードまでで、変化に乏しいと感じられることが多い。
もちろんそのような音楽の作り方のほうがわかりやすく、印象に残りやすいということから、意図的に作られているのだろうが。
また、クラシック音楽にくらべて、当然のことながら、表現力の質に違いがあって、それが肌に合わないということもあるように思う。
タッチの微妙さ、音色変化の付け方、表情の付け方、などに物足らなさを感じることがあった。
しかしそのような思いはBeegie Adair(ビージー・アデール)という一人のピアニストを知って一変した。

ピアノ編曲というものに興味を持ち始めてから、私は時々YouTubeで、ポピュラーソングなどのピアノカバーを検索していた。
素人の方々でも印象的な演奏を披露しておられる方が結構いて、勉強になったのだが、
なぜかこのBeegie Adairさんは、その検索に引っかからず、気付かないままでいた。
それが今年になってある時、妻がYouTubeで見つけ、これは結構いいんじゃないかと私に教えてくれた。
それを聴いた途端、私がピアノアレンジで追い求めている理想の姿の典型がここにあると、衝撃を受けてしまった。

Beegie Adairさんは1937年生まれの米国の女性ジャズピアニストだ。
すでに70歳を超える方なので、なぜ今まで知らなかったのか不思議なのだが、
それはこの方のキャリアにも関係がありそうだ。
大学でピアノと共に音楽教育を専攻するという、少々異色の経歴をお持ちの方で、
ジャズバンドで演奏する傍ら、音楽を教えていたらしい。
その後ナッシュビルでセッション・ミュージシャンとして活動され、
チェット・アトキンスなど有名なミュージシャンと競演したとのことだ。
そして1991年から、ようやくソロ・アーティストとして、また自身のトリオを結成しての活動を開始し、
1997年「ザ・フランク・シナトラ・コレクション」によって、その名が知れ渡るようになったとのことだ。
このときすでに60代半ばである。
そして2010年になって、「マイ・ピアノ・ロマンス」で日本デビューとなる。
プロモーションの一環としてYouTubeに現われ始めるのも、この頃からである。

この方の特長はまず、そのピアノの音がとてもきれいなことだ。
透明感と共にまろやかさがあって、しかも芯がある、私の好みの音色だ。
輸入版のライナーノーツには、
Steinway & Sons Model D Provided By Steinway Piano Gallery of Nashville
とある。
前回話題に出たスタインウエイのフルコンサートグランドである。
Piano Galleryには同じスタインウエイでもいろいろな個性のピアノがあるはずだ。
その中からこのような響きのピアノを選ぶ趣味が、私の好みに一致した。

ピアノの音がきれいなのは、弾き手の技量に負うところも大きい。
ジャズピアニストの場合、我流というか、クラシックピアニストとは異なる、
少々ひきつったような、独特の指の形で弾く方が多いが、
YouTubeにある、この方のいくつかの実演映像を見ると、
実にオーソドックスな、クラシックのピアノの名手と変わらないような指の形で弾いていて、
これがこの方のピアノの安定感、音の美しさにつながっていると思う。
以前に触れた、右手と左手(旋律と伴奏)の音量バランスも実に良く、
旋律を支える伴奏和声の響きは、淡い色の背景色のように、実に心地よく響く。
また装飾音、アルペジオ、和音の響かせ方なども非の打ちどころがなく、
リズムも常に絶妙の間で奏でられる。

そしてこの方の音楽の作り方である。
例としてまずは、The Beatles のナンバーを集めた「YESTERDAY」というCDを挙げておきたい。
ジャズをベースとしているが、難解な、あるいは先鋭的なジャズではない。
角が取れた、とても心地の良い、しかし実に多彩な編曲による The Beatles である。

上の紹介で、この方はセッション・ミュージシャンとして活動されていた、と書いたが、
セッション・ミュージシャン(スタジオ・ミュージシャンともいうらしい)というと、
私には、自己主張だけでなく、多くの多彩な要求に応えなければならない、
とても実力のいる存在としてのイメージがある。
そのことをうかがわせる記述がここにある。
この人の音楽はそのような経歴と無関係ではないだろう。
一言で言うと、音楽の作り方や演奏において隙がない。
卒がないと言ってもいい。
それでも堅苦しすぎて面白くない、とならないのは、やはりジャズをベースにした、
実に多彩なコードの絶妙な選択と、その響かせ方によるものだろうと思う。
そしてインプロヴィゼーションが、とても品良く、自然な感じがする。

演奏はどれも素晴らしいのだが、例としてここでは、In My Lifeを挙げておきたい。
人生を振り返り、will(未来)とhave(過去完了)が交錯する、
Johnによる味わい深い歌詞に、これまた天才的な旋律をPaulとJohnがつけているのだが、
青年独特のぶっきらぼうさ、とでも言うのだろうか、それも天才の証なのだろうが、
今になって聴くと少々そっけない風に聴こえてしまうThe Beatlesによる原曲に対し、
この曲に内在する時間方向、空間方向への思いの広がり感が、
実に感慨深く感じられる、すばらしい音楽に生まれ変わっていると私には感じられる。

出だしの前奏部分4小節をオーソドックスなコードで始めた後、
歌詞が始まるところからの、実にデリケートな和声の連なりは、
私がまさに学びたいものだ。
メジャー9th、6th、add9、♭9thなどが絶妙に絡んでいて、
解決されない和声の美しさとでも言おうか。
単独で聴いたらさほど美しくは聴こえないこれらの和音が、7小節目のE♭で解決されるまでの

絶妙にじらされるような響きによって、

何か解決しきれない、言いつくせない想いを
しみじみと語っているように私には感じられる。
一歩進んで、11th、13thなどのコードが多用されると、
ジャズの世界の、通常の美しさから少し離れた独特の世界に行くのだが、
その一歩手前で踏みとどまっている感がある。
もちろんこの方はジャズピアニストであって、11th以上のコードを多用する編曲で弾いているものもある。
だが私がこの方の音楽で最も買うのは、ジャズとポップスの中間領域の、
多彩なコードを鏤めながら、通でなくとも美しいと自然に感じられる領域での
音楽作りの部分にある。

そして後に続くインプロヴィゼーションは、聴き流せばイージーリスニング的ではあるが、
右手がアルペジオ、装飾音、和音と多彩に変化し、展開していく中で、
想いがさまざまに広がっていくさまを見事に表現しているように思える。
歌詞にとらわれず、曲調の魅力を最大限に膨らませた編曲とも考えられるが、
結果として、この歌詞から受ける様々な想いを、実に味わい深く代弁しているのではないか。
恋愛というお決まりの文句を隠れ蓑にして、
人生における、過去から未来へとつながる様々な場面での想いを表現しているかのようだ。
The Beatlesはいわゆるロックの手法をベースとして音楽を作っていたのだが、
その楽曲そのものには、実に深い可能性があったともいえるだろう。

Beegie Adairさんは日本の歌謡曲も数曲演奏し、CDに収められている。
YouTubeにも映像付きの、CDとは別テイクと思われるものがアップされている。
これらもどれも素晴らしい。
私がピアノ編曲で取り入れたいと思うものの多くがそこにある。
いずれそれらについても、取り上げてみたいと思っている。

2012年7月 6日 (金)

天地真理65 ちいさな恋 Piano Arrange

これは苦労した。何度も投げ出しそうになった。
出だしのドラムをピアノに置き換えるのはおもしろいと安易に始めてはみたものの、
歌が始まるところから、ピアノだけではどうも格好がつかなかった。

もっとも、最初からこの曲はピアノ独奏には向かないと思ってはいた。
歌を聴くだけではあまり感じられないかもしれないが、
この曲は、リズムが結構はげしい。
ドラムが常に前面で音を刻んでいる。
タンバリンのようなパーカッションも効いている。
中間部を過ぎたあたりからの長調のところでは、
パーカッションが倍のリズムで印象的な装飾を加える。
これらが実に魅力的な音楽を作っているのだが、
その印象をピアノ独奏に持ち込むのは難儀なことだ。
このような場合、ドラムとかを加えて、JAZZのリズムで、
トリオとかにすればいいのだろうが。

しかも、そのようなリズム刻みの一方で、
フルートや弦、そしてピアノが、
しっとりとした、また、どこか影のあるというか、心の中がざわめくような響きを加えている。
一見不釣り合いにも思えるこのリズムと音響が、
実にいい雰囲気を出していると思う。
この曲の魅力の捉え方はいろいろあると思うが、
私が強く受ける印象は、こういうところだ。
楽しいはずなのに、どこか不安で、揺れ動く。
それはピアノアレンジにも生かせないものかと思った。

前奏が始まるところからして、
その独特の雰囲気がピアノだけではなかなか出せないという壁にぶち当たった。
それどころか、原曲の中のピアノの音が結構いい響きで、
その響きすら、なかなか出せなかった。

今回から、少々奮発して、
EASTWEST社のQuantum Leap Pianos という音源の、
スタインウエイのコンサートグランドの音を使ってみた。

  (MIDIによって作成したもので、実際に弾いているのではありません。)

これがなかなか曲者で、
ちょっとタッチを(音量調整を)間違えると、バケツをひっぱたいたような音や、
爆音のような重量感のある音まで出る。
同一音を連打すると、はじけるような音までする。
おまけに同一音量でも、音程によって音色のムラが結構ある。
ある音は柔らかく、ある音はキンと響く。
(これは元のピアノの整音自体にムラがあったのだと思うが)
表現力の幅が広いとも言えるのだが、
クラシックの曲を演奏するならともかく、
このような曲にはどうもなじめないと思い、何度も調整し直した。

そんな中で、ピアノの音は、その音量(タッチ)で美しさや雰囲気が大きく変わることを改めて実感した。
クラシックの世界でも、「音のきれいなピアニスト」と、そうでないピアニスト、などと言ったりするが、
音一つ一つに、きれい、きたないがあるというよりはむしろ、
ハーモニーと、その中でどういう音量バランスで音が鳴らされるか、
ということで、印象が大きく変わってくる、ということだけは断言できる。

曲調にもよるが、左手と右手のバランス、
特に左手の音量をどこまで押さえるか、
そして右手の旋律はどこまではっきり打鍵するかによって大きく印象が変わる。
弱くてもぼやけるし、強いと、違った種類の音楽になっていく。
それはちょうど、スープを作って、最後に塩を加えていく時に、
どこまで加えるか、というさじ加減に似ている。
旋律をサポートする和声の音の組合せや音量は、
水彩画の淡い背景の色使いに近い。
そんなことを何度も感じさせられた。
もっとも私は絵は描けないし、うるさく言えるほど音楽を専門的に知っているわけでもないが。

しかし、正直言って、ピアノのジーンと響く重量感のある低音や、キーンと芯のある高音も好きであって、
ついついそのような音を混ぜたくなってしまう気持ちと戦うのにも苦労した。
昔ホロヴィッツが、演奏者の心には「悪魔」と「天使」がいると言っていたが、
それをうまく制御するのが、名ピアニストなのだろう事が、少しはわかった気にもなる。
出だしを、8分音符ではなくて、16分音符にして
グワーンとスタインウエイを唸らせて、悦に入ってしまった時もあった。
まるでプロコフィエフのトッカータのようなのだが、
そこから先どうするの、ということだ。

ドラムというものが、音楽作りに有効である一方、ピアノで真似しにくいものであることもわかった。
ドラムの、特に小節と小節(フレーズとフレーズ)をつなぐリズムが、
いかにうまいアクセントになっているか、
またそれが、コード変化の単調さをいかに補っているか。
これを音程のある楽器にそのまま置き換えようとすると、うまくいかないことも痛感した。

そして歌声が醸し出すニュアンス、響きそのものから来る雰囲気が、
同じ音程でもピアノの音にしてしまうと、当然のことながら消し飛んでしまう。
そしてそこにはまた別のイメージが出てくるのだが、
それが魅力的なものになってくれるのかどうか、
歌声が決定的役割を果たしている場合、抜け殻のような音楽になってしまわないか、
不安な気持ちにもなった。


この曲の原曲アレンジの中で、私が最も凄いと思うのは、
「ひみつの約束指切りは」のところの部分だ。
J-Total Music というサイトのコード表記によれば、ここは
Am→E7→Amとなっており、このコードは最初のフレーズと同じなのだが、
ここで、弦がざわめくような、第2旋律と言ってもいいフレーズを加えている。
これがあるのとないのとでは、この歌全体の価値も大きく変わるだろう。
このフレーズは、そこでのコードの構成音をバラして奏でているだけなのだが、
この部分で心に不穏な情感が沸き起こってくる方も多いのではないかと思う。
ピアノでは、ここを左手の親指で、中音域で鳴るようにしてみたわけだが、
どんなものだろう。

短調である前半部分はまだコードが動くのでやりやすさがあるが、
悩みは後半の長調部分でさらに大きくなった。
コードがAとE7を行ったり来たりするだけなのだ。
歌謡曲はこれで立派に聴こえるのだから、
ドラムや楽器の組み合わせによる編曲の力は大したものだと思う。
そもそもこの曲は、使用されているコードの種類が少ない。
これがやりづらい根本原因と思う。
編曲者の腕の見せ所なのだろうが。

原曲のアレンジを極力忠実に取り入れた1番に続いて、
2番をどうするかで、悩みはさらに深刻になった。
例によって同じように繰り返したくはないが、ガラッと変え過ぎるのもどうかと思う。
悩んだ分、ちょっとやりすぎた感もある。
ミステリアスを通り越して、神秘さが漂ってしまったか。
気に入っていただけるかどうか。


今回は、悩みが深かった分、
愚痴ともとれる駄文を長々と書いてしまった。
そのついでと言っては何だが、
いわさきちひろさんの絵を使った映像は、
ともするとその絵の魅力に引き込まれて、
また歌詞との関連性に気を取られたりして、
音に集中できにくい、という副作用もあることを痛感している。
絵を見ないで聴くことも、ぜひお試しいただければと思う。

天地真理 「ちいさな恋」
 作詞:安井かずみ、作曲:浜口庫之助、オリジナル編曲:馬飼野俊一
 ピアノ編曲:真



音声のみのwavファイル
 ちいさな恋 Piano Arrange

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