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2011年12月

2011年12月31日 (土)

天地真理60 「なのにあなたは京都にゆくの」の衝撃

天地真理「プレミアムボックス」を購入すれば、
誰しもまずDVDをご覧になることだろう。
真理ちゃんシリーズというテレビ番組から抜粋されたそれらの映像と音は、
中学生時代にそれらをリアルタイムで見ていた記憶は定かでないのだが、
やはり何とも懐かしい感慨を感じずにはおれなかった。

さて、問題はその次である。
私の場合は、コンプリート・シングル・コレクションはさておき、
Disc.3 天地真理ファーストアルバム「水色の恋/涙から明日へ」に進んだ。
最初の曲、「水色の恋」を、これまた懐かしい想いで聴き終わった後、
「なのにあなたは京都にゆくの」 作詞:脇田なおみ、作曲:藤田哲郎、編曲:馬飼野俊一
を聴いた途端、衝撃を受けてしまった。

ご多分にもれず、長い空白期間を経て、
2010年の10月頃になって、天地真理さんが出演されるテレビ番組の前宣伝をちらりと見かけ、
そういえばそういう人が昔いたな、と思い、
気が向いた時にYouTubeでも見てみれば
懐かしい映像とかが出ているだろうと思ったのが再開の始まりである。

それまでも断片的にテレビに出ておられるし、それらに気がつけば、
または何らかの懐古趣味で昔を思い出し、YouTubeで探そうと思えば、
もっと早くの再開になったはずである。
しかし不思議なことに、まったく忘却し、またその手のトリガーに出会うこともなかった。

いざ、YouTubeを見てみると、なるほど懐かしい映像がいくつか見つかったが、

心に一番ひっかかったのが、「この広い野原いっぱい」だったと思う。
森山良子さんの歌で良く知られたこの曲を、真理さんはとてものびやかに歌っていた。
自分の持ち歌以外の曲も、このように感じ良く歌っているのならば、
このCD全集を買ってみても良いと思った。


そしてこのデビューアルバムの2曲目「なのにあなたは京都にゆくの」を聴くに至って、
私はこの歌手のことを何もわかっていなかったことに衝撃を受けてしまったのだ。
YouTubeを見て、うすうす感じ取っていたことではあったが、とどめを刺された。

私は若い頃、どれだけ天地真理さんのファンだったのか、
誇れるようなものは何もない。
確か、私の友人が南沙織さんを好きで、
おまえは誰がいいのかと問われ、
そのころの選択肢は、当然のことながら、例の3人娘のどれかということであったので、
その中で、声が柔らかい感じが、
また雰囲気が優しい感じのお姉さんのように感じたのだと思う、
そのあたりの感情はあまり覚えていないのだが、
天地真理さんと答えた記憶はある。
歌とか、外見とかということのほかに、
どことなくにじみ出てくるその人柄に惹かれたようにも思う。
ただそれは、尊敬できる人柄とか、立派な人だ、というような惹かれ方というよりは、
人としての純粋さのようなものを感じていたように思う。
もちろんどんなことに純粋さを感じるかは、人それぞれだから、
真理さんだけが純粋だ、と言い張るつもりはないが。

それ以後、真理さんと答えた手前、より興味を持って注目するようになったのだが、
もっぱらテレビに現れる真理さんを見、聴くことによって、
この人のイメージを作り上げていた。
もっと別の方法、つまりレコードやラジオなど、音だけからによる接し方から入っていたら、
また違ったとらえ方をしていたかもしれない。

私が真理さんの歌について当時どのように思っていたかについては、
詳しくは「ひとりじゃないの」の項で触れてみたいと思っているが、
彼女のヒット曲の企画のされ方、それらを歌うテレビでの印象、
そこでの演出のされ方、などから、
今思うほど、名歌手と言うべき存在、という捉え方はしていなかった。
むしろ彼女の歌そのものにフォーカスしようとしていなかった、というのが
本当のところだと思う。
テレビから伝わってくる、歌、外見、表情、しぐさ、などが合わさった全体的イメージが、
歌だけにフォーカスするには、圧倒的すぎたのだろう。

また悪いことに当時、人気女性歌手のアルバムを買おうという発想は、私には全くなかった。
少々硬派気取りだったのかもしれない。
ラジオでは歌のランキングが花盛りの頃で、
その中でも洋楽のランキングは聴いていた記憶がある。
カーペンターズが新曲を出すたびに1位を取っていた頃である。
クラシックや洋楽(トム・ジョーンズ、ビートルズなど)のレコードは多少持っていたのだが。
これが私における、決定的な理解不足を生んだ要因のように思う。

テレビから入って築きあげた真理さんのイメージからすると、
「なのにあなたは京都にゆくの」における彼女の歌唱は予想外にひたむきで、
そしてその声自体の魅力が実にストレートに伝わってくるものだった。

この歌との出会いは、その誤解期間の長さから思えばあまりにも悲しく、
しかし、彼女の、歌手としての素晴らしさを気づかせてくれたという意味では、
限りなくうれしいものだった。
幸先よいことに、私は「プレミアムボックス」のCD2曲目にして、
このCD全集を買った価値を噛み締めることになった。
この後さらにどんな歌が聴けるのか、という期待がいやがうえにも高まった。


「水色の恋」では、どちらかといえば、軽やかな声の出し方で、
ビブラートも震えるような、余韻を大事にするような発声であった。
それに対しこの歌では、力を込めて発声した時、この歌手がどれほどいい響きの声を出すか、
を端的に知ることができる。

まずもって、実に端正な歌い方である。
言葉一つ一つをとてもはっきりと、癖なく発している。
曲調にもよるから当然だが、、後の明るい発声方法はここにはなく、
かといって、暗さや、うらみがましさといった色は少なく、
ただ、ひたむきさ、が伝わってくる歌い方である。
強烈な声、というわけではないが、
伸びがあって、力強く、実に響きのいい声だと私には思える。

特に、歌が始まってから9小節目の、「なのにあなたは...」からを聴いてみてもらいたい。
この曲のオリジナルはチェリッシュによるものであって、
このアレンジは、チェリッシュのオリジナル曲によく似ている。
ところがその歌い方はかなり異なる。
こうやって他の歌手と比較してみると、
この歌手が、クラシックをベースにしてきたことがよくわかる気がする。
言葉はあくまで端正にはっきり発音するなかで、
声の力で、この歌詞の状況を盛り上げていっているように思う。
ニュアンスの付け方が大袈裟なものでないため、
演歌などがお好きな方にとっては、物足らないと思われるかもしれないが、
私には、程よいビブラートと共に、癖なく発せられる言葉の流れから、
歌詞と曲がそれだけでもとから持っている情感が、とても上品に伝わってくるように思える。
あたかも、歌詞によって何らかのエピソードを与えられた、言葉のない器楽曲を聴くかのように、
何度聴いても飽きない心地よさがある。

「なのにあなたは...」から1小節進むごとに声に力がこもっていく様子がとりわけ心地よい。
「それほどいいの」の「れ」で使われるポルタメント
(「れ」の出だしはその前の「そ」と同じシ♭から始まり、直後になめらかにドに上がる)
は、力強さを盛りあげるのに有効に働いている。
なぜ京都に行くのかを問う主人公の心情描写が、このちょっとした音楽的表現で一気に盛り上がる。
チェリッシュはこのような歌い方はしていないので、真理さんが独自に取り入れた表現法だろう。

そして続く「このーわたしの」の「のー」で、その力強さは頂点に達する。
ここでのビブラートは、「水色の恋」で聴かれた震えるようなビブラートとは全く異なり、
より長周期の、力のあるビブラートだ。
しかも、ここでは「このー」の「のー」が発声されるとほぼ同時にビブラートが始まっている。
以前のコメントで、このようなビブラートはクラシック歌手のやり方だとご指摘を受けたことがあるが、
そのようなことからも力強さを感じるのかもしれない。
このようなビブラートには、かなりの喉の力と訓練が必要なのではないだろうか。

この歌を聴くと、私はこの歌手は、とても力量のある歌手だと思ってしまう。
そしてファーストアルバムの2曲目に、このようなものが用意してあったにもかかわらず、
なぜ今までこれに気付かなかったのか、とも思ってしまうのだ。
この曲は、名曲名唱の多いこのアルバムの中でも、
ひときわ歌い込まれたかのような、完成度の高いものになっていると思う。
そのような歌に込められた本当の意味を、私は当時わかってあげることができなかった。
しかし、今更それを言っても始まらない。
今これを聴いて楽しめていることに素直に感謝すべきだろう。
そしてこの曲は、カバー曲でありながら、「プレミアムボックス」というCD全集においての、
新たな発見の始まりともなった、とても印象深い曲として私の心に残っている。



さて、今年から始めた本ブログは、
灰汁の強いものであるにもかかわらず、1年で28000カウントを越えるアクセスをいただきました。
当初は10月の真理さんのデビュー記念日まで続くものかと思っていましたが、
アクセスをいただいた方々、またコメントをいただいた方々の存在が励ましとなって、
ここまで続けることができました。
その過程では、長年天地真理さんを盛り立ててこられた
老舗のブロガーの方々からも声をかけていただけ、
また、頂いたコメントから、曲作りなどの新たな展開も生まれました。
それらの方々の中の何人かの方々には、11/5の集いで直接お会いすることもできました。
今年は天地真理さんのデビュー40周年記念祝賀会があり、
それをお祝いする意味で行ったピアノアレンジも思いのほか好評をいただき、
私のライフワーク的趣味になりそうな存在にまで膨らんできています。
また、このブログを通じて、今まで他でお見かけしなかった、
潜在的ファンの新たなお目見えと思える方々に出会え、
それらの方々のお気持ちを聞かせていただくこともできました。
 「天地真理さんのことを世に語り継ぎ、
  またそれをきっかけに、ファンの方々とも交流できれば」
と思って始めたこのブログは、ささやかではありますが、
その通りとなったのではないかと満足しております。
天地真理さんへの思いは、いろいろと欲を出せば切りがないのですが、
私は私なりのスタンスで、今後もネタが続く限り、細々と続けてみようと思っています。
今年一年、誠にありがとうございました。
皆様にとって、そして天地真理さんにとって、
来年がより良き年となりますよう、お祈りいたします。

2011年12月 3日 (土)

天地真理59 風を見た人

次の記事を手掛けていて、どうしてもこの曲を取り上げておきたくなった。
天地真理さんのデビューシングル「水色の恋」のB面の曲「風を見た人」である。
(作詞:安井かずみ、作曲:村井邦彦、 編曲:森岡賢一郎)
B面ではあるが、彼女にとって、自分のために作られ、発売された初めてのオリジナル曲である。
聴いた第一印象でわかるだろうが、彼女の歌をいろいろ聴いている人にとっては、
かなり異様な曲である。

まず音域がかなり広い。
「水色の恋」が、ソ#~ド# であったのに対し
この「風を見た人」は ファ#~レ であり、下が長2度(ドとレの間隔に相当)、上が短2度(半音)高い。
彼女は高音はもっと上まで出せるので(少なくともミまではきれいに出している)、
この曲はとりわけ低音方向に音域を広げた曲と言えるだろう。
ファルセットで低音まで出すということは、かなり難しいことのように思う。
それをこの歌手の大きな特長として捉えて、意欲的な作品を作ったようにも思える。
そもそも音として出にくく、言葉も発音しにくい裏声での低音が、
ちょうどその部分での歌詞の異様さと相まって、
ただ事でない心情や緊張感を出しているように思う。

また、中間部の高音域で歌われるところでは、
遅延をかけた声と重ねて2重の声にし、なお且つかなりのエコーをかけている。
私は、彼女のような響きのいい声の場合、このような処理をしない方がいいと思っているが、
この曲では、このような処理によるコントラストが独特の雰囲気を出していて、効果的ともいえるだろう。

この中間部には、後に確立された清純アイドル路線、メルヘンタッチという基準からみると
禁句と言ってもいいような歌詞が使われているだけでなく、
ここの”私を泣かせる”の部分では、彼女としては非常に珍しく、
感情を表に出すかのような、語り言葉としての思い入れ表現が聴かれる。
そして言うまでもないことだが、いわゆるアイドル然とした印象が、
曲全体からも、歌い方からも一切感じられない。

このように、明らかにこの曲は、天地真理さんが歌ったオリジナル曲の中では、
飛びぬけて特異である。
曲自体は、イントロのアレンジから言って、フォーク調と言ってもいいのだが、
歌詞にはメッセージ性や社会性はなく、中間部のアレンジはむしろ歌謡曲調でもある。

シングルのB面は微妙な存在である。
A面ほどまじめに聴かれず、そこに何らかの難があっても聴かずに済まされる。
しかし、もしそこに何らかの特徴的魅力があれば、そこからブレークすることもある。
アルバムより耳に触れる可能性はあっても、B面の失敗は許される、
そんな、いわば少々冒険的なことが出来たり、A面と違う何かを試すことができる場のように思う。
私は、天地真理さんという素材を使ってここで試されたことは、未完成ながら、
”フォークをルーツとしながら、より洗練され、それでもなお、歌謡曲とは違うという意味合いで使われた”
と後に定義された「ニューミュージック」の先駆けと言ってもいい路線ではないかと思える。

ちなみに、小柳ルミ子さんのデビューシングル「私の城下町」のB面は
木彫りの人形」 作詞:山上路夫、作曲:平尾昌晃、編曲:森岡賢一郎
南沙織さんのデビューシングル「17才」のB面は
島の伝説」 作詞:有馬三恵子、作曲・編曲:筒美京平
である。
今これらを聴いてみると、このお二方に関しては、
その後の歌のイメージと比べてほとんど違わない印象を持つ。

かなり短絡的なくくり方だが、、
演歌的な歌い回しができて、型にはまった”うまさ”として認められやすい歌い方の小柳さんと、
声に艶とパンチがあり、リズミックな曲によく合う、後の実力派アイドル歌手の先駆け的歌い方の南さんは、
それぞれ歌手としての売り出し方のイメージが定まりやすかったのではないか。
それに対して、クラシカルな発声で、演歌的な癖がなく、
かといってムード歌謡としては暗さや陰りがない歌い方の天地真理さんの場合、
どのような歌手として売り出していくか、模索されたに違いない。
この曲は、そんな彼女の特徴を生かすべく、その時点で考えられた一つの方向性であったのかもしれない。
つまり基本はシンプルで癖のないフォーク調に置くが、そこから社会性やメッセージ性を取り去り、
若い女性の心情や心理を扱って、より洗練されたサウンドとして仕上げていく、といった
都会的「ニューミュージック」である。
この曲の場合は、明るい都会的さ、ではなく、少々無機質的な茫漠とした都会的さ、だが。
別の歌手が歌えば、どうしようもなく暗い闇に沈み込むような歌になってしまいそうなマイナーの曲だが、
真理さんが歌うと、深刻そうでありながら、暗さや恨みがましさが漂わない、
透明感のようなものを持つところに、
都会的「ニューミュージック」を予感させる新しさが感じられるのではないか。

この曲の作曲家、村井邦彦さんは
プロデューサーとして荒井由美さんをデビューさせた人であり、またYMOを手掛けるなど、
新しいジャンルを開拓することにたけた人であったようだ。
作曲家としても、トワ・エ・モワの「或る日突然」や、赤い鳥の「翼をください」など、
フォーク的ではあるが、それまでのフォークとも歌謡曲とも少々異なる、印象的な曲を作っている。
他にも、この作曲家の曲が、真理さんのデビューアルバムに2曲、カバー曲として入っているが、
その後も、「美しい星」「明るい表通り」「鳩がいる公園」などがアルバムの中で歌われている。
これらの曲は、彼女の歌の中で華々しく成功したと言える部類ではないかもしれないが、
いずれも、どこか新しい切り口を試そうとしたかのような、新鮮な感じが印象として残る。

それまでの女性歌謡曲歌手にはない、声としての響きの良さと、
歌い方に癖や陰りがないという特長は、
それまでの歌謡曲歌手を手掛けてきた作家から見れば扱いにくく、売り出しにくいものであったかもしれないが、
志のある作家、プロデューサーから見れば、歌謡界にイノベーションを起こせる素材と映ったのではないだろうか。
今から見れば、必ずしも彼女に合った曲とはいえなかったかもしれないが、
この「風を見た人」は、そんな彼女の可能性の模索の中での、一つの答えとして示された
とても貴重な作品であると思う。

後付けで振り返った時、「ニューミュージック」の第一段階は、
吉田拓郎、井上陽水、小椋佳、荒井由実、かぐや姫、五輪真弓、といった人々の作品を言うようだ。
このあたりの歌謡史の流れを時代的背景とからめてたどることは、
なかなか面白いテーマであるかもしれない。
「ニューミュージック」は基本的にシンガーソングライターによるものであることが条件のようになっているようなのだが、
明らかに天地真理さんはその黎明期の渦中にあり、
専門の作曲家も時代の雰囲気を受けて、それを模索する中で、
それを具現化する歌手の一人としてみなされていたのではないかということが、
この
「風を見た人」を聴くと、感じられてしまう。

従来の日本的イメージを新鮮な形で引き継ぐ小柳ルミ子さんと、
若くて艶とパンチのあるアイドルの新しい形を切り開く南沙織さんに対して、
この時点の天地真理さんは、何か時代を先取りした、
歌謡曲そのものの新しい世界を切り開く役として期待されたかのような、
アイドル的な香り一つない真剣さ、挑戦的一途さが、
曲自体にも、真理さんの歌唱にも感じられる。
もし「時間ですよ」によるブレークがなかったら、別のカテゴリーでも音楽史に名を残す
イノベーションを起こせたのではないかと想像してみるのも悪くない。

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