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2011年10月 4日 (火)

天地真理54 水色の恋(5)

(3)「水色の恋」1976年ライブ版

「私は天地真理」と題されたこのライブアルバムでは、
天地真理さんの素晴らしい声を堪能することができる。
そして、私はいくつかの感慨を持って、このアルバムの中のこの歌を聴く。

ホ長調(E)ミから始まる(デビューシングルの音程に戻る)。テンポ(四分音符)=97
歌詞1番は彼女自身のギターによる弾き語りで始まる。

何と端正な歌い方なのだろう。
デビュー曲を無残にデフォルメして歌う歌手が多い中で、
これは全くその逆を行っている。
2番の歌詞「何故かしら 夢の中」の部分ですら、
前記2つの歌唱では少々音を変えたチャーミングな歌い方をしてたが、
ここではきっちり楽譜通りである。
一言一言噛み締めるような、一歩一歩踏みしめて歩くような、
この時彼女は何を考えながら歌ったのか、
そんなことを思いながら聴いてしまう、そんな歌い方である。

デビューから5年たち、幾度となく歌ったであろうこの曲を、
ここでまたライブのオープニングで歌うことは、
もちろんこの歌への感謝、愛着があってのことだろう。
しかし彼女の中でこの曲は、この曲の最高の歌唱を成し遂げようと考えるような対象ではもはやなく、
彼女の中で既に歴史となり、評価の固まったものを、いかに崩さず、元のままに示すか、
そして同時に、その時の天地真理の状態をどう素直に投影するか、
といったような存在になっているように思える。
音程から考えても、ギター弾き語りであることから考えても、原点回帰であるのだが、
その時の天地真理を
未来へ示す、一つの刻印であるとも受け取れる。

この歌の微妙な情感や、爽やかな曲想を堪能するには1974年のライブ版の方がいいかもしれない。
ただ、このライブ版で、この直後に歌われた「童話作家」が、その情感、声、ともに素晴らしく、
信じられないほどの名唱であることを考えた時、
どこかこの「水色の恋」は、コンサートホールの玄関にある立派な置物のような、
外に対しておもねることなく、そこの中身を象徴し、保障するかのような凄みを感じさせられ、
私は思わず襟を正し、正座したくなるような衝動に駆られる。
平たく言ってしまえば、この歌はこういう歌だったんです、といっているかのような威厳と、
こんな風に歌えるようになったんです、という自信にあふれている、と言ってもいいかもしれない。
彼女は、歌手としてひとまわりもふたまわりも大きくなった姿を、
愚直なまでに端正なこの歌い方の中に示しているようでならない。


そして、何と厚みのある、奥行きのある声なのだろう。
このアルバム全体に言えることだが、
声そのものが、素晴らしい艶と伸びを持っている。
普通の声量の部分でさえ、喉の1段深いところから声が出ているかのような印象を抱く。
驚くべきことに、ここですでに多くの倍音を含んだ
真理倍音Ⅰ(U4kO6k倍音)真理倍音Ⅱ(O10oU4k倍音)が出まくっている。
そしておなかから声を出したかのようなところでは、
喉のさらに1段深いところから声が出ているかのような印象を抱く。
デビューシングルの時の声が、
やわらかく、軽く出しているようでも響いていく木管楽器のようだとすれば、
ここでの声は、ビオラかチェロが、
弦を弓でこする際の、微妙なかすれと底光りする艶を含みながら力強く発音され、
その乾燥・熟成された木と膠と塗りものからなる胴体を隅々まで共鳴させて、
ホールにウワンと音を放っている、そんな音を思い出させる。

1975年にミュージカルに挑戦して声をさらに鍛えたことや、
テレビ出演などで体と喉の酷使を強いられることが少なくなったことが、
効いていると考えられなくもない。
1976年という年の、公式録音でないライブでの歌声を、YouTubeでいくつか聴かせていただいているが、
どれも素晴らしい声である。
私がこのブログを始めるにあたって書いた記事で紹介した、
「想い出の渚」を歌ったのも1976年のものだった。
1974年の「水色の恋」に言及した前回記事で、
  単にきれいに歌う、上手く歌うということだけでなく、
  声の質的な響き一つで、音響的に聴き手をノックアウトしてしまう力をも、
  この3年の間に、彼女は磨いてもきたのだということがわかる。
と書いたが、それは1976年に極まったと言っていいだろう。
もし私がもう少し都会に住んでいて、彼女のライブを初期から聴き続けていたなら、
この1976年に至れば、どんな映像的魅力にカムフラージュされようと、
その歌そのものを堪能する境地に至っていたに違いないと、私はあえて言い切りたい。


私はショパンの幻想ポロネーズが好きだ。
舟歌も本当に素晴らしいと思う。
それらはいずれもショパン(1810-1849年)の晩年、1846年に出版されたものだ。
もちろんショパンがもっと長生きしていれば、もっと素晴らしい曲を作ったという思いはある。
しかしそんなことよりも圧倒的に、
ここまで極め、これらの曲を残してくれたことへの感謝の気持ちの方が大きい。

歌手ということで考えると、
私は1970年代にトム・ジョーンズという歌手に注目していたことがある。
粗削りだが、その声の伸びや奥行きが異常なまでに凄いと感じたからだ。
この歌手は今でも現役だが、その声の凄さを私が本当に堪能出来るのは、
1965年から1970年(25~30歳)ぐらいまでの数年間のものだ。
人の声は、それが素晴らしければ素晴らしいほど、
その本当のピークは、運動選手と同等に短いのではないかと考えさせられる。

天地真理さんがSONY MUSICに残した歌は1971~1983年(20~32歳)の間である。
その間に残されたものは、どれも味わい深いものだが、
声質や、ステージにおける安定度なども含めた歌手としての実力が、
1975~6年に、文句のつけようがないほど極まったと言えるだろう。
それを象徴する歌声が、この「水色の恋」に示されていると思う。
もちろん、この後の5~10年の間にライブ等の活動をもっと元気で続けられていれば、
同等以上のものを残した可能性は大きい。
しかし、
そんなことより、上記2例の私の経験から、
何かと辛い思いをしながらも、ここまで極めてくれた、
そして決して多いとはいえないながらもしっかりと公式音源としても残してくれ、
それが今も手に入り、素晴らしい音質で聴くことができるこの事実に、
今は素直に感謝出来る。

この少々無骨に聴こえる「水色の恋」から、「童話作家」、「「いちご白書」をもう一度」、
「春の風が吹いたら」...そして、往年のヒット曲「ひとりじゃないの」、「若葉のささやき」、
涙なくして聴けない「ふたりの日曜日」と続くこのライブアルバムを是非とも聴いてみて、
聴き直してみていただきたい。
この「水色の恋」は、何とも正しいところに、
正しくあると思えるのではないだろうか。

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天地真理」カテゴリの記事

コメント

真さん、こんばんは!
なにかとお世話になりました。

今回も、素晴らしい聴き方を教えて下さり、ありがとうございました。ただ、この「水色の恋」について、私は真さんのご説明に対し、なにも申し上げることはございません。その代わり、ちょっと別のsubjectなのかもしれませんが、この76年のライブアルバムについてコメントしたいと思います。

当時、このアルバムは、まったく売れなかったそうですね。販売枚数は知りませんが、「童話作家」や「小さな人生」同様、ヤフオクで、なかなか出て来なかったことからも、容易に想像できます。(出たときには即ゲットしました(笑))。
同時代にファンでなかった私がこんなことを言うのは、ある意味、おかしいのかもしれませんが、昨年、そのことを知った時、いいようのない悲しさ、怒りをおぼえました。商品というものは、いくら中身が優れたものであっても、それだけで売れるわけではないことは、マーケティングの常識ではありますが、それにしても、ちょっと前まではあれだけの大スターであった天地真理さんが不憫でならなかったんです。

また、私は、天地真理さんは、natureとして、フォークの人のように思えて仕方がありません。(あの偉大なJoan Baezの大ファンでいらしたそうですね。)そのことは、本アルバムに於いて、「水色の恋」を自らのアコギでスタートするところ、「矢車草」のアンコールを、全て自分のアコギで歌っているところ、選曲も大半がフォーク調であるところ等々からも、そう思えます。(もちろん、私の勝手な思い込みかもしれませんが、そう解釈しています。)そして、このアルバムタイトルが「私は天地真理」です。ここで歌っているのが本当の天地真理なんですと暗に主張している、だとすれば、実によく考えた、すばらしいタイトルだと拍手したくなります。

当初このアルバムを聴いたときは涙が溢れてきました。今でもできるだけ通しで聴くようにしているのですが、真剣に聴くと途中から涙が出てしまいます。このアルバムは、歌手天地真理の集大成であると同時に、彼女のものがたりを聴いているようにも感じてしまうんです。

pokerin3545さん

コメントありがとうございます。
1976年のこのアルバムにとても心酔され、大切に思っておられることが良く伝わってくるお言葉ですね。
当時のこのアルバムのセールスに貢献できなかっただけでなく、
このアルバムの存在すら知らなかった私としては
悔恨と自戒の念を持って読ませてもらいました。

もしこのアルバムを多くの心あるファンが買って聴いてさえいれば、
芸能マスコミや一部の大衆がどういう仕打ちを与えようと、
真理さんの、歌手としての人生は変わっていったと思われ、
私も含めたファンそのものの責任、と言っては大袈裟かもしれませんが、
役割は大きかったのではないかと、今になって思います。

フォークソングは本来民謡であったり、またプロテストソングであったりといった意味合いがありますが、
音楽として共通して言えることは、そのシンプルさだと思います。
アコースティックギター、ピアノ、ヴァイオリンなど、自演も含めてこのライブでは、
簡素ながら一つ一つがとてもクオリティの高い伴奏が使われているように思います。
シンプルさが真理さんの歌に殊の外マッチする証でもありますね。

私としても、いくばくかの後ろめたさは感じつつも、
今このアルバムの価値がわかるようになったありがたみをかみしめながら、
pokerin3545さんの言葉に共感しつつ、聴かせてもらっている次第です。

真さん こんばんは

ここでの「水色の恋」は不思議なうたです。
真さんの言葉を借りればまさに「愚直なまでに端正」なのです。
正直なところ、割と最近まで私はこの「水色の恋」を気に入っていなかったのです。
「オンステージ」であれほどの「水色の恋」を聴かせたのに、どうしてこんなにぎこちなく歌うのか、ちょっと失望していました。
ところがある時、どこかで突然スイッチが入ったみたいに心の中にぐんぐん入ってきて、気がついたら涙がにじんでいました。
それは、やはり声の力ですね。今でも最初は違和感があってうたの中に入り込めないのですが、聴いているうちにいつの間にか彼女の声に引き込まれ、心が震えてくるのです。
同じようなことがこのアルバムの「ひとりじゃないの」にもあって、他のバージョンに比べると歌い方に何の工夫も見えないのですが、いつの間にか引き込まれ、心が震えてくるのです。

技巧なんか使わなくても、声だけで感動させることができる、そういう真理さんの自信がこういううたを生んだのかもしれません。

真さん、こんばんは~

たびたびお邪魔しま~す。76年のライブアルバムの曲に関連する記事なので、どうしても熱くなってしまいます。ご容赦ください。

このライブでの天地真理さんは、リズム感が非常に高いレベルにあります。真さんも涙される「ふたりの日曜日」など、バックのリズムラインがちょっと弱いところ、真理さんがぐいぐいリードしていますよね。正直、よくぞあんなに上手く、感動的に歌えたものです。(もうワンコーラス追加して歌って欲しかったぐらいです。また、リズムがもっと抜群のバックだったら、それこそ、驚異の録音が残されたことでしょう。)「水色の恋」に関しても、オープニングということもあってか、バックバンドが緩やかなテンポを刻んでいますが、真理さんは見事にリズムに乗っています♪ やっぱりこのライブアルバムは素晴らしい!

ひこうき雲さん
コメントありがとうございます。
「技巧なんか使わなくても、声だけで感動させることができる」
まさにそんな感じを私も受けます。
YouTubeで聴かせてもらった「想い出の渚」を聴いたときも思ったのですが、
この頃の真理さんは、歌い出しの数フレーズを何となくぎこちなく、
素っ気なく歌うことがあって、おやっと思っているうちに凄い声が出始める、
そう感じることがあります。
それがまたとびきり素晴らしいものですから、
何かその対比が、かえって余裕と自信の表れのようでもあり、
面白いし、引き込まれてします。

○○さん (この感じからたぶん)
またまたコメントありがとうございます。
真理さんのリズムの良さは、
以前、真理さんのピアノ演奏の記事でも触れたのですが、
凄くいいというか、心地よいと思います。
このことは、たぶん私の見聞力と記憶力の弱さだと思いますが、
これまであまり指摘されていなかったような印象でした。
同様のことを感じておられるコメントをいただき、大変うれしいです。
「春の風が吹いたら」のリズムなども本当に素晴らしいとほれぼれします。

こんばんは。
このサイトのレベルの高さにはほとんどついていけないですね・・・・
想いだけは負けないぞ~~~ぐらいなもので(笑)。
真理ちゃんは、もうただそこにいるだけで、全身からオーラが出ていて、
声にまでそれが乗り移っている・・・・その程度ですかね、私が言えるのは。
ラジオ番組などでごく普通に話していても、あっという間にこちらまで”異空間の世界”です。
私もときどき音声編集ソフトなどをいじることがありますが、どうなんでしょう、彼女の魅力は
測定・分析可能なのでしょうか・・・ミクロな理屈をいえば、窒素などの分子が鼓膜にあたっ
て・・・ということになるわけですが、空気の組成は同じなわけですし、人それぞれに耳の形
や内部の形状や大きさ、その他もろもろの膨大な諸条件が違っていても、み~~んな等しく
”チャーミング”に聞こえるということは、いったいどういうことなのでしょう???
それに、・・・・彼女がクスっと笑ったりしたら、もう分析どころの騒ぎじゃないです。
最近、よく「私が白だった日」を聞かせていただいています。本当に贅沢な時間です。
---------まったくもって、”超絶の天使”ですよ、真理ちゃんは。


kazu,inspireさん
コメントありがとうございます。
声質の音響的な部分について分析的手法を使っては見ましたが、
芸術の魅力を理系的手法で分析すること自体、限界がありますよね。
まあ自分が面白いと思った観点が見つかればまたやってしまうかもしれませんが。

「彼女がクスっと笑ったりしたら、もう分析どころの騒ぎじゃないです。」
まあそういうことだと思いますよ。
これは真理さんに限ったことではなくて、ピアニストなどでも感じるのですが、
音楽においても、視覚からくる影響度はとても大きいと思われます。
それが好印象で聴覚的にもいい場合は文句無いんですが、
(視覚的に良すぎると音楽のことが二の次になる問題はありますけど)
時に視覚的に今一つで、聴覚的にいい場合、
聴く側の人間性が問われる気がします。

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