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2011年9月

2011年9月29日 (木)

天地真理52 水色の恋(4)

(2)「水色の恋」1974年ライブ版

ここでの歌唱は、何人かの方が既に述べられているように、
この曲の一つの完成形を示した、素晴らしいものだと思う。

へ長調。ファ(F)から始まる(シングル版より半音高い)。テンポ(四分音符)=87
アコースティックギターのみの伴奏によるシンプルな構成だが、
真正面からこの曲を歌いつくそうという意欲を感じさせる、入魂の表現だ。
(編曲は石川鷹彦さんと表記されているが、ギター演奏は吉川忠英さんと思われる。)
それはデビューシングルに比べて音程が半音高く設定されていることや、
テンポがここで取り上げた他の2回の時よりゆっくりに設定されていることからもうかがわれる。
最初の16小節をさらにテンポを落として、つぶやくように歌うこのやり方は、
「時間ですよ」第48回(1971年11月頃)で、自らのギターで歌ったやり方である。

  この「時間ですよ」で弾き語りした時の音程は、デビューシングルより逆に半音低い。
  つまりその時に比べ、1974年のライブ録音時は長1度(半音2つ分)高い。
  2階ベランダに腰掛けての、少し低い音程での「水色の恋」も
  落ち着きがあってとても素晴らしい。
  通常、デビュー時(より若い頃)の音程からは、
  下げることはあっても上げる例は少ないように思う。
  デビューから3年たったこの時期に、半音あげて取り組むこの曲への意気込みは
  如何ばかりだったろうか。

プレミアムボックスのライナーノーツによれば、
この1974年はレコードセールスが以前のように行かなくなり、
人気が陰り始めた年とある。
一方で、このライブ録音を行った1974年9月の3ヶ月前には、
「恋と海とTシャツと/恋人たちの港」と題された、内容的には素晴らしいアルバムが出ている。
そしてこのライブアルバムである。
レコードセールスがいかに当てにならないものか、
レコードを買ってくれるファンというものは、そこにある音楽そのものを買うのでは必ずしもない、
ということを、皮肉にも感じずにはおれない。


ギターの響きはいいものだと思う。
中高域の、多少金属音的響きが混ざった音が、
即興的な装飾音を交えて弾かれる一方、
ギターボディーにずしりと響く低音が、印象的なスライド奏法と共に、ベース音を際立たせる。
そんなイントロに乗せて、絶妙な音程とタイミングで「さよならの」と始まる。
そして、この声に、これまた絶妙なタイミングと強調のされ方でギターが絡んでくる。
この時点でこの音楽が、ただならぬ、素晴らしいクオリティのものであることを
約束しているかのようである。

この時の声の調子、そして音程が半音高いせいもあって、
とても透明感のある、爽やかで鮮やかな歌声だ。
「遠く去って 行く人に」のところで、微かにではあるが、翳りと憂いの陰かかかる。
そして「涙だけ」が、倍音を増して、
開き直りの心情を表すともとれるわずかな力強さを伴って発せられた後、
それと対照的に、「がー」が、ハッとするような透明感を持った、
倍音の少ない、ノンビブラートの声で発せられる。
ここでは、一瞬息をのむような感覚に襲われ、
涙だけが無機的に、自分の意思と関係なく、
しかも涙であるにもかかわらず何故かwetではなくdryな、
花びらのような印象を持って描写されているように感じる。
それが悲しみを、即時的な、感情の大きなうねりを伴ったものではなく、
どこか悲しみが昇華された後の余韻、あるいは、
心が定めを潔く受け止めた後の残像として表現しているかのように感じさせる。
私はそのような真理さんの悲しみの表現がとても気に入っている。

「飛んで行くの」が、きっぱりとした趣を漂わせる中、
最後の「のー」の声が、微かに倍音が加わった声質と、ゆったりとしたビブラートによって
余韻をもたらすように響く。
すばらしい。

続く、「さよならは お別れの 言葉だから」の所まで来ると、
この「言葉だか」の段階で既にそれが来たと気づくのだが、
「らー」が、声を伸ばすうちに、喉の一段深いところまで鳴っているかのような、
素晴らしい響きを出す。
これは以前に説明した、真理倍音Ⅰ(U4kO6k倍音)だ。
(4kHz未満の倍音がほぼむらなく出ていて、なおかつ6kHz以上(~9kHz)の倍音が弱く加わる。)

この音色は、デビューシングルにおいても部分的に、
またデビューアルバムの中でも、曲によっては見られるのだが、
ここに及んでそれは、より豊かな声量と輝きを持って繰り出されるようになった。
単にきれいに歌う、上手く歌うということだけでなく、
声の質的な響き一つで、音響的に聴き手をノックアウトしてしまう力をも、
この3年の間に、彼女は磨いてもきたのだということがわかる。

こんな素晴らしい声を聴かされた直後に、
「あなたの姿 あなたの声は いつまでも私の 想い出に」
とくれば誰だってやはり、”そのあなたは、あなたですよ”と思うのではないだろうか。



私はこのライブ録音に立ち会われた方々を本当にうらやましく思う。
ただ正直言って、私がもしこのライブの現場に居合わせたなら、
ここまでこの歌そのものに集中できただろうかという、一抹の疑念を抱く。
このライブで真理さんは、ほとんど普段着のような服装で、イスに腰掛け、
巨大な録音用マイクを前に歌ったようだが、
それでも恐らく私は、その中での彼女のちょっとしたしぐさ、表情、息づかいの方に
半分以上の注意を奪われたことだろう。

「プレミアムボックス」にはDVDが1枚付いていて、
「真理ちゃんシリーズ」の中で歌った時の映像を見ることができるが、
「プレミアムボックス」購入後初めてこれを見た時、
その中で何をどう歌ったのか、全くと言っていいくらい印象が残らなかった。
それよりも、おでんの鍋のにおいをかいだ時の表情などが頭から離れず、
それを何度も反芻してしまっていた。
今でも、この時の表情を題材に、長文を書く自信がなくもない。

彼女が優れた歌手として認知されていなかった理由、
また、最近になって昔のファンが彼女の歌を再評価し、
その歌の良さを、再認識というよりは初認識に近い感情を持つ理由のかなりの部分が、
この強烈な映像的魅力による、一種のカムフラージュ効果にあったのではないかと、
私は自戒とともに考えている。

ただ、そんな体たらくの場合であっても、
「あなたの姿 あなたの声は いつまでも私の 想い出に」
の中の、「あなたの姿」に比重を置いてこれを唱えれば、
やっぱり、”そのあなたは、あなたですよ”ということになる。
この歌は本当によくできている。

2011年9月21日 (水)

天地真理51 水色の恋(3)

天地真理さんのデビュー曲「水色の恋」は、
公式音源「プレミアムボックス」に5回現れるが、
そのうちの3つ、デビューシングル(アルバム版と同じ)、1974年、1976年のライブ版について
触れてみたい。

(1)「水色の恋」デビューシングル版(1971年録音)

ホ長調。ミ(E)から始まる。テンポ(四分音符)=115
印象的なエレキギターの前奏と、それに続くリズムギターの軽快な響き、
そして少し早目のテンポが、この長調の別れの曲を、明るいものとして特徴づけている。
少しかすれ気味の声、震えるようなビブラート、
さすがに初めての公式録音で多少のぎこちなさもあるが、
何ともまろやかな魅力的声とともに、そのひたむきな歌唱が心を打つ。

このシングルのB面「風を見た人」を聴いても、
その後の真理さんからすればちょっとびっくりするぐらいのひたむき路線だ。
真理さんは Joan Baez が好きだったそうだが、その影響を感じなくもない。
日本人で言えば、同じく Joan Baez に影響を受けたという森山良子さんに近い路線を
目指していたのだろうか。
デビュー時点でソニーからは既に「白雪姫」の称号をもらっていたのだが、
まだその後の明るい真理ちゃん路線が、歌としては固まってはいなかったことをうかがわせる。
ただ、これはどちらかが優れているといったことではなく、
どちらも私には魅力的に感じられるのだが。

デビュー前に「ちいさな私」を歌った時も、このひたむきな感じの歌い方が聴かれた。
デビューシングルを作る時、この曲を何度も録音し直したらしいが、
この歌唱は基本的には、彼女の音大付属校からアマチュア時代までの修行で積み上げてきたものの
集大成の一つと言っていいのではないだろうか。
この歌が含まれるデビューアルバム全体も、全曲がカバー曲であるせいもあるが、
その後のアルバムとはまた一味違った
その後の企画色にまだ染まり切っていない、
いろいろな可能性を秘めた、初々しくも貴重な魅力を持っているように思う。

最近YouTubeで、デビュー直後のラジオ番組でのこの曲の歌声を聴かせていただいたが、
ジャズカルテットらしき伴奏に乗って、実に堂々たる歌声を聴かせていた。
真理さんの声は、このような小編成のデリケートなサウンドにことさら良く調和する。
デビューシングルの歌い方とそっくりで、よほど繰り返し練習したことが窺われるが、
一番最後の「想い出に」のところのテンポの取り方などは、
シングルの時は少々作りすぎの感じがあったが、
ここではより洗練された感じで、
特に最後の「に」に入る瞬間のこぶしのような小さな装飾音的ポルタメントは、
当時はやった歌い回し方のような気もするが、
プロらしい味を感じさせるものだった。

前項で紹介したアマチュア時代の「ちいさな私」の歌声、
デビューシングルの歌声、
そして上記デビュー直後のラジオ番組での歌声を聴いているうちに、
なぜか私は、最近夜になると良く耳にするエンマコオロギの声を思い出した。
小さな体から発せられるその音は、
心地よく、柔らかだが、不思議と外から部屋の中まで響き渡ってくる。
ひょっとしたらこの豊かに聴こえる音量は、発声体そのものの力と、
聴く側の耳の選択的増幅作用によるものかもしれない。
この頃の真理さんの歌声の響きは、本質的にそのような味わいと響き方を持っている。
Charice Pempengco の強烈に響き渡る声が、トランペットのような金管楽器とすれば、
真理さんの声は、フルートのような木管楽器、あるいは時にオカリナのような陶器楽器を思わせる。
そんな真理さんの歌声の優れた特徴が、この時期の歌声に端的に感じられる。

私はこの時期に、彼女がこの歌を音楽番組で歌った映像を知らないのだが、
「時間ですよ」第48回(1971年11月頃)にギター弾き語りでこの歌を歌っているのを見ることができる。
次のシングル曲「小さな恋」をテレビの歌番組で歌った時の映像もそうだったのだが、
この曲を聴くと、真理さんが眉をハの字にして歌う表情が思い浮かぶ。
2番の歌詞「何故かしら 夢の中」の部分は、とても情感豊かに歌っているが、
このところなど、あのハの字眉で歌っているに違いないと思う。
どこかやさしそうで、一途な感じの人柄が窺えるようで、とても惹きつけられる。
これは、この時期の歌唱特有の魅力ではないかと思う。

印象的な歌詞、「あなたの姿 あなたの声は」の部分は、この歌の中で3回出てくるが、
さりげなく、やさしく歌う1回目、
かなり感情をこめて情熱的に歌う2回目、
そして少し毅然たるイメージをこめた3回目、
いずれも味わい深いものだ。
とりわけ、「あなたの姿」の部分は元気がいいのに、
「あなたの声は」の部分は、どこかはにかんだようなニュアンスで、
とても魅力的でかわいらしい。
マイナーコードの部分が元気よく、メジャーコードの部分がデリケートな感じなのも
真理さんらしい。

同じく3度出てくる「いつまでも私の想い出に」では、
初めの2回は、「私の」の一つ一つの音を切って表現している。
メゾ・スタッカート~音を保ちつつ切り離す~というのだろうか)
他の歌手なら泣きの一つも入るところかもしれないが、
次の「想い出に」との対照効果も出て、暗くならず、かといって軽くもなく、
いろいろな想いを聴き手にも抱かせる、優れた表現のように思う。
以下にあげる2つのライブ録音でも、この「私の」の部分は同様に
メゾ・スタッカートで歌っているが、
このデビューシングルの三回目では、何故か音をつなげて(レガートに)歌っている。
これは私の根も葉もない勘ぐりだが、
この最後の「私の想い出に」の部分の表現が、
今から思えば少々作りすぎの感じがしないでもないが、
レガートを用いて、言葉より音楽の流れを強調したり、
珍しく拍から言葉を大きくずらすなどすることによって、
どこか、”私は歌手ですよ”と、ここで宣言したかのような、
あるいは刻印を残したかのような気がしてならない。

2011年9月14日 (水)

天地真理50 水色の恋(2)

ご存知のようにこの曲は、天地真理さんがアマチュア時代に出会い、
自らもヤング720やオーディションで歌っていたものらしい。
ここら辺の事情はこちらこちらに詳しい。
作曲者:田上みどり、Feliciano Latasa  作詞:田上えり、Carlos Pesce 編曲:森岡賢一郎 とある。
天地真理さんがアマチュア時代に歌った貴重な歌声がここに残っているが、
細かいところでデビューシングルの曲と異なっている。
つまり編曲者 森岡賢一郎さんの手がメロディーラインにも加わっている。
さらにこれの原曲は、作曲者の一人に併記されている
Feliciano Latasa の「Hotel_Victoria」なのだそうだが、
類似しているのは初めの8小節のみである。
恐らく、タンゴの世界ではこれをモチーフと言い、
ここが同じならその後の展開がどうであっても同じものだという主張なのだろう。
「Hotel_Victoria」の初演は1906年なのだそうだが、
この記事によれば、どうもそのメロディの由来はもっと古く、スペインの作者不明の曲を
Latasaか誰かがタンゴに取り入れた、ということらしい。

大いにいわくつきのこの曲だが、ここで、
印象的な歌詞と並んで、その歌詞を非常に効果的に印象付けるメロディー、
そしてその背後にあるコード進行に注目してみたい。

この曲は長調である。
従って、別れの曲であるにもかかわらず、
どこかすがすがしく、爽やかな印象を受ける。
しかし、ただあっけらかんとした朗らかさではなく、
憂いや、想い出に揺れ動く心情などが
歌詞と絡み合って、音楽としても表現されている。
これは長調の中での、メジャー(長調)コードとマイナー(短調)コードとの
絡み合いからくる効果ではないかと思う。
そしてとりわけこの曲では、時々ハッとするようなメジャーコードの使われ方が
救いや希望のような感覚をもたらすことに有効に働いているように思う。

真理さんはデビューシングルではホ長調で歌っているが、
認識しやすいように、ハ長調に移調してコードを示してみる。

C              CM7        C6             Dm
さよならの 言葉さえ 言えなかったの
G7        Dm           G7          C
白雪姫 みたいな 心しかない私
C              CM7        C6     Dm
遠く去って 行く人に 涙だけが
F      Fm   C     (Am)  D7     G7  C
ひとしずく ひとしずく 飛んで行くの

C              CM7        C6             Dm
あの人に さよならを 言わなかったの
Dm           Dm7         G7         (Gm7)  A7
さよならは お別れの ことばだから
Dm       Fm  C          A7
あなたの姿 あなたの声は
Dm      Dm7 (F) G   G7     C
いつまでも   私の 想い出に

ご存知のように、主要三和音というものがある。
ドミソ、ドファラ、シレソ の和音で、コードネームで言うとそれぞれ、C、F、G である。
昔の童謡などはこの三和音だけで出来ているものも多い。
これだけだと、あっけらかんとした明るい曲となる。
長調なのに別れの曲としての憂いを持った情感をこめられるのは、
マイナーコードが効果的に混ざっているところにある。

旋律と無関係にコードは付けられないので、
マイナーコードがうまくあてはまるような旋律線を持つ、と言い換えてもいい。

C              CM7        C6             Dm
さよならの 言葉さえ 言えなかったの

この部分では、Cのコードの一部の音だけが7th、6thと変わっていくことによって
どこか落ち着かない、不安なイメージが増していく。
C6というコードはAm7と構成音は同じである。
つまりこのフレーズはこの調で最も安定した印象を与える主和音(トニック)のC(メジャーコード)から
一音ずつ変化していって、Dm(マイナーコード)に落ち着く。
これによって「さよならを言えなかった憂い」が、話し言葉としての無理な強調をしなくとも
自然と、しかしむしろ音楽の力によって心の深いところに有効に届く。

G7        Dm           G7          C
白雪姫 みたいな 心しかない私

G7という和音は不安定な響きで、Cに戻りたいという、
宙ぶらりんな印象を抱かせるが、
さらにそのG7の間にマイナーコードDmが挟まることで、
心残りのある、憂いの気持を思わせるとともに、
「白雪姫」というキーワードが、どこか意味深な印象を与える。

C              CM7        C6     Dm
遠く去って 行く人に 涙だけが

このフレーズの最後の「が」の音は、
田上みどりさん作曲の原曲と変わったところの一つだ。
最初のフレーズと音は同じで、オクターブ上がっただけなのだが、
歌ってみるとなぜか非常に音程を合わせにくい。

F      Fm   C     (Am)  D7     G7  C
ひとしずく ひとしずく 飛んで行くの

このフレーズはメロディーラインとしてとても魅力的なものだ。
F→Fm→C とマイナーコードを挟んで変わっていくコードは
「ひとしずく」という素晴らしい歌詞に、何とも言えない音楽的「味」を加えている。
2つ目の「ひとしずく」は、公式音源ではいずれもコードCで通されているが、
後半にAmをつけても面白いと思っている。

そして「飛んで」の部分のD7が、ハッとするような効果を与えている。
ハ長調の音階にない音(ファ#)が使われるメジャーコードである。
これが、どこか転調したかのような、不思議な爽快感を与える。
この部分の2番の歌詞も同様だが、歌詞的には未練を象徴するような言葉が
このようなコードに乗せて歌われることで、
この曲を、未練がましい悲しい別れの歌から、
メルヘン的な、悲しみが昇華された爽やかさを持った歌へと救い出しているように感じられる。
「飛んで」の部分のD7のかわりに、マイナーコードDmも使える。
参考のためにこの2種類のコードでこの部分の音を作ってみた。
3rdの音がファかファ#かの違いだけなのだが、
どのような印象の違いになるか、ご確認いただきたい。
(その部分の音を少々強調してある。)

Dmを使った場合:
F      Fm   C     (Am) 
Dm     G7  C
ひとしずく ひとしずく 飛んで行くの


D7を使った場合:
F      Fm   C     (Am) 
D7     G7  C
ひとしずく ひとしずく 飛んで行くの


Dmの方は、別れの曲としては自然な感じだが、
D7を使った方が、どこか爽やかさ、鮮やかさが感じられるのではないだろうか。


  面白いことに、この部分のコードは、
  公式音源のデビューシングルと1976年ライヴでは、
  わざわざエレキギターで3rdの単音をつけてのD7が使われているが、
  1974年ライブ(編曲は石川鷹彦と表記されている)の吉川忠英さん(石川鷹彦さんかもしれない)の
  ギター伴奏ではDmが使われている。
  これもまたいいのだが。

C              CM7        C6             Dm
あの人に さよならを 言わなかったの

回想的な憂いを含んだ前半に対し、
「言えなかったの」が
「言わなかったの」へと「わ」一文字が代わるだけで
一転、意思と思いを表明する、鮮やかな歌詞の転換技法だ。
それとともに、永遠に我々の心に残る歌詞へと続く。
上記のアマチュア時代に歌った記録では、この後半部分が聴けないので、
これが
作曲者 田上みどりさんのオリジナルによるものなのか、
森岡賢一郎さんの編曲によるものなのか定かではないが、
歌詞と共に楽曲としても、とても素晴らしく出来上がっていると思う。


Dm           Dm7         G7         (Gm7)  A7
さよならは お別れの ことばだから

今度はDm→Dm7→(Gm7)→A7 とマイナーコードから1音ずつ変化した後
メジャーコードへとつながる。
これは憂いから開き直っていく心情によくマッチしており、
このフレーズの歌詞に力強さを与えている。
最後のA7も、ハッとするような効果をもたらしているのではないだろうか。
ハ長調の音階にない音(ド#)が使われるメジャーコードである。
さらに、普通のコードブックには表示されていないが、
「ことばだからー」の「らー」部分での印象的なストリングスの調べに伴って
このA7の前にGm7が入っているようだ。
この辺は森岡賢一郎さんの編曲の腕によるものだろうが
単純にDm7からA7に行くよりも、一味深まっている。
参考のために、
A7の前にGm7が入らない場合と入る場合の音を作ってみた。

Dm           Dm7         G7          A7
さよならは お別れの ことばだから



Dm           Dm7         G7           Gm7  A7
さよならは お別れの ことばだから



Gm7が入らずに直接A7に行く方は、ストレートな切り替わりという感じだが、
間にGm7が入ると、一度曇るためにかえってA7へ移行した時の鮮やかさが増すように思う。 

Dm       Fm  C          A7
あなたの姿 あなたの声は

歌詞としても、曲としてもクライマックスを迎えるこのフレーズを
真理さんはデビューシングルで、とても情感豊かに歌っている。
Dm→Fm と、またC→A7と移行するちょっとした意外性は、
これもハ長調の音階にない音を含むFmとA7への移行効果だろう。
あたかも転調を繰り返しているかのような、
揺れ動くように切り替わる和声の響きが
切なさを秘めながらも前向きに生きていこうとする心情を、
心の深いところで揺さぶるように高めていると思う。

Dm      Dm7 (F) G   G7     C
いつまでも   私の 想い出に

Dmはこの曲に頻出する、憂いの側を受け持つ基底となるマイナーコードだ。
そこから Dm7→(F) G→G7→Cと主和音(トニック)へ解決していくことで、
この別れの曲が、悲しみや憂い、切なさを含みながらも、
何か救いの象徴としての「姿」「声」「想い出」を、前向きな希望として印象付けている。
曲としては主和音(トニック)へと解決しながらも、
歌詞としては「想い出に」と未完に終わることで、
どこか我々の心に尾を引いて残る、想いの残像、想いの余韻のようなものが
心地よく漂い続けるのではないだろうか。

2011年9月 2日 (金)

天地真理49 水色の恋(1)

「不世出の証」終了以降、天地真理さんの歌に関する記述が減っていた。
今年1/1に始めたこのブログは、せめて真理さんのデビュー40周年記念日に当たる
10/1までもたせたいと思っていたが、
気がつけばもうすぐその10/1がやってくる。
既にいろいろな形で公表されている諸先輩方の思いや考察との重複など顧みず、
あの歌についても、この歌についても、
自分の思いの丈をぶちまけたいと思っていたが、
「不世出の証」で取り上げたもの以外、それらに触れることなくここまで来てしまった。
少々回り道が過ぎた感はあるが、
再びそれぞれの曲について、私の勝手な想いを述べさせていただこうと思う。
10/1が来てしまうと、また少々うわずった記述も現れるとは思うが。


どの歌手にとっても、デビュー曲は特別な意味を持つ。
とりわけその曲がヒットに結びつき、歌手としての人生の道を開いてくれたものともなれば、
その歌への感謝は並大抵のものではないだろう。
デビュー曲とは、必ずしもその人がプロとして最初に歌った曲ではないようだ。
下積み時代の長かった歌手は、いくつかの曲を経て、歌手名まで替えて、
ようやくつかんだヒット曲をデビュー曲と呼ぶ場合も多い。

石川さゆりさんは「かくれんぼ」という曲がデビュー曲なのだそうだ。
しかしこれも含めて14枚のシングルがあまり売れず、
次の「津軽海峡・冬景色」で初めてスターダムにのし上がった。
その意味では、「津軽海峡・冬景色」こそ、この方の実質的なデビュー曲であるのだろう。
あるテレビのインタビューでこの方が、そのあまり売れない時期に、
一つでもヒット曲が出るまで続けよう、ヒット曲が出たらやめよう、
と思っていたと、語っておられた。
ひとたびヒット曲が出たら出たで、一発屋で終わりたくないと、また意欲が出たとのことだが。
このような下積みの長い方々にとっては、デビュー曲は努力の一つの終着点である(パターン①)。
本当にこれが終着点で、これで終わる歌手もいる。
あるいは、ヒット曲と言ったらデビュー”ヒット”曲だけだが、
その後、歌番組や地方公演などで長く歌手生活を続ける方もいる。

美空ひばりさんのデビュー曲は「河童ブギウギ」なのだそうだ。
ただ、実質的なデビュー”ヒット”曲はその次の「悲しき口笛」のようだ。
ご本人談でも、それまでのものまね路線から初めて自分のために本格的に作られた曲として
この曲をあげておられた。
しかし、このような方の場合、デビュー曲が何かというのはもうどうでもいいという感じさえする。
言ってみればデビュー曲は、その後の大きな経歴から見れば、小さな出発点である(パターン②)。

上記のものと分類の仕方が異なるが、
天地真理さん以降の、いわゆるアイドル歌手のデビュー曲は、
どちらかと言えば企画先行の、後に聴けば少々(時に大いに)恥ずかしい、
青春の思い出としてファンの胸に刻まれるタイプのものが多い(パターン③)
真理さんと合わせて3人娘と称された、
小柳ルミ子さんの「わたしの城下町」、南沙織さんの「17才」は、
多少の気恥ずかしさはあるだろうが、比較的冷静に聴ける類いの曲である。
キャンディーズのデビュー曲「あなたに夢中」は、スーさんがセンターにいたなど、
ファンにとってはいろいろな感慨もあるだろうが、
歌手にとっても、ファンにとっても、恥ずかしくも懐かしい青春の思い出として刻まれるタイプだろう。
山口百恵さんのデビュー曲は「としごろ」だが、デビュー”ヒット”曲はその次の「青い果実」だろう。
これなど、賭けに近い企画物の最たるものだ。
後にご本人も、「こんな詩、歌うんですか」と内心思ったことを述懐されている。
幸か不幸か、大きく時を経てご本人がこの歌を歌うことはなく、今後もないだろうが、
ご本人も歌い辛いと思われるデビュー曲を持つアイドル歌手は多いように思われる。


さて、天地真理さんのデビュー曲はどうだろうか。
幸いにも真理さんの場合、公式録音の最初のシングルが大ヒットしたのだが、
元祖アイドルと言ってもいい存在であるにもかかわらず、
いわゆるアイドル歌手のデビュー曲(パターン③)とはかなり趣を異にする曲である。
同じ渡辺プロの先輩格に当たる、小柳ルミ子さん、南沙織さんのデビュー曲に比べても、
どちらかと言えば地味で、青春の気恥ずかしさなど感じる余地のない、
アイドル路線としての企画臭のない、冷静な、立派な曲だ。
その後の活躍などを考えると、パターン②にあたる、小さな出発点型だろう。
だが大方の天地真理ファンと同様(だと私が思っているのだが)、
この「水色の恋」という曲は、上記のような分類にはまらない、大きな意味を持っている。

天地真理さんがこのデビュー曲を発表したのは、私が中学1年生の時である。
その時点でどれだけ真理さんに、あるいはこの「水色の恋」という曲に、
私が注目したのか、記憶が定かでない。
別項で述べるように、私にとって彼女を強く意識し始めたのは
3つ目のシングル「ひとりじゃないの」からである。
従って、このデビュー曲に青春の思い出のようなものはあまりない。
ところが今、天地真理の歌として最も重要な、最も忘れ難い曲として一つを挙げろと言われれば、
私は躊躇なくこのデビュー曲「水色の恋」を挙げる。
それはひとえに、この曲の歌詞、

  あの人にさよならを 言わなかったの
  さよならは お別れの言葉だから
  あなたの姿 あなたの声は
  いつまでも 私の想い出に

にある。
長調の、どちらかと言えば素朴な曲調に乗せて歌われるこの詩を聴くたびに、
天地真理さんがこの歌に出会った奇跡、この歌をデビュー曲に選んだ奇跡、
そしてそれが認められて実際にデビューシングルとなった奇跡を噛みしめずにはおれない。
この曲は、遠い青春の思い出とか、小さな出発点とかいった、
過去の、ある固定された存在ではなく、
聴くたびに、心の中で、年々そのありがたみが膨らんでいく、
そんな不思議なデビュー曲だ。

それは、私自身が真理さんの歌を再評価し、その偉大さ、その価値に気付き、
聴けば聴くほどその良さに心酔していくとともに、
それを少しでも多くの人にわかってもらおうと駄文を露するにつれて、
そして、大衆レベル、業界レベルでの、その歌への評価の低さ、
彼女の人生の、私から見たある種のやるせなさ、
歌が以前のようには歌えなくなってしまった不条理さ、
そのような思うに任せないことがらが私の頭から離れない中でも、
彼女は言い訳も抵抗もせず健気に生きている、
そのことに対し、この曲があるじゃないの、
この詩は、真理さんを思うすべてのファンの、真理さんへの気持だと、
私が心の中で繰り返し唱えるにつれて、この曲は私の中で大きな存在となっていくのだ。

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