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2011年8月13日 (土)

天地真理46 辻井伸行さんの自作集

私はつい先日、辻井伸行さんの新作CD「神様のカルテ~辻井伸行自作集」を購入した。
私は彼の今までのCDはすべて持っているし、彼が出るテレビ番組はほぼすべてチェックしている。
従ってこのCDが発売された時も購入を考えたが、どうも気乗りがせずにそのままにしておいた。
その理由は、私はまずイージーリスニング的なピアノ音楽があまり好きでないことがある。
別に嫌いではないが、すぐに飽きてしまうのだ。
このCDに収められている曲も、以前聴いた印象や(既録音の再リリースが5曲入っている)、
アマゾンでの試聴から、それに類する音楽と思えて、買うまでのことはないのではと躊躇していた。
もう一つは、「たけしのアート☆ビート」という番組でこのCDに収められている曲の録音風景が映り、
少々疑問を持ってしまったからだ。

そのような気持ちから一転、このCDを買う気になったのは、
このブログにもコメントをいただいたことがある、アメリカ在住の辻井伸行ファン、
M.L.Liu さんの記事を読んだからである。
この方は、
Nobuyuki Tsujii Fans 辻井伸行ファンサイト」(https://sites.google.com/site/nobufans/)
というWebsiteを作っておられ、
大変精力的に辻井さんの情報を発信し、また自ら批評文も書いておられる。
このWebsiteには、
 ・辻井さんに関する ニュース(日本のものも含めて)
 ・辻井さんのコンサート、マスコミ出演予報
   (驚くべきことに日本のテレビ放送だけでなく、ラジオ放送もフォローされている)
 ・辻井さんに関するFAQ(これが結構勉強になる)
 ・海外での批評記事
 ・YouTubeなどの動画のリストと在り処
 ・他のWebやブログ上での記事やコメントの紹介
   (日本語での表示だけでなく、英文訳まで付けておられる)
などが載せられている。
最初のページ「Nobuyuki Tsujii News 辻井伸行 ニュース」だけでも、
日本の辻井伸行ファンはフォローする価値があると思われる。
ほぼ毎日、何らかの情報が更新されているようだ。
もっとも今は、それだけ辻井さんの情報がどこからか湧いて出ているからなのだが。

私が今回注目した Liu さんの記事は、
神様のカルテ~辻井伸行 自作集 - one person's thoughts
https://sites.google.com/site/nobufans/nobuyuki-audios/nobuyuki-tsujii-works-2000-2011
である。
ここでこの方は、
世界的なピアニストとして歩み出したばかりの辻井さんにとって、作曲に注力することに懐疑的であること、
自作作品はまだ不完全で、似たようなフレーズが多く、優しすぎること、
「コルトナの朝」や「風がはこんできたもの」は、以前のヴァージョンでの魅力的な部分が改変されていて不満であること、
などを書かれている。
一方、このCDを、実際のところ心地よく聴いていること、
聴くうちに彼ならではの良さに気付いてきていること、などを語られている。
何より、この方は、これらの曲を通じて、
辻井さんが優しさと愛らしさを歌ってくれているように感じること、
そしてこの世の中が、彼が心の目で見るもの(ここで歌ってくれているもの)
のようにはいかない悲しさをも感じておられる。

私はこの記事を読んで、辻井さんが心の目で何を見て、どう表現しているのか、
まとまった形で聴いてみてもよいと思った。
それと同時に、Liuさんが感じておられる不満や不安を、
これを聴きながら自分なりに考えてみてもよいと思うようになった。


私は、このCDに収められている曲はすべて、
作曲家が身を削るようにして作り上げるような作曲というよりはむしろ、
辻井さんが経験した印象的な出来事、場面、情景に彼の感性が反応して、
彼の類い稀な音楽的センスと共鳴して、短時間で出来上がった即興曲集ととらえている。
従って細かい類似性、稚拙さ、饒舌さがあっても、それをとやかくあげつらう気になれない。
むしろ私はこれらの曲を通じて、彼は何を感じたかについて思いをはせ、
彼が聴覚と触覚とから感じ取った情景や雰囲気を楽しみたいと思う。
また、恐らく軽々とこれらのことをやってのけているように見受けられることから考えると、
これらの作曲そのものが、彼のクラシック演奏家としての活動に影響を与えるとは思わない。
むしろ私は、彼の演奏会において、アンコール曲としてこれらの自作曲を弾くことは
良いことではないかと考えている。

ずいぶん前にキーシンが日本に来た時の演奏会で、
アンコールに日本の唱歌を三枝 成彰さんがピアノアレンジしたものを弾いていて、
とてもいい印象を持ったことを覚えている。
ピアノ音楽を楽しむ雰囲気にあふれていた。

ホロヴィッツも自作曲を弾いたりしているが、
彼の編曲作品が、当時の聴衆に大変な喜びを与えたことは周知である。
「展覧会の絵」「死の舞踏」そしていくつかの「ハンガリア狂詩曲」。
これらがあるとないで、演奏会の魅力は大きく変わっただろう。
もちろん、レコードでしか聴けなかった私も大いに楽しんだ。
私はホロヴィッツの1986年の2度目の日本公演を聴いたが、
終わった後、聴衆が皆ニコニコと、実に楽しげに帰っていったのを今でも覚えている。
この時のアンコールは、シューベルトの楽興の時と、
コーダを少々変更したモシュコフスキーの練習曲を弾いたぐらいだったが、
聴衆をひきつけ、時に笑いを誘うぐらいのユーモアがあり、
演奏会を皆が本当に楽しんだ、という雰囲気が感じられた。
クラシックの演奏会は、実際のところ退屈で、しかつめらしいことも多い。
しかし、ホロヴィッツが常々言っていたように、音楽は本来楽しくあるべきだ。
もちろん本プログラムでは、口うるさい論客も唸らせ、黙らせるクオリティが必須だが、
アンコールなどでは、音楽を心から楽しいと思える演出もほしい。
そして辻井さんは今、それができる数少ないピアニストだと思う。
このことに、彼の自作物は大いに貢献するだろう。
それはアメリカでのコンサートの模様を映したこの映像を見てもよくわかる。
もちろん、本プログラムの演奏クオリティが維持されることが前提だが、
私はアンコールなどでこのような曲を弾くことは、
決して彼のクラシック音楽家としてのキャリアに害を与えるものではなく、
むしろ彼のコンサートの魅力を大いに高めるものだと思っている。


ただ、気になることもある。
Liuさんは以前の「Summer Thoughts and Worries」という記事で、
辻井さんに関する4つの心配ごとを述べておられた。
それは次のようなものである。
  ①最近の演奏会で珍しく何度かミスタッチをした。作曲で彼の時間と集中力を奪われていないか。
    ピアノ演奏にプライオリティをおいてほしい。
  ②もうピアノ指導を受けなくてよいのか、作曲するならそれもきちんと習う必要がある。
  ③嫉妬からくる悪評が増えているように思う。マスコミに出過ぎではないか。
  ④所属の音楽事務所avex-CLASSICSは大丈夫か。
   クラシックのキャリアを積む上で本当に彼の力になれるか。
   クラシック以外の方へ引っ張っているのではないか。

この方の心配は全く的を得ている。
そして私は正直、辻井さんがうらやましい。
同時代にここまで彼のことを真剣に思い、心配し、愛情を持って批評してくれる人がいるのだ。
私は辻井さんに関するインターネットの記事をあまりフォローしておらず、
従って、日本のファンの方々がどのように語り合っておられるのか知らないのだが、
もう少し日本のファンの受け止め方を私自身勉強する必要もあるようにも思う。
日本のファンの中にも同様に心配しておられる方がいるだろう。


まずうがった見方をすれば、このCDは、
映画「神様のカルテ」の興行を成功させるためのものだ。
そして私が信用できないテレビとのかかわり、テレビのドラマ音楽、そしてCM音楽がある。
今はまだ、「神様のカルテ」を除けば、彼が自らの動機で作った曲を、
流用している印象はある。
しかし私は、このようなテレビの、しかも音楽番組でないものへ関わりを持つことに
一抹の不安を感じる。

さらに、このCDを買うことを躊躇した理由の一つとして挙げた、
「たけしのアート☆ビート」という番組では、「コルトナの朝」の録音風景があった。
そこで、プロデューサーとレコーディング・ディレクターが、
ここはもう少し盛り上げて、ここはリズミックに、
そしてTake2と最終Takeをつなげたいなどと話していた。
この方々は、このCDが売れるように、この曲がより多くの大衆に受け入れられるように、
職務に忠実に、そして誠実に最大限の努力をしていることは理解できた。
しかしそれがあだとなることが、音楽の世界では往々にしてあるのだ。
これが「神様のカルテ」のような映画音楽として使われるものなら、
映画監督が、映画のシーンや構想などに従って音楽担当の辻井さんに注文を出すことはわかる。
しかし「コルトナの朝」という即興曲は、辻井さんがイタリアを旅した時の印象を音楽にしたものではないのか。
ならば、これらの方々がどんなに高名で偉大な
方々であっても、
その人がいじった音楽ではなくて、辻井さんの感性そのものを私は聴きたい。
なぜ、そのような音楽にまでこの人たちは口出しするのか。
むしろだまって、辻井さんにしっかりと各Takeを聴かせ、
自らのイメージに合致するのかを問い、納得いくまで吟味させるべきではないのか。
私は辻井さんが作曲することや、それを披露することに全く異論はない。
ただ、こういう風に自作集を出すとなった時に、
わけのわからない人がいろいろ口出しをして捻じ曲げられてしまう、
そのことが我慢ならないのだ。

そして、あいた口がふさがらないのが、
辻井さんが、浜崎あゆみさんの歌の伴奏をしていることである。
ご存知のように浜崎あゆみさんはエイベックスグループを業界の一大勢力に押し上げた
最大の功労者である。
そして辻井さんが所属するレーベルがavex-CLASSICSだ。
悪いことに、私はこの浜崎あゆみという歌手の声や歌い方があまり好きでない。
これは好き嫌いの問題であるから、ファンの方がおられたら受け流していただきたい。
もし辻井さんがこの歌手を好きで、自ら伴奏を買って出たのなら何も言わない。
しかし、グループを挙げて持ち上げている歌手のプロジェクトの一環として、
今人気の辻井さんが担ぎ出された感は否めない。
Liuさんの心配は的中しているのだ。


私はふと、Liuさんが辻井さんのCDなどをすべて持っておられることを思い出して、
米国Amazon.comで、辻井さんのCD、DVDを検索してみた。
「A Surprise in Texas (2010)」というクライバーンコンクールのドキュメンタリーDVDを除いて
すべて輸入盤が並んでいる。

クライバーンコンクール優勝直後に、ピアニストの中村紘子さんが
辻井さんは少なくともアメリカではスーパースターになるのではないかと言っていた。
実際、上でも紹介したこの映像ではアメリカの聴衆がとても魅了されていることがわかる。
ヨーロッパでも評判が良かったことが伝えられている。
しかし、そのような海外のファンは、辻井さんのCDを輸入盤でしか得られないのだ。
しかもライナーノーツは日本語のみである。

例えば「展覧会の絵」(CD1枚)はアメリカでは$44.99
チャイコフスキーの協奏曲(CD1枚)は$40.54 だ。
1$77円としても$44.99は3464円だから、これは相当高い。
アメリカでは、ヴォロドスの最新CD1枚が$10.96、2枚組CDが$16.98(Sony Classical)
ポリーニのCD1枚が$13.34、2枚組が$16.67(Deutsche Grammophon)だ。
海外のファンは法外な価格で辻井さんのCDを手に入れているのである。
しかも、付属のDVDはアメリカでは規格が異なるため(普通のやり方では)見れない。
きくところによると、Liuさんは日本のアマゾンから直接購入しておられるらしい。
日本アマゾンから直接買うと北米向けは2000円、ヨーロッパ向けは3000円の送料がかかる。
従って3000円のCDは、アメリカで購入すると送料込で5000円、実に$64.94だ。
Liuさんは、辻井さんのCDは、それに値するとおっしゃっているが、
avex-CLASSICSはどれだけ海外ファンのことを考慮しているだろう。
英訳したライナーノーツをつけることぐらい簡単にできる。
DVDも別途配信するなど、手はいくらでもあるだろう。
世界視野で考えた時、avex-CLASSICSは辻井さんの価値に応えきれていない。
そしてクライバーンコンクール優勝のオプションである3年間の海外演奏機会はもうじき終わる。
その後、世界へのチャネルは確保されるのだろうか。
世界規模で見た時、avex-CLASSICSは辻井さんのファン拡大、魅力浸透の機会を損なっているように思える。
これはテレビや歌手伴奏などに引き込む以上に罪が大きいだろう。
(その後、新たな展開があった。次の記事をご参照のこと。)


この自作集のCDについて、日本アマゾンでの評に、辻井さんの”本領は「創作者」であると思う”
という意見があった。
私は、辻井さんの感受性と、それをやすやすと音楽にしてしまう能力、
そしてそれをなんのてらいもなく披露してしまう素直さに大きな魅力を感じる。
また辻井さん本人も、音楽においてクラシックだけを特別視しているわけではないのだろう。
彼はピアノで生きていきたいのであって、
歌謡曲でも演歌でも、ジャズでも同じ音楽として彼は楽しみ、表現する。
私はそれ自体はとてもいいことだと思う。
彼をクラシック音楽という狭い空間に閉じ込める必要は全くないと思う。

しかし以下に述べる2つの観点で私は、
辻井さんはクラシックの世界に軸足を置き、
そこで身を削るような精進をしてほしいと考える。

その一つは、辻井さんのクラシック音楽界における価値は、
いま日本で考えられているよりはるかに高いと、私は思っているからだ。
ホロヴィッツ、リヒテルに次ぐ、恐らくリパッティに匹敵する、
心底人を感動させる音楽性と技術を持っていると思う。
これらの人の残した演奏は、その貧弱な音質にもかかわらず、
世紀を超えて愛され続けているのだ。
辻井さんがきちんと精進し、その結果をきちんと記録して世界に配給できれば
必ずそうなると思う。
私はもっといろいろなクラシックの曲を辻井さんに弾いてもらいたい。
そして歴史に残る決定盤を一つでも多く残してもらいたい。
それは時代を超えて愛されるもの、かけがえのない文化遺産になり、
辻井さんがこの世に生を受けた立派な証ともなるのだ。
その価値から考えれば、何にプライオリティを置くべきか、議論の余地はないだろう。

avex-CLASSICSというレーベルは、辻井さんの歴史的、決定的名盤を残そうという気概があるだろうか。


もう一つは、ここ半年彼が力を注ぎ、関係を深めている映画、テレビ業界とは
上手く付き合ってほしい、それを上手く利用してほしいが、
そこにプライオリティを置くことは非常に危険だ、ということだ。
もちろん一番悪いことは、世に知れないこと、売れないことだ。
しかし辻井さんはもはや十分それを達成した。
これ以上を求め、とりわけテレビ業界と付き合いを深めることは、
かえって彼の音楽家としての寿命を縮めることになるだろう。
言うまでもないが、今彼をテレビで使うのは、
彼が全盲であり、国際コンクール覇者であって実力があり、素直で明るい性格があるからだ。
そして作曲、即興という格好のエンターテインメント性を持っているからだ。
しかし、それがどんなに素晴らしくとも、またその実力を維持していても、
クラシック音楽家としての実力に陰りが見え、全盲であることやその愛すべき性格に飽きられたら、
恐らく潮が引くように関係者は去っていくだろう。
それだけでなく、芸能マスコミから、人気者の末路としての酷い洗礼を受けるだろう。
幸いなことに、彼は劣悪な雑誌やネット雑言を直接見ることはないだろうが。
私はテレビに出るなと言っているのではない。
必要なのは飽きられないように、かといって忘れ去られないように、
十分制御された形でつきあってもらいたい。
そこは決してプライオリティを置くに値する世界ではないということだ。
このことは、このブログの主人公である天地真理さんが身を持って示してくれたことであり、
その後の多くの人気者がたどった末路を見れば、何が賢明かは明らかだ。

私が注文するとすれば、
辻井さんがクラシックの世界に軸足を置き、そこで精進していくためには、
彼の作品をもっとわかりやすく、手に入れやすい形で世界に配信、配給し、
世界のファン、批評家からのフィードバックを受ける仕組みを作ることだと思う。
彼はもっと海外の厳しくも正しい声にさらされるべきだ。もちろん称賛の声にも。
彼の、クライバーンコンクールでの演奏は素晴らしく、
その記録のCDは歴史に残る名盤だと思う。
しかし正直にいえば、それに前後するavex-CLASSICSからのCDには、
部分的に素晴らしい演奏はあるものの、決定盤と呼べるものはまだないと思っている。
むしろコンクール後のライブに、決定盤となりえる演奏があったのではないか。
私は2009
 年12月3日に、下野竜也指揮で読響と共にオーチャードホールで演奏した
ラフマニノフの協奏曲第2番が
とても素晴らしかったと記憶している。
私にとっての、この曲の決定盤、リヒテル=ヴィロツキ盤(1959年)
に比べても、
その重量感と迫力のある音や豪快なリズム、深刻さ、には敵わないが、
引きしまったテンポの中に、はるかに美しい音、はるかに自然で魅力的なニュアンスなどがあふれ、
全体としてみて、十分肩を並べるうる見事な出来だったと思っている。
 
彼の気質、実力を信じるなら、もっとライブ録音を残してほしい。
とんでもない名演が生まれることを期待して、無駄を覚悟で毎回録音してほしい。
そして自作物を残すなら、もっと作った直後のみずみずしいものをこそ残してほしい。
新興レーベルとして、辻井さんに合った努力をしてもらいたい。

今年の11月に辻井さんはカーネギーホールにデビューする。
カーネギーホールはクラシック演奏家にとって特別な意味がある。
クライバーンコンクールに臨む時のように、身を削るような準備をしているだろうか。
そしてその実況録音はきちんと残されるだろうか、
それは世界に配信、配給されるだろうか、
さらには、それへの世界からの批評を、良くも悪くも、彼は受け取ることができるだろうか。
彼はそこで、クラシックの殿堂の偉大さや重さと、
これから乗り越えるべき、やりがいのある壁を感じることが出来るだろうか。
私は注目したいと思う。


最後に、この曲集への私の印象を書き留めておきたい。
この曲集の中では、旧作の
「ロックフェラーの天使の羽」、「セーヌ川のロンド」、「川のささやき」
あたりが、作品としてみた時、独創性や完成度が高いように思う。
だが「風の家」の、どこかで聴いたようなメロディが頭から離れないのも事実だ。
冒頭とエンディングの、種類の異なる「風」を思わせるフレーズが印象的だし、
どこかで聴いたような複数のメロディの断片が流れることで、
風の家で起きた、ショパンを取り巻く幸せな出来事の情景が、
どこかメルヘンチックに、あるいは走馬灯のように
現れては消える、不思議な魅力を持った作品に仕上がっていると思う。
「神様のカルテ=手紙=」では、メロディが見え隠れする語り口のうまさと、
ピアノの音の美しさにほれぼれする。
全体として、イージーリスニング(あるいはヒーリング)的ではあるが、
辻井さんの音楽には、ただ単に心地よい音や和音を並べただけでない、
はっきりとした対象に対する描写力の素晴らしさ、物語的な能弁さがある。
そして「ショパンへのオマージュ」や「それでも、生きてゆく」などを聴くと、
彼が心の目で見たもの、あるいは心の奥底で感じた何かを伝えようとする
力強い意志のようなものを感じずにはおれない。
イージーリスニング的ではあるが、決してイージーでなないものが、
これらの音楽の中には流れていると思うのだが、どうだろうか。

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コメント

Shin-san - I don't know how to thank you for spending so much time writing about Tsujii-san's new CD, at my request. I had not expected an entire essay about it, and such a lengthy and thoughtful one at that - clearly written from the heart. I regret that I do not read Japanese but by using "google translate" I was able to understand your thoughts.

I am glad you appreciate Tsujii-san's talent as a composer. Like you, I would never have bought the new CD if not for him, as I generally have no love for easy-listening music. But, as you wrote, this collection is not just easy-listening music, but it reflects Tsujii-san's perception of the world and conveys his thoughts that he could not otherwise express. I think the album is a remarkable work, even though I don't consider all the music perfect.

I am especially grateful for your opinion on Avex Classics. Without understanding every sentence you wrote, I think you speak very eloquently what I have been concerned about Tsujii-san's record label.
For me, my biggest concern is not so much that Avex Classics does not make it easy for foreigners to buy Tsujii-san's records, but -- as you pointed out -- that it is not serving him well globally. Tsujii-san is having a hard time penetrating the market in Europe, in particular Germany (and possibly also France), because there the Deutsche Grammophon label controls the classical music scene. Without better connection, it will be very hard for Tsujii-san to get invited to perform in the top concert halls of the world outside Japan.

Finally, I am so grateful that you spend so much time mentioning my "nobufans" website. The website is something that I do for others who admire Tsujii-san, to inform them about his concerts and news. I felt a need for such a site because the official website of Tsujii-san is so sparse. I get immense pleasure doing the website, and my greatest reward is when I hear from kind people like yourself who took the time to visit it.

I am extremely grateful to you for this essay, and unless you really want to, would not think of taking up more of your time to ask for an English translation. When I made my request to you, it was to ask for your opinion of the new CD and to ask you to consider mentioning my own essay on that CD. You have done far more than I asked. I am deeply moved and forever grateful.

I am glad to hear that you don't think his composing will hurt Tsujii-san's classical pianist career. Let's hope Tsujii-san's superb talent will carry him far in the world, as he so deserves it.

Liu-san

You are welcome.
And if you feel that I met your expectations in any way, you deserve it.
I dare to convey our concerns directly to Tsujii-san (or his agent) and avex-CLASSICS,
as sincere opinions from Nobu fans.

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