« 天地真理40 Nobuyuki Tsujii (English) | トップページ | 天地真理42 To be modest, have to be harmonious »

2011年7月15日 (金)

天地真理41 崩さない音楽は美があればこそ

一つだけ付け加えておきたいことがある。
天地真理さんや辻井伸行さんの作り出す音楽における、
抑制の効いたルバートとか、曲を崩しすぎないやり方は、
それ自体に価値があるかと問われると、
私は自信を持って肯定できない。
むしろ普通の人がそれをやると、
全く味気のない、魅力のない音楽になるだろうと思われる。

天地真理さんや辻井伸行さんと普通の人とを分つものは、
発する音そのものの心地良さと、自然で控え目だが人の心をつかむことができる絶妙のニュアンスにある。
逆説的だが、その音の魅力とニュアンスの魅力があって初めて、
過剰なルバートや大きなデフォルメがないやり方が効果を発揮する。
過剰なルバートや大きなデフォルメがない方が、それらの美点が最大限に生きると言い換えてもいい。

音そのものの魅力とは、天地真理さんの場合、
これまで何度も説明しているが、その声の質と発声法だろう。
彼女の歌は、伴奏がなくとも大変音楽的に、心地よく響く。
私はかねがね、伴奏がないと聴けない歌手と、伴奏がなくとも素晴らしい歌手とがあることに気付いていた。
天地真理さんはまさにその後者だ。
それは伴奏の音が小さい時や、ギターだけの伴奏の時に、
彼女の歌がひときわひき立つことからも容易に理解できる。
公式音源にはないが、
2,3人で合唱しているときに、天地真理さんの歌声だけが、
別種の、ある種の楽器であるかのように響いてくることからも、私には感じ取れる。

そして、伴奏がある時、「小さな日記」の記事で触れたが、
彼女の声は、弦楽器や木管楽器の伴奏に、とりわけよく調和する。
これは私には、伴奏 対 歌ではなく、
あたかも楽器の一つとしてアンサンブルを組んでいるような、
心地よい音同士の調和の取れ方だと感じられる。
これはひとえに、その声自体が倍音を多く含んでいて、
ストラディバリウスのように、共鳴管と響板としての体によく響いており、
さらには、ポルタメントを含む発声から声が伸びていって余韻を伴うビブラートへとつながる
一連の声の作り方が、弦楽器や木管楽器のフレージングに通じる心地よさを持っているからだろう。
このような心地よさを持っている声を操る場合には、
話し言葉の強調のような過剰な演出は、かえってその魅力を損なうことが
容易に予想されるだろう。


そして辻井伸行さんの場合、音そのものの魅力は、
彼自身の志向に合わせたピアノの選び方、調律のされ方もあるが、
主として、彼のピアノの鳴らし方にあると思う。
ホロヴィッツは、どんなに複雑な音の重なりの中からも、
自分の鳴らしたい音、その音楽にとって最も魅力的な旋律線を浮き立たせ、
ホールの隅々まで響き通るように歌わせ、
他の音を、あたかも周りに漂う空気、あるいはキャンバスに描かれた主人公を取り囲む淡い背景のように
侍らせることができた。
これは単に右手と左手の音量バランス、といったレベルだけでなく、
右手の小指(あるいは他のどれか一つの指)と、
その他の両手の指との音量バランスといったレベルで弾き分けることができた。
この効果はシューマンやスクリアビン、ラフマニノフなどの、音が複雑に重なった曲で顕著に発揮される。
これは単にピアノを弾く技術が優れているというだけでなく、
そういう音楽の作り方を指向しているというところに決定的な差がある。
私がホロヴィッツを好きな理由の約半分はここにあるのだが、
辻井伸行さんはまさにそれができるのだ。
恐らくこの点に関して、辻井さんは現存するピアニストの中で最も優れたセンスと技術をもっていると思う。
そして、よく指摘される彼の音の美しさは、一音一音のタッチの素晴らしさもさることながら、
この特質に大きく負っていると思う。
当然のことながら私が、私の中でホロヴィッツを引き継ぐ存在として辻井さんを認めたのも、
この特質を彼の音楽の随所に認めたからに他ならない。

ニュアンスの魅力は、天地真理さんの歌の場合、
これもすでに語りつくしたが、
ポルタメント、チョーキング、短前打音、ルバートなどの使い方、
そして言葉を発する時の心延えにあると思う。
しかし、ピアノの場合、ポルタメントやチョーキングといった技は使えない。
辻井さんはルバートと音量変化、音質変化によって、
絶妙なニュアンスをつけているわけだが、
忘れてはならないのは、そのリズムの良さである。

メカニカルに素晴らしい演奏をおこなうピアニストの中にも
要所でのリズムに魅力のなさを感じることが往々にしてある。
私が感じるリズムの良し悪しは、付点音符の扱い方に典型的に表れる。
良し悪しというのは傲慢だ。好き嫌いというべきだろう。
1の長さを持った音を、付点音符とそれを補完する音符とで分かつ場合、
楽譜の通常の規則によれば、0.75:0.25の比率で音の長さが分かたれる。
しかしこれをそのとおりに弾くと、往々にして足を引きずるような音楽になる。
どちらかと言えば付点音符の方を長めにとり、0.8:0.2、あるいは0.85:0.15という風に
リズムを取った方が切れ味が出る。
だが逆に付点音符の方を短めにとったルバートをつける傾向のあるピアニストがいる。
そのタイプの奏者は、他のリズムでも、例えばスタッカートが間伸びしたり、
だんだん早くすべきところを遅くしたり、
私の好みでないリズムとなることが多い。

私がホロヴィッツを知る以前に、あるクラシック紹介書籍で、
ホロヴィッツの音楽の特長の一つを「抜群のリズム」と評してあって、
その例としてベートーベンの悲愴ソナタがあげてあった。
私はその表現に惹かれてホロヴィッツのその曲を聴き、
たちまち虜になった。
第1楽章の冒頭である。


(より長く聴きたい方はこちらへ)
この演奏がベートーベンにふさわしいかどうかという議論はここでは扱わないが、
好き嫌いは別として「抜群のリズム」と評されたものがどのようなものかは
うかがい知ることができるだろう。

ここまで極端ではないが、
私は辻井さんの演奏に、これに類するリズム取りの良さを感じている。
そしてこのリズム取りの良さは、
曲のフィナーレでたたみかけていく時にも感じられるが、
テンポの速くないルバートや旋律の歌わせ方においても感じることが多い。
つまりリズム取りの良さは、ルバートやニュアンスの良さにつながると私は考えている。
ルバートはテンポの揺れであるから、細かいリズムの取り方そのもので
その良し悪し、ではなく好き嫌いが決まってくる。
ニュアンスは音の出し方、音程の変え方、言葉の発し方によるところが大きいが、
そこにはどのタイミングで、どう音や言葉を入れたり、言葉を切り替えるか、ということが
大きな要素として効いてくる。
私は前々回の記事で、天地真理さんのリズムの良さに触れたが、
すっきりとしていて、自然な感じだが、心に響くニュアンスには、
必ず抜群のリズム取りが関わっていると思う。

ホロヴィッツを知っている方々にとっては、
ホロヴィッツと辻井伸行さんの音楽は全く異なるタイプのもののように思われるかもしれないが、
私の中では、上記のように、意外に共通の魅力を感じ取っているように思う。
そしてそれは、天地真理さんの音楽の魅力とも、根本のところでつながっているのではないだろうか。

« 天地真理40 Nobuyuki Tsujii (English) | トップページ | 天地真理42 To be modest, have to be harmonious »

天地真理」カテゴリの記事

コメント

Shinn-san,
Me again :-)
I really wish I could read Japanese. But I see that you are comparing your idol Horowitz with Tsujii in this article. During the 2009 Cliburn Competition, there were many Americans who commented on Nobuyuki's performances, here is one that mentioned Horowitz:
"Awesome reading - no unnecessary additions and Horowitzian augmentations and LangLangian acrobatics or superCadenzas - beautiful, light and playful sound. I’m captivated by this genius!"
Here is another that doesn't mention Horowitz:
"I see the other pianists so often struggling to find a phrasing, or tempo or rubato or articulation or dynamic, that is expressive. But Nobu’s expression is so rich and natural sounding, never forced. He never hits you in the face with his own personality, it’s always about the composer’s vision. And what a vision! He has this amazing sense of pacing that is expressive but never fusses or dawdles. Every note, every line is given the attention it deserves, but only as part of the whole. His incredibly nuanced tonal range breathes life into every phrase."

You can read more comments like this on my website, here:
https://sites.google.com/site/nobufans/comments-on-nobuyuki

こんにちは!
私には、演奏を分析する能力もないので、いつも、何とか演奏の印象を記憶に残そうと、ある時は言葉にしたり、ある時は情景に置き換えたりしながら聴いています。
辻井さんを聴いた印象は、不思議な感覚です。音の持つ意味が他のピアニストとは違っているようにさえ感じます。他のピアニストが多彩な天然色なら、彼は、それに光沢という今まで無かった要素を加えたような、違う価値観の音の組み立てをしているかのようです。あくまで個人的な印象ですが・・・。
「ひびの入った骨董品」などと言われた初来日のホロヴィッツをすごいと思ったのは、その後のモスクワやウィーン、あるいはニューヨークの自宅での演奏の映像を見て、音のあまりの美しさに気が付いてからです。
リヒテルの演奏は、必ずしも自分の好みではないのですが、オイストラフと共に演奏しているフランクのVnソナタのCDは文句なしにお気に入りの1枚です。

ピアノの感想だけで、真理さんつながりのコメントにならなくてすみません。あいかわらず、毎日何時間も車の中で真理さんの歌を飽きずに聴き続けてます。

Liu-san

Thank you for the comments.
Please wait for a few days.

sakura6809さん

「光沢という今まで無かった要素」という表現はわかるような気がします。
鍵盤楽器を弾く際に、視覚的にきちんと弾いたと思える場合でも、
耳だけで聴いてみると不十分な音しか出ていないということが往々にしてあると思います。
聴覚と触覚だけで音楽を研ぎ澄ますことの利点が、辻井さんの音楽にはあるのではないでしょうか。

ある番組で、今の師匠の横山幸雄さんが彼にレッスンをしているとき、
手首の動きの使い方で音に表情を与えるやり方を教えていました。
これは視覚的に音を作ろうとしている典型例のように感じます。
その動きで多少音も変わるのでしょうが、大部分はその手首の動きに視覚的にだまされているのだと思います。
弾いている人も、見ながら聴いている人も。
辻井さんがその後、そのやり方を全く取り入れていないのがちょっと滑稽でした。
彼にはそのようなポーズは必要なく、音そのものがどう変わるかということを、
どんなポーズでもいいから、自分がやりやすいやり方で追及しているのだと思います。
もっとも、到達点としてどういう音や音楽を目指すかはその人の才能であり、
彼のそれまでの人生経験からくる真似のできないものだと思いますが、
それに関してすら、彼の類い稀な聴覚と、
視覚から雑情報が入らないことが効いているように思います。

ホロヴィッツの2度目の来日時が、その後のモスクワやウイーンを思わせる
なかなか素晴らしいものでした。
ウイーンのコンサートは最晩年ですが、本当に素晴らしいです。
ホロヴィッツという人は、体調悪化、ファン・マスコミ恐怖症、隠遁など、いろいろ紆余曲折があった人ですが、
最晩年は本人も、そしてファンもとても幸せな時を過ごせたと思います。
真理さんもテレビとか、大観衆の前に出るとかではなくとも、
そんな感じの幸せな時を過ごしてほしい、いやそうなるような気が私にはしています。

Shin-san: Please take your time to respond - there is no hurry. But meanwhile I found this blog post in Japanese that compares Nobu's performance of "Pictures at an Exhibition" with Horowitz's, and finds it lacking. I would be interested in the opinion of you and your readers.
http://blog.h-miyake.jp/blog/cat11278882/

Congratulations on the success of the women's soccer team of Japan!

Shin-san,

If you have time, please listen to, at time mark 2:49 of
http://www.bbc.co.uk/programmes/b012ll1q
Maurizio Pollini performs second movement of Chopin's Piano Concerto No. 1

I believe Polliniis is, like your Tsujii-san, also famous for his performance of this concerto. But to my ears his rubato is excessive. I really prefer the more straight-forward interpretation of Tsujii, his brilliant (shimmering) tone, and his soulful, "jazzy" sound.

Liu-san

I have little appreciation for the rhythm of Pollini.
When he puts feeling into the music, it's rhythm tends to be like dragging his feet,
as is typically heard in his Chopin.
I feel sticky with it.

I prefer Nobu's exhilarating rubato.
He plays beautiful phrases gracefully and crisply.
After several series of these simple expressions, I begin to feel stirring.
This is the magic.
He also uses magic in the impressive phrases from the 101st bar of the second movement of Chopin's Concerto No.1.
They are incredibly harmonious.

Shin-san,
We are in agreement with Pollini's interpretation of Chopin's Concerto No.1 2nd movement. I also dislike the excessive rubato (or slow rhythm) that many pianists use when playing Chopin. I too prefer the more straight forward but vibrant rhythm of Tsujii-san. For example, some people criticized Nobu for playing the Op.10 Etude No.3 with insufficient expression. I, on the other hand, think he plays it exactly as it should be played, without the excessive sentimentality that some pianists put in -- it is, after all, meant to be an exercise piece!

I personally find the entire performance of that Chopin concerto by Tsujii-san magical. I believe that is the performance that clinched the gold medal for Nobuyuki at the Van Cliburn Competition.

I will have an opportunity to see him perform it, with Conductor Vladimir Ashkenazy and the Philharmonia Orchestra, next May in England.

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/569269/52159225

この記事へのトラックバック一覧です: 天地真理41 崩さない音楽は美があればこそ:

« 天地真理40 Nobuyuki Tsujii (English) | トップページ | 天地真理42 To be modest, have to be harmonious »

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

最近のトラックバック

ウェブページ

無料ブログはココログ