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2011年6月24日 (金)

天地真理38 「インベンション」(ピアノ演奏)

天地真理さんの歌の特長を理解する上で、
彼女のピアノ演奏を分析してみる価値はあると思う。
彼女は、公式音源でも何回かピアノ演奏をしている。
語りのバックに使われたショパンの演奏、弾き語りの演奏などがあるが、
唯一、ピアノ独奏として単独録音されているものが
バッハ「インベンション第15番」である。
私は、天地真理さんの歌へのアプローチの原点がここにあると思っている。

真理さんは国立音大付属の音中時代はピアノ科で、音高時代は声楽科に転向している。
(これは正確ではないようだ。正しくはひこうき雲さんの記事をご参照下さい)
手の大きさが影響したらしい。
声楽科への転向が歌手天地真理へとつながったのだから、
何が幸いするかわからない。
私もピアノを少々弾くからよくわかる。あと1cm指が長かったらと何度思ったことか。
大学生になってから、毎日プロセスチーズ1本、煮干し1袋食べていたことがある。
情熱はあったが、常識に欠けていた。

彼女はショパンが好きと言っていたが、
きちんと録音したのはバッハだった。
バッハのインベンションは教育目的で作曲されたらしく、
音楽学校では課題曲として使われていたのだろう。
彼女が単独録音としてこのバッハを選んだのは、
音楽学校でレッスンを受けたものであるのはもちろんだが、
何かの際にこの演奏を褒められたことがあるのではないかと想像している。
つまり音中ピアノ科卒として恥ずかしくない実績のある曲だと思われる。

インベンション15番は2声である。
右手と左手がそれぞれ単音のみを弾く。
つまり小さい手では届きにくい和音などがない。
その意味では真理さんにとって弾きやすく、
自分の音楽性を制約なく発揮できたことだろう。

この曲は短い曲だが、きちんと弾くには結構難しい曲でもある。
リズム、装飾音、主題と対旋律が右手に行ったり左手に行ったり、
曲想の展開のコントラスト、短調と長調の交錯、
中間部のどう展開するのか不安な盛り上がり、
そしてバッハ特有の、リズミックな中にも物悲しさが漂う雰囲気。
短い曲ながら、非常に豊かなものが含まれているように思う。
これらをさりげなく、しかし鮮やかに弾き分けられるかどうかでこの曲の演奏価値が決まる。
天地真理さんは、これをみごとにやっていると私は思う。



まず私は、ここでのピアノの音が、
そこらへんのスタジオにある、キンキンして薄っぺらいポピュラー用のピアノでなかったことがうれしい。
もちろんもっといい音の楽器、もっといい録音の仕方があるだろうが、
アイドルのたしなみ披露のためだけの、きらびやかでごまかしがきくようなものでない、
クラシックのピアノ音楽を聴く上での必要条件を満たした音だと思う。


Invention1

左手のリズム取りに乗って主題が弾かれる最初の2小節で、
まずそのリズムの良さに耳を奪われる。
左手のスタッカートが鋭くなりすぎず、しかし大変小気味よく拍を刻む。
そして右手は淡々としていながら、短調の主題のもの寂しさがほのかに漂う。
これはそのピアノにあった弾き方(タッチ)を選ぶことで得られるだろう。
3か所の装飾音がそれぞれ微妙に違っていて、
これが曲想に大変よくマッチしたニュアンスを生んでいる。

続いて、主題が左手に移り、右手は16分音符が連なる対旋律というものになる。
(第3小節の2拍目から)
左手の装飾音が歯切れよく安定していて大変うまい。
右手が16分音符で動く中での左手の装飾音は、
リズム通りに弾くだけでも結構難しいのだ。
そして左手が主題を淡々と奏でる中で、右手の対旋律の歌わせ方が素晴らしい。
ここに微妙なニュアンスがあることが聴き取れるだろうか。
試しにMIDIでこの部分の音を作って聴いてみると、
彼女がいかに絶妙にピアノを歌わせているかがわかるだろう。
躊躇なくさりげなく始まる対旋律の入り方(テンポ取り)が絶妙だ。
4小節目の第1拍目の右手が少しふくらんで第2拍目が萎む。
私はこのようなゆらぎに心を奪われる。
そしてここからわずかにリタルダンドしていき、
5小節目の1拍目で、右手の16分音符が4個上がってソ#の装飾音に切り返す。
バロック特有の節回しだが、この切り返しがまた素晴らしくうまい。
ここまでで勝負ありだ。
以後安心してこの音楽に身を任すことができる。

第7小節後半から第1嬉遊部というらしいが、
左手が大きく跳躍するたびに、スタッカートに伴って絶妙な間がある。
そして同時に左手に非常に丁寧な表情付けがある。
右手のタッチも非常にしっかりしていて、つぶぞろいの音が連なり、
クレッシェンドも鮮やかだ。


Invention2

第12小節目から第2提示部というらしいが、
ここでわずかにソフトペダルを踏んでいるように思う。
そしてどう展開していくのか予測できない不安な雰囲気の中にも
跳躍が増えて盛り上がっていく。
ここではめまぐるしく転調し、バッハお得意の半音階的動きが表れているようだ。
ここら辺に来て馬脚を露わすどころか、ますます腕が冴えてくるところがすごい。

18小節目から巧妙な形で左手に元の主題が戻り、
続いて右手に主題があらわれて終わる。
終わりの装飾音とリタルダンドの決め方も見事だ。

ただ弾きました、というレベルからは程遠い。
バロックらしいニュアンス、リズムと装飾音の冴え、
2声それぞれの歌わせ方、
全体の統一感、など文句のつけようがない。
若々しいスピード感まである。
そんじゃそこらのプロも顔負けの名演奏だと思う。

私はこのピアノ演奏を聴いて、
天地真理さんの音楽性の特長として次の3点をあげておきたい。

①大変素晴らしいリズム感
 ロックンロールで激しいリズムを刻むことだけがリズム感の良さではない。
 正確な乗り、旋律の入っていき方、微妙な間、
 これらが大変うまい。
 1976年にライブ録音された「春の風が吹いていたら」などに
 このリズム感の良さが存分に発揮されていると思う。
 私はリズムの良さが音楽の良さの基本だと思っている。
 彼女の歌の心地良さの理由がここにもあるといっていいだろう。

②磨かれた、つぶぞろいの音
 これは彼女の発声の仕方にも大いに通じる志向だ。
 これについてはもう説明はいらないだろう。

③微妙な強弱と音色変化、間、リタルダンドなどによるニュアンス付けのうまさ
 ピアノではソフトペダルの使用だけでなく、鍵盤を弾くタッチの強弱でも音色が変わる。
 これを曲想に合わせて実にうまく使っている。
 これが彼女の、端正な中にも、ニュアンス豊かな歌の世界を築きあげた基礎となっている。
 彼女が演歌歌手のように、感情表出のために曲を大きくデフォルメする必要がないことが、
 これでもわかるだろう。

真理さんは今でもカシオの電子ピアノを弾いているらしい。
どんな曲をどんなふうに弾いているのか
ちょっと聴いてみたい気もする。

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コメント

真さんのお緻密なお話には何時も感服しております。
外出・通勤にiPODに詰めて聴き続けていますが、いつも新鮮、いくら聴いても真理ちゃんは飽きません。
BOXではバッハは勿論、ライブでのピアノの弾き語りが大のお気に入りです。
これからも新しい切り口で真さんのどんなお話が出てくるか、楽しみにしています。

真さん
またまたすばらしい分析を読ませていただきました。

実は私も真理さんのピアノ演奏について書きかけになっている記事があるのですが、到底、真さんのような緻密な分析はできませんし、せいぜい印象ぐらいしか書けませんから先を越されて良かったと思います。

私の能力では細かなところを
しっかり聴き取るところまでいっていないのですが、細やかな表情付けとか絶妙な歌わせ方というところは私の印象につながるところで、本当にそうだと思いながら読みました。

私の印象では真理さんのバッハはかなり情動的なところがあるように思います。一般的にはバッハは端正に弾かれると思うのですが、真理さんのバッハには熱いものが感じられるのです。一方で真理さんのショパンはむしろ端正に聴こえます。この辺に真理さんのうたに通じる音楽性があるように思うのですが・・・

MICさん

お読みいただきありがとうございます。
真理さんの弾き語りものはピアノのもギターのも
どれもいいですね。
素朴な伴奏が一層歌を弾きたてる感じがします。
「いくら聴いても真理ちゃんは飽きません」
本当ですよね。
なぜ飽きないのか、また屁理屈をこねてみたくなりました。

ひこうき雲さん

今回の記事を書くにあたって、
クラシックの名演奏家を聴くときと同じ耳で、
決して調子を下ろさずに聴き、感想を考えたつもりです。
もちろん全く傷のない完璧な演奏というわけではなくて
プロのピアニストのスタジオ録音なら、
この音は編集が入るかもしれないという音もないわけではないですが、
そんなものはこの演奏の価値を全く左右しない瑣末なものです。
何よりクラシック音楽として聴いて、私の好きな演奏であるのが
とてもうれしいです。

「真理さんのバッハはかなり情動的」で「ショパンはむしろ端正」
というご指摘、大変面白い切り口だと思います。
ぜひぜひ、ひこうき雲さんのお考え、想いをご披露ください。

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