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2011年5月 3日 (火)

天地真理32 証③ 「天使の約束」-3 人間美2

私が考える天地真理さんの「人間美」は、外見的な美しさではもちろんない。
人としての教養とか人格とかとも違う。
従順さとかおしとやかさというのでもない。
それを言葉にするのはとても難しいのだが。

私は、この「天使の約束」の初めの8小節を聴くと、
単なる明るさというよりも、優しさや温かみの勝った、慈しむような明るさを感じる。
彼女は事あるごとに、明るさを大事にしたい、というようなことを口にしているが、
先にあげた彼女の明るいヒット曲の中での明るさと同様に、
いわゆるアイドル然とした、キャピキャピした明るさというよりはむしろ、
歌詞に表れる、恋人と共にいる喜び、浮き立つ心、情景描写、などを歌う言葉に、
暖かみのある、
慈しむようなニュアンスを感じてしまう。

そんなニュアンスを聴いていると私は、
 人間美①
 天地真理さんは、
  優しく温かいものに強い憧れを持ち、
明るく生きていこうとする前向きさを持った人

なのではないかと思うのだ。
これが、
歌詞の中に表れる優しく温かいものを、心からの共感をもって表現できる理由ではないかと思う。

私は彼女の人生は断片的にしか知らないが、
私が感じる彼女のこの気質は、彼女が
ただただ幸せに生きてきたから、
ということから身についたのではないように思う。
かといって、不幸のどん底に浸ってきたから、というのでもないだろう。
彼女は物ごころついたころからお父さんがいなくて、お母さんと二人で暮らしてきたらしい。
お父さんがいない中では、たとえ優しいお母さんと一緒ではあっても、
どうしても寂しさや、喪失感を感じることはあったはずだ。
それを、ただ悲しいとせず、そんな中でも母と楽しく生きよう、実際楽しい、と感じる中から
明るさへの希求、
優しく温かいものへの憧れを育み、
そしてその裏返しとして、悲しみとの付き合い方、
あるいは
悲しみを昇華させる術を見つけたのかもしれない。
もちろん生来の天真爛漫さはあったのだろうが、
彼女特有の明るさのニュアンスの扱い方、

また彼女の歌う、悲しい、寂しい歌における、
歌詞の扱い方、表現の仕方に、そのような指向が表れているように思う。

彼女は、優しく温かいものに強い憧れを持ち、その裏返しとして、
悩みや悲しみがあっても、何かちょっとしたことに見いだせる明るさや喜びの方に
心から共感し、それらを大切にしようというような信条を持っていたのではないだろうか。
そして悲しいものに直面しても、それを深刻にせずに、朴訥にそれを淡々と受け止め、
涙をポロっとこぼして、また明日から前向きに生きていこうというような、
そんな人間性を育んでいたのではないか。


私は「小さな日記」の項で述べたように、彼女の歌の端正さにとても好感を持つのだが、
この「天使の約束」にもそれがある。
しかもフレーズの後半において、
オペラ風の演出なのだろうが、
少し近寄りがたいような、実力派歌手然とした雰囲気まで見事に醸し出す一方、
それだけのことができるにもかかわらず、
もしそれだけを追求していれば、もっと尊敬され、権威とか威厳とかを獲得できたであろうに、
フレーズの前半のような、天使になりきったような、
いや天使以上の優しさと暖かみをニュアンスとしてこめられる。

これはちょうど、先に紹介したヒット曲において、音楽的素養と実力を持った人が、
世俗的には他愛がないとされるような青春ソング的な歌にも、
気品と慈愛に満ちた表現を吹き込めることに、どこか似ている。

そんなことを考えているうちに私は、
 人間美
 天地真理さんは、
   音楽形式、企画・演出など、決められたものには
従っていこうとする誠実さ・潔さ
   もっと言えば、運命を淡々と受け入れる潔さを持った人

なのではないかと思うようになった。
このような気質は、ピアノという楽器を習得・修行する、地味で、忍耐のいる学生生活と
無関係ではないように思う。
実際のところ、楽器を高度に習得するという作業は、とても忍耐のいるものなのだ。
これに幼少のころから取組み、また音楽学校まで進んだ過程では、
先生について修行するという、少しずつの進歩、小さな差を叩き込まれる、
制約や訓練を受け入れなければならない、忍耐と潔さに満ちた日々だったことが想像できる。
この潔さのようなものは、悲しい歌において彼女が、「別れ」や「孤独」を表現する時のニュアンスの、
泣き叫んだり、悲嘆にくれたり、悲しみと戦ったりするのでなく、
運命をあるがままに受け止め、春を待つ花のようにじっと耐えるような、
淡々とした趣とも符合しているように思える。
私が彼女の悲しげな歌に魅力を感じるのは、
その悲しさにどっぷりとつかる悲劇的表現力というよりはむしろ、
悲しさを潔く受け止め、それにじっと耐えているような
人としてのけなげさを感じてしまうからだ。

彼女の誠実さ・潔さは、
まりちゃんズ真理ちゃんに直撃」というインタビューで、
自分の本当の希望などを口にする合間の、
スタッフやマネージャーへの気遣いの言葉などからも感じることができる。
ことあるごとに彼女は、「自分はわがまま」といいながら、
決められたこと、自分がひきうけたことはそれに従い、
その中で自分の共感できるものを見出し、最大限それを表現しようとする信条を、
持っているかのようだ。


そして何より、彼女の人間美として強調したいのは、
明るさ、優しさ、温かみ、とか、誠実さ、潔さ、といった、
重厚さや威厳やらには結びつかない、子供じみたメルヘンと揶揄されるかもしれないことを通し、

 人間美 天地真理さんは、
  人の心の中の、本来、本当の意味での美点であるべきものを、
  なんのてらいもなく、何の嫌味もなく、恥ずかしげもなく、
  心からの共感を持って表現できてしまう、まっすぐさを持った人、
  同時に、自分を飾ったり、奇をてらったりできないという意味でも、まっすぐな人

ではないかということだ。

彼女のまっすぐさは、
スター千一夜 ゲスト:天地真理 1975/3」の中で、
悩みを打ち明け、それに彼女らしい答えを見出そうとするけなげな様子からも伺える。
この一風変わった、哲学的ともいえる会話の中で彼女が考えていることには、
痛々しいまでのまっすぐさ、純粋さだけでなく、
芸能人として生きていく上での危うさまで含まれているように思う。


「天使の約束」は、小さな、取るに足らない曲かもしれないが、
その短く、単純な楽曲構造の中に、
彼女の底知れない音楽的実力と、それと一見相容れないような、
てらいのない、まっすぐ語りかけてくるような表現とが混在することから、
彼女の人間性についてまで思いを巡らしてしまった。

冷静に振り返ってみると、
重々しく大袈裟で、悲劇的で深刻なものほど価値があるかのような
現代社会、大人社会において、

社会的地位とか、権威とか、世俗的な知恵とかいうものが、
この世を渡り歩く上での方便として役に立つようであって、
実はこれらには、自分としてはどこかなじめない、
すがりたくないものだという思いが奥底にあり、、

押しつけがましく、教訓めいていて鼻につく、深刻ぶっていて鼻もちならない
そのようなものを、本当は自分は避けて通りたいのであって、
それらの対極にある、

天地真理さんから感じられる、明るさ、優しさ、温かみ、誠実さ、潔さ、まっすぐさ、
といったものに、私自身が本当の価値、本当の共感を感じ、憧れているということなのだろう。

私がここで人間美①、②、③として挙げたものは、
彼女の初期のひたむきな歌、
中期の明るくニュアンス豊かな歌、
後期の憂いを含んだ歌、
いずれを今聴き直してみても感じられ、
だからこそ、これらの歌に、理屈抜きで魅せられ、癒されてしまうということなのだと思う。
私は、このような
「人間美」を感じさせる彼女の声で、
もっと多くの童謡やクリスマスソングなどを公式音源に残してほしかったと、心底思う。

私は彼女の「不世出の証」として、「音色美」、「構成美」をあげたが、
もし彼女がこれらにすがり、これらを振りかざしてプライド高く現れたら、
私はこれほどまでに彼女にひきつけられなかったのではないかと思う。
音楽をきちっと作り上げようとするひたむきさは感じられても、
他を寄せ付けない、プロ特有の嫌味なにおいを彼女は感じさせない。
不世出と言ってみたものの、その言葉が醸し出す
孤高の、敬して遠ざけるような類の、鼻もちならない名歌手と言うよりは、
我々の忘れかけている素直な感情・美点を、まっすぐに語りかけてくれる、
端正でやさしくほんわかとしているが、良く聴いてみると凄い、
私にとってはそんな歌手なのだ。

彼女の歌にある「音色美」、「構成美」は確かに素晴らしい。
しかし彼女の魅力を決定づけているのは、その歌の背後にある、
彼女の
明るく、優しく、温かく、誠実で、潔く、まっすぐな
不世出の「人間美」にあるのではないだろうか。

この「人間美」は、彼女の歌だけでなく、映画でも、バラエティでも、
2000年以降のテレビ出演でも感じられた。
また、2011年4月に改めて創設された天地真理ファンクラブの、
第1回会報「ミモザ便り」に載っていた、彼女の最近の写真からも、
感じることができた。

私は天地真理さんとお会いしたこともお話をしたこともなく、
彼女の本当の人となりは知らない。
私がイメージする彼女の
「人間美」は、彼女の残した歌や映像、語りなどから
私が勝手に作り上げた虚像であるかもしれない。
私にとっては、それが虚像であろうと実像であろうと、どうでもいいのだが、
上記
「ミモザ便り」に載っていた、彼女と親交のある太田裕美さんのメッセージに、
「おおらかでまぶしい笑顔、真っ直ぐな生き方」とあったことが、
あながち全くの虚像でもないのではないかと、私に思わせている。

音楽としての完成度、何の疑義もなく聴きほれることができる歌としては、
彼女の不世出の「音色美」、「構成美」、「人間美」がそろったからこその、
「天地真理 プレミアムボックス」に、記念碑的な価値を認められる。
しかし、天地真理さんの魅力を決定づけているのが、

彼女の「人間美」にあると私が考える以上、
彼女の歌から「音色美」や「構成美」がなくなっても、
そしてたとえ彼女の声が出なくなったとしても、
私がイメージする「人間美」を彼女から感じられる限り、
私は彼女のファンであることをやめないだろう。

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コメント

感動しました。
「1」ではいきなり私の名前が出てきてびっくりしましたし、穴にでも隠れたいような気持ちでし
たが、真さんによるこの文こそ真理さんへの最高のオマージュ、最高の賛辞だと思います。

おそらくファンの皆さんみんなが感じていながら、なかなか言葉ではうまく表現できなかったこ
とを実に的確に表現していただいたと思います。

真理さんにも読んでいただきたいですね。

ひこうき雲さん

このようなコメントをいただけ、
大変嬉しいです。
不世出の証①②③と進むにつれ宗教的になるは、
ひこうき雲さんのようにキリッといかないはで、
これでもかなり苦闘したのですが、
思っていることには触れられたかと思っています。
ひこうき雲さんには遠く及びませんが、
これからは少し力を抜いて、続けていければと思っています。

真さま こんにちは。

言葉に言いつくせない天地真理さんの魅力を、これほど深く 丁寧に掘りさげ、考察されていること、決してイメージで終わらせず、結論に至る道筋の言語化を、完璧に実現していらっしゃることに驚嘆のおもいを抱いています。
同時に、細やかな表現が行き届く日本語の美しさ、豊かさを再認識する上でも、たいへん
勉強になり、私にとって最高に贅沢な教材を得て、ありがたいなあ・・ という気持ちです !

科学的な検証と、ご自身の内面の世界を融合させるかたちで、1人のアーティストの真価に迫るこのブログは、私たちにとって貴重な財産であり、一つの突破口として、音楽を愛する方々への大きな気づきなることでしょう。たくさんの皆さまに読んでいただきたいです・・☆

どうぞこれからは、の~んびり進められてくださいね。

愛さん

身に余るお言葉ありがとうございます。
真剣にお読みいただいた様子が伝わり大変うれしいです。
おっしゃるように「の~んびり」続けられたらと思っています。

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