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2011年4月

2011年4月28日 (木)

天地真理30 証③ 「天使の約束」-1 残り20%は?

これまで、天地真理さんの歌の音色美と構成美について説明してきた。
これらを備えていれば、十分魅力的な音楽になるはずだ。
私は、もしこれらを備えた歌手がいるならばすぐにでもファンになりたい。

ただ、この2つで天地真理さんの歌の魅力のすべてが語りつくせたかと自問すれば、
何か足らない、天地真理さんならではのものに迫りきれていないように感じる。
古く無骨な例で恐縮だが、星飛雄馬の大リーグボール2号「消える魔球」の、
球が消え切るための、残り20%が明らかになっていない。
魔送球の変化を生む投球技も、
これを地面すれすれに縦変化させるコントロールも持ち合わせていても、
まだ球は消え切っていない、決定的な何かが足りない、そんな印象を持ってしまう。
それはいったい何だろうか。

私はこの残り20%を説明するために、
「天使の約束」(1975年録音)を取り上げてみたいと思う。
この曲が入っているアルバムは、
19世紀半ばのオペラ「ミニヨン」をミュージカル化した「君よ知るや南の国」での
曲や歌のダイジェスト版をスタジオ録音したものである。
元がオペラだったということもあって、彼女はオペラ歌手のような発声法も見せ、
地声を混ぜるなど、表現の幅も広がっていて、
天地真理ファンとしては、
歌の実力を示してくれたという意味で大変誇らしくもある。

この「天使の約束」でも、ここで紹介したフレーズの後半で、
大変堂々とした、伸びのある声を聴かせてくれている。
それは
実力派歌手然とした、凛として近寄りがたい響きでもある。
しかし私がここで注目したいのはそちらではなく、
それと対照的な、ややもすると、それとは不釣り合いなぐらいの親しみやすさや、
温かみを湛えた、歌い始めの8小節の方だ。

この曲のタイトルからすれば、これは天使の声ということになる。
もしこの世に聖母マリア様がいるとすれば、それに最も近い声だとも思う。
聖母というと母のイメージも出てくるが、
母でも恋人でもなく、優しいお姉さんの声といった方が
私にはぴったりくる。
この歌を、「小さな日記」と同様にその歌詞の意味に沿って、
また長調と短調を行き来する音楽進行に沿って、
見事な構成美として説明することも可能だが、

私がここで考えたいのは、語りとも音楽ともつかぬここでの声が発する、
歌詞を表現する技術を超えた、何かほのぼのとした、
ああ、天地真理さんだ、と思ってしまう魅力だ。

「天使の約束」では、「空の彼方から舞い降りてきた私と」「唄歌いましょ」と言った後、
子供のコーラスが入る。
このミュージカルの詳細は知らないが、この歌だけからの印象では、

子供たちに天使が語りかけているかのようだ。
その天使に扮する天地真理さんの声が、私にはとても純粋で、
心底子供たちに語りかける、優しい響きを持っていると思う。
このような響き、ニュアンスは、
こうやりましょうと企画されたり、ある種のレッスンをしたり、
意図して自分を飾ったりして出せるものなのだろうか。

クラシックの著名な演奏家のレッスンや談話などに接すると、
音楽表現は、あるレベルを超えると、
どう指を使って、どう力を込めてなどという末端的なことや、

音をどう出すかというテクニックの追及などを超えて、

曲の流れの中に入り込んだ時、心の中で何をイメージするか、が
音楽を決定的に変えることが等しく強調されていることに気づく。
この心の中のイメージが、常人よりかけ離れて豊かで、
純粋で、
時に極端であり、さらにそれが曲想や表題、歌詩、などと的確に符合しているとき、
そこから生まれる音楽は深い感動をもたらす。

そのようなことから考えると、天地真理さんの歌の魅力として、
音色美、構成美を持ってしても説明しきれないものがあるとすれば、
天地真理さんの心の中のイメージ、あるいはそのイメージを抱くその人そのものに
その答えがあるのではないかと思うのだ。

天地真理さんは実際のところ、子供たちに絶大な人気があったという。
いわゆる「真理ちゃんシリーズ」というテレビ番組で、子供たちを想定した、
ぬいぐるみなどを使った演出のおかげでも大いにあるだろうが、

子供というのはある意味残酷だ。
偽りの微笑み、偽りの優しさは敏感に見抜く。
本来歌手というものは商業主義的に仕組まれていて、
それなりの仕掛けを使って聴衆に受け入れられようと努力するものなのだが、
本人にその意識が強すぎれば、子供はそのいやらしさを敏感に感じ取り、
そっぽを向いてしまうだろう。

私が強調したいのは、この天使となって語りかける彼女の言葉の、
邪心のなさ、まっすぐに子供に向かって語りかけるような、
そして子供が何の疑いもなく虜になってしまうような純真さなのだが、
このようなことは、演出で仕組んだり、頭で学んだり、では得られない、
その人のひととなり、人間性から出てくる以外に出せない味ではないかと思う。
こうみてくると、私が感じる、言いつくせていない残り20%の彼女の魅力とは、
彼女が歌において自分の人間性を開放している部分、
いや、解放された人間性そのものの方にあるのではないか、と思えてくる。
私はこれに象徴されるような天地真理さんの魅力に「人間美」という称号をつけてみた。

2011年4月22日 (金)

天地真理29 証② 構成美「小さな日記」-5 構成美の習得は?

天地真理さんの歌の構成美を説明するために、
「小さい日記」という曲を例として用いた。
この曲は、歌詞としても起承転結がはっきりしており、構成を説明しやすい。
しかし、このような曲でなくとも、初めに「空いっぱいの幸せ」を挙げたように、
他愛のない歌詞の青春ソングのような曲であっても、
私は彼女の歌に構成美を感じることができる。

もともと彼女の歌には、そのデビュー曲から、
「端正さ」や「言葉と音の表現バランス」などが備わっていたが、
彼女の歌を録音年代順に並べて聴いてみると、細かい録音順までは定かではないが、
「ひとりじゃないの」(シングル版)を境に、
明るさのニュアンス付けや、言葉一つ一つの微妙な味わいを中心として、
表現の豊かさが大きく広がったように思う。
この辺の事情について、本当はご本人にきいてみたいところだ。
「ひとりじゃないの」は、いろいろな意味で彼女の最初の転機となった曲だと思えるのだが、
そこのところは、いずれまた触れてみたいと思っている。

 構成美①「端正さ」
 構成美②「言葉と音の表現バランス」
 構成美③「表現の控え目な豊かさ」
などの構成美を、彼女はどうやって身につけたのだろう。
私は、彼女が器楽、とりわけピアノを修行していた、
しかもそれは、たしなむといった程度ではなく、
真剣に取り組んでいたためではないかと思う。

ピアノという楽器は、弦をハンマーでたたくという、
いわば打楽器的要素があり、鐘に近い印象もある。
そして、たまにしかピアノの音を耳にされない方にとっては、
ピアノの音は、単調な、ある一定の音色の音の連なりのように思われるかもしれない。
しかし、ピアノのハンマーは単純な木の棒とか鉄のハンマーのようなものではなく、
木の芯があって、その表面に、厚み方向に硬さの異なるフェルトがついている。
これが打鍵の強さによって音色の微妙な変化をもたらす。
また、グランドピアノにはソフトペダル(シフトペダルともいう)というのがあって、
ハンマーが弦を叩くとき、横方向に位置が変化して、
ハンマー表面の、弦に触れる位置が変わって音色が変化すると同時に、
複数弦を同時にたたく中音域以上の音程では、
同時にたたかれる弦の数が変わったりする。
さらに、ラウドペダルというのがあって、
打鍵した弦の音が長く伸びるだけでなく、
打鍵していなかった弦まで、響板とともに共鳴するため、
これがまた別の音響効果を引き起こす。
またそもそも、このようなピアノ共通の機能による変化以前に、
個々のピアノによって音色や響き方がかなり異なる。

ピアノ音楽を聴きこむと、はじめは単純に思えるピアノの音が、
上記のような機能や楽器の個性によって、いろいろなニュアンスとなって聴こえてくるようになる。
これらの音色変化、音響変化は、声に比べれば非常に微妙な変化であるが、
ピアノの名手は、この微妙な変化で、様々な色彩や情感を表現できる。
そして、微妙だからこそ余計に、また言葉がないから余計に、
様々な情感が感じ取れる、いや、聴き手の心の中にあるものと共鳴して、
様々な情感が心に湧いてくるのだ。

天地真理さんは、間違いなくこのことを知っている。
彼女は音楽学校でピアノを修行する中で、そのことを教え込まれ、
自分でもそれを音楽の美点として納得し、自分の歌作りの基本として取り入れ、
音楽における自分のこだわりとして持ち続けたのではないかと思う。

構成美習得の理由のもう一つは、
音楽学校の学生であった天地真理さんにとっては当然のことだが、
楽譜が読めるということにあると思う。
彼女はピアノや歌で初見がきくということを、ある記事で読んだこともある。
テレビの「真理ちゃんシリーズ」で次から次へと劇中歌を歌うときには、
その能力が大いに生きたことと思う。

歌謡曲の世界では、楽譜というものを媒介せず、
コーチ役の作曲家の先生による口移し的レッスンや、
録音テープなどで曲を覚える歌手も結構多いと聞く。
こういうやり方で身に付けた音楽の価値が、
楽譜をきちんと読んで身に付けた音楽に劣るということは必ずしもないが、
ここで言う構成美のようなものは表れにくいのではないかと思う。
楽譜を音楽作りのベースに置くということは、
構成美の骨格を作る上で大変有利に働いていると思う。

クラシックの世界のピアノ音楽でも、
楽譜に示されたリズムや指示から大きく逸脱した演奏がなされた時期があったが、
1900年代の中ごろからは楽譜に忠実にという流れができてきた。
当然天地真理さんもそのような流れの延長上にある教育を受けてきたはずである。
私は楽譜至上主義、作曲家至上主義には必ずしも同意しない立場で、
端正であろうと、演奏家の表現力には、楽譜に表しきれない豊かさが必要だと考えており、
崩してあろうと、端正であろうと、(自分にとって)いいと思えるものはいいという、
ちょっと説明しにくい信条を持ってはいるが、
ピアノ音楽でも、楽器そのものの音色、タッチ、ホールの響き、録音の仕方など、
音そのものに卓越した美点がある場合、
端正に作り上げられた音楽の方が、それらが生きるという思いは強い。

天地真理さんがピアノに真剣に取り組んでいたこと、
そして端正な中にも控え目だが素敵なニュアンスを付けるということをやっていたことは、
彼女が残したピアノソロ演奏「バッハ インベンション第15番」を聴いてもわかる。
この演奏は、クラシックのピアノ曲を、
歴史上の名手から現代の新進の演奏家までを(好みに従って)聴いてきた私の耳で聴いても、
素晴らしいと思えるものだ。
それについても、いずれ別項で触れてみたい。

ここでちょっと寄り道して、ピアノ音楽を紹介しておく。
古くて恐縮だが Wilhelm Kempff の「Beethoven Tempest」である。
天地真理さんの構成美を書いていてなぜか思い出した演奏だ。
このピアニストは、途中に出てくる分散オクターヴを何度も失敗している。
現代のコンクール上がりのピアニストならば、恥ずかしくて逃げ帰ってしまいそうである。
しかし、凄い技術を誇る昨今のピアニストが逆立ちしても敵わないものがここにある。
ドイツ人らしく、テンポルバートがほとんどない端正な演奏だが、
さりげなく始まる出だしのピアノの響きとニュアンス、
そしてそこから引き込まれてしまう音楽の素晴らしさはどうだろう。
私が言わんとしていることは、おわかりのこと思う。

私は天地真理さんが「さくらさくら」、「みかんの花咲く丘」など、
いわゆる昔の文部省唱歌を、とても素晴らしく歌っていたのを、
非公式音源だが、YouTubeで聴かせてもらった。
彼女の不世出の音色美と構成美をもって、
もっと多くの唱歌を公式音源に残してもらいたかったと、心底思う。

2011年4月16日 (土)

天地真理28 証② 構成美「小さな日記」-4 歌詞3,4番

天地真理さんの1974年録音「小さな日記」の構成美について。

歌詞3番。
印象的な区切りのリズムとともに伴奏全体が半音上がり、
弦楽器の細かい動きも加わることによって、
重く悲しい現実を、曲調として強調する中、
彼女の音響的表現力が際立ってくる。
言葉一つ一つを伸ばす声に、音響的な長さと力強さが加わっている。
と同時に、これまで見られたかわいらしい、あるいは微笑ましいニュアンスは消える。

”やまにー”がいきなり、この曲では今までなかった真理倍音Ⅰ(U4kO6k倍音)で始まる。
これが一気に、音響的に、この不穏な歌詞を盛り上げる。
この、それまでの音色とのコントラスト付けは、音響構成的な素晴らしいうまさだ。
”はつゆきー”には、
話し言葉として、今までになかった明瞭さと、毅然とした印象付けもある。
”ふーるころに”や”帰らぬ ひとと”での声の伸ばし方も、
わずかではあるが明らかに、今までにない長さと強さを持ち、
歌詞に表れる意味を、音響効果で強調している。

(構成美②「言葉と音の表現バランス」)

以上のような、歌詞と連動した表現のうまさとともに、
細かく動くヴァイオリンの素晴らしい響きと、彼女の声の響きの見事な調和はどうだろう。

”にどとー”では声が伸びているにもかかわらず、不思議とうるさくない。絶叫でもない。
基本周波数+第2,3,7倍音の、彼女としては厚みより透明感の勝った音色が、
彼女としては大きめなポルタメントポルタメント・チョーキングを伴って響く。
話し言葉としては、口の開け方を少し控え目にした、わずかな暗さを湛えるが、
それまでのニュアンスとの対照性から、ここでの歌詞の意味がひときわ胸を打つ。
それとともに、”
わーらわぬ”の1ヶ所だけ、拍子に対して言葉を前倒しで発する。
これも、そのずらし量は他の歌手に比べればわずかだが、
これまで一度もずらしがなかったところで発せられるがゆえに、
無常の現実を表現するのにきわめて有効である。

そしてここまでの音響的緊張感から一転して、
曲調と一体となって弱まっていく”かれーのかお”のニュアンスは、
悲しさ、寂しさをこの上なくこみあげさせずにはおかない。

一度たりとも泣くような大袈裟な表現をしていないにもかかわらず、
悲しく寂しい過去が、胸に迫ってくる。
構成の威力というのは、こういうことだ。


歌詞4番。
伴奏がギターと弦だけになった中で歌われるこの4番の歌われ方は、
彼女の不世出の構成美を決定づけている。

1番の時を上回る透明感は、冷徹感とでも言うべき静かな厳しさを湛えている。
2度出てくる”ちいさなー”のニュアンスの、1番でのそれとの明確な違いに気付かれるだろう。
そこにはかわいらしさや、ほほえましさのかけらもない。
”こーとーでした”と、そのあとの”にどとーかえらぬ”の響きは、
3番の、重い現実を印象付ける、力のある響きと類似性はあるが、
3番にあった、
拍子に対する言葉の前ずらしは、ここにはもうない。

歌詞としては、ソナタ形式の再現部のように、1番と同じ内容の、告白調の語りに戻るのだが、
言葉と音響のニュアンスは1番とは全く異なる。
厳格なまでのリズムの端正さと、透徹した音色の響きが、
過去を昇華させるかのような、あるいは小さな日記を閉じて再び過去を封じ込めるかのような、
威厳と格調を湛えている。

このような各番の印象付けは、
歌詞としても、音楽としても、見事な起承転結の体をなしており、
見事な構成美となっていると思うのだ。
しかもその起承転結の豊かさが、端正な控え目な美の中に見事におさまっている。


最後のフレーズ、”わすれたーはずのー”の、実に言葉をいつくしむような語り方は、
何と説明したらいいのだろう。
”こーい”では、ビブラートが
真理倍音Ⅱ(O10oU4k倍音)から一旦純音にまでなるが、
”でした”の最後は、自励型ビブラート
真理倍音Ⅱ(O10oU4k倍音)のまま最後まで続き、
うつろな
寂寥感を漂わせつつも、ぱたりと日記の扉を閉めるかのような
淡然とした
印象を残して終わる。

2011年4月15日 (金)

天地真理27 証② 構成美「小さな日記」-3 歌詞1,2番

天地真理さんの1974年録音「小さな日記」の構成美について。

歌詞1番。
まず、すべてのフレーズにおいて、
伴奏のリズムに対して、歌詞の各言葉の拍が全くずれない。
前の小節の最後に記譜される、2個の8分音符から始まる各フレーズが、
そのリズム通り、その音符の刻み通りに歌われる。
さらに、言葉一つ一つが実にはっきりと発音されている。

普通、ここまできちんと歌われると、何か就学生の歌の発表会のようで、
何の魅力もないものに陥ってもおかしくない。
ところが私には、彼女がきちんと歌えば歌うほど、
その魅力が倍加しているように感じてしまう。
その最大の理由は、やはり彼女の音色美だ。
彼女の声が持つ、
底光りする音色の素晴らしさと、
要所要所での安定した、絶妙のゆらぎを含んだビブラートがあるためだと思う。
そしてこのような音色美は、
言葉使いを強調し過ぎたり、テンポを揺すったりといった
デフォルメをしない方が、
単純にそれを味わうことができるため、より生かされる。
本当にいいものがそこあるのなら、
それは単純な方が、あまりゴテゴテと飾らない方がいい。
端正な歌い方が音色美を生かし、この歌の音楽的格調を高めている。
(構成美①「端正さ」)


全体としての端正さの中にある、細かい表現を見てみよう。
ギターのみの寂しげな伴奏にのって、
透明感が漂う、美しい声でさりげなく始まるこの歌は、
暗くもなく、明るくもない、大方の歌手で強調される悲しさも感じられない。

この透明感、さりげなさは、
「小さな日記」という、即物的で、残された静物としてイメージと、
”過去”という動かし難い現実の冷たさを表現しているように思える。

そしてこの透明感の中に、微かにかわいらしい印象があるのに気付かれるだろうか。
”ちいさなー”と、あるいは”過去でした”と発音されるとき、
彼女は微かにほほえんでいるようにも思える。

かわいらしいものは、「小さな日記」という冊子であると同時に
”私と彼との””小さな過去”であろう。
ここですでに彼女は、この曲を、この”小さな過去”を、
悲しいだけのモノトーンとしては受け取っていないことがわかる。
このことは歌詞2番で、よりはっきりする。


また、”ことーでした”や”わたしとーなどで聴かせる彼女ならではの声の音色美が、
この人をいわゆる「アイドル」などと呼ぶことが憚られる、
表面的には「アイドルの権化」のようなものでありながら、
歌手としては、そのようなものから一線を画した存在であることを自ずと印象付ける。
しかもこの音色は、
”ちいさなー”の時とは一転した、
やわらかく厚みがあって、うるさくないのにどこまでも
伸びていく、
不世出の響きを
湛えているがゆえに、どこか毅然とした印象を漂わせ、
”わすれたはず”なのに忘れられぬ、消し去りがたい過去の重みを際立たせる。

このような、歌詞の意味に重ね合わせた解釈の膨らませ方は、
必ずしも皆さんの感じられ方と一致しないかもしれないが、
さりげなく歌っているようでいて、端正さを損なわない範囲で、
彼女は言葉としてのニュアンスと、声の音色変化を付けていて、
それが歌詞の雰囲気ととてもよく照合していることはご理解いただけると思う。
(構成美②「言葉と音の表現バランス」)


歌詞2番。
一瞬の間をおいてベースギターの装飾が雰囲気を変え、
弦、ベース、そしてドラムが加わって始まる。

ここでも彼女はテンポを崩さない。(構成美①「端正さ」)

ここでの高音の弦楽器の響きは、胸騒ぎを誘う、悲しさを予感させるものだ。
彼女の、さほど張っているわけではないのにどこか奥行きのある声と、
短調を強調するように奏でられる高音の弦とが
掛け合うように交差していく響きは
この上なく美しい。
”だまった ままで”での「語頭ハミング」が胸に響く。

そして、悲しげな伴奏に囲まれて、”ちょっぴり すねて”と発せられる彼女の声は、
伴奏とは対照的に、微かなほほえましさを湛える。

ここにおいて、歌詞1番で見せたかわいらしさの微かなニュアンスが、
より豊かになって表現される。

この歌が、この歌の中の”小さな日記”が、単に悲しいだけのものでなく、
戻れないけれども、確かにあった小さな幸せを含んでおり、
しかも、そのような小さな幸せがあったから余計悲しい、といういき方よりは
悲しい中にも、確かに幸せがあった、という救いの方に
彼女はここではフォーカスしているように思える。

ここで見え隠れするかわいらしさやほほえましさは、
小さな日記に残された小さな過去には、
この上なく悲しいものだけではなく、
たわいのないものではあるが、この上なく楽しかったものがあり、
この上ない幸せがあったはずだと彼女が信じていて、
その思いを、控え目ではあるが、素直に、ストレートに表現しているように思う。

”やがてはー”の音色は、私が愛してやまない真理倍音Ⅱ(O10oU4k倍音)であるが、
ここではとりわけ、おなかにずしんと響く力強さを湛えていて、
本当に信じ合っていれば、”やがては”戻るところに戻るんです、とでも言いたげな、
どこか応援歌のような趣を持つ。

かわいらしさやほほえましさの言葉としてのニュアンス、
そして勇気を与えるかのような音響的ニュアンスは、

表現の振幅としては実に控え目ではあるが、
この歌の豊かな、奥行きのある情景と情感を私に感じさせるのだ。

(構成美③「表現の控え目な豊かさ」)
とりわけ”なかーなおり”からのニュアンスの素晴らしさは説明するのももったいない。

2011年4月11日 (月)

東日本大震災からの教訓1 進歩なくして

東日本大震災から1カ月がたった。
第2次世界大戦や広島・長崎の被爆を経験された方々は、
恐らくこれ以上の悲劇を見てきたのではないかと思われるが、
少なくとも私にとっては、今回の東日本大震災において、
今までの人生において最大の悲劇に直面した思いがする。

東京電力管内にあり、何度かの停電を経験したり、
微量ではあるが放射能物質や放射線がおよぶ地域であったことを除いて、
直接の被害を受けていない私は、大方の方々と同じように、
自分は何ができるか、何をすべきかということを考えざるを得ない。
そして私は、被災者の真の気持ちを理解したり、
ましてや亡くなられた方々の無念の気持ちを慮ることなど、
到底できそうにない。
しかし、この悲惨な現実について思いを巡らす中で、
なぜか私は、昔読んだある本の一節を思い出し、
それしか納得する道はないのではないかと思うようになった。

吉田満 著 「鎮魂戦艦大和(上)」 (講談社文庫) 臼淵大尉の場合-進歩への願い
において、
「戦艦大和が燃料片道の沖縄突入作戦に出動を決定したとき、
青年士官の間に特攻死の意義付けをめぐってはげしい論争が引き起こされた」
中で、「出動以来の死生論議の混迷を断ち切った」臼淵大尉の言葉として、
次のように記されている。

「進歩のないものは決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。
日本は進歩といふことを軽んじすぎた。
私的な潔癖や徳義にこだはって、真の進歩を忘れてゐた。
敗れて目覚める。それ以外にどうして日本が救われるか。
今目覚めずしていつ救われるか。
おれたちはその先導となるのだ、日本の新生にさきがけて散る。
まさに本望ぢゃないか」

吉田満さんは、この文庫本の序として次のようにも書いている。

「「戦争の悲劇」を超えるとは、どのような行為を指すのか。
彼らの短い人生は、そのことを問いつづけているはずである。」

戦争という、人の愚かしい行為による悲劇と、
今回の天災とを単純に重ねることには無理があるが、
救いようのない、無益な死に直面してまでも、
その死に意義を持たせたいと願う人間の性に感銘を受けると同時に、
その意義として他を黙らせる力のあるものは、
人類の進歩のためになりうるという1点である。
無念の死、取り返しのつかない現実から、何か意義を見出し、
前向きな何かを心に抱きたい、という心理としては普遍性がある言葉だ。
亡くなった方々の願いだけでなく、むしろ生き残った我々の側に突き付けられた、
無念の犠牲を無にしない思想として、私は受け止めたい。

ここで改めて自分に何ができるだろうと考えたとき、
被災された方々への物質的、精神的支援が必要なことは言うまでもないが、
この悲劇から何を学ぶか、どう人間として進歩するか、
どのような思考基盤、行動規範を再構築していくか、がきわめて重要であって、
それ無しに、亡くなられた方々の犠牲は報われないと思う。

以上のようなことから、私はこのBlogにおいて、
自分なりにこの悲劇から得られる教訓について考えてみたいと思う。

2011年4月 9日 (土)

天地真理26 証② 構成美「小さな日記」-2 構成美とは

さて、天地真理さんである。
1974年録音「小さな日記」より。


  この曲をここで全フレーズを紹介しようか、大変迷った。
  今までと違ってここでの記事は、この歌を全曲聴かなければ理解できない。
  公式音源でこれを聴くには、今のところ「天地真理 プレミアム・ボックス」を買うしかない。
  その案内は右にある。
  1曲ぐらいはすべて紹介しても、それをきっかけに「天地真理 プレミアム・ボックス」を買ってもらえれば
  それでいいという考え方もある。
  しかし、この歌が素晴らしことをここで強調すればするほど、
  この1曲をすべて聴くには、できればお金を出して買ってもらいたい。
  それが私の正直な気持ちである。
  できれば Sony Music には、いろいろな曲に接する敷居を低くするために、
  「天地真理 プレミアム・ボックス」をバラ売りしてほしいところだが、
  これに含まれる9枚のCDいずれも、映像が入ったDVDも、すべてが素晴らしい。
  もしこのBlogで天地真理さんの歌に興味をもたれた方には、
  私は自信を持って薦める。

  P.S. 2011年8月に「GOLDEN☆BEST 新・三人娘~天地真理・小柳ルミ子・南沙織~」と称する
     CDが発売された。これに「小さな日記」が含まれている。
     この2枚組CDは1枚目が各自のヒット曲、2枚目がカバー曲となっている。
     カバー曲を3人の歌声で聴けるなかなか良い企画のCDだが、
     欲を言えば「あなた」は、真理さんのものを入れてほしかった。

私は以前スカパーで、
曲とはあまり関係ない映像と共に、歌謡曲を延々と流す番組があって、
いくつかの歌謡曲の間に挟まれて、天地真理さんの「空いっぱいの幸せ」が流れた時に、

それまで流れていた歌謡曲の雰囲気に似つかわしくない、
ちょっと場違いな印象を抱いたのを覚えている。
明るく、清純な路線を引き継いだ曲であるにもかかわらずである。
もちろんこれまで説明してきた、彼女特有の不世出の音色美が、
アイドルのイメージとはかけ離れた、堂々たる印象を醸し出していたこともあるが、

それだけでない、何かよい意味での格式のようなものを感じたのだ。

演歌を中心とした、
間をあける、拍をずらす、テンポを揺する、といった
楽音的強調(デフォルメ)がなく、
嘆く、叫ぶ、泣く、などの話し言葉的強調(デフォルメ)もほとんどない。
それでいて堅苦しく、面白味のない、ガチガチの
Classical Music というわけでもない。
むしろそこから遠く離れた、庶民性の香りもある。
しかも、表情がないとか、うまみがないというわけでも決してない。
何か非常に整った中での、楽譜に記された音楽としての決まりごとは守った上での、
表情付け、盛り上げ方が行われているように思う。
そして、歌詞のとらえ方も、独特の明るい色を持っていながら、
多面的に、なおかつ構成的に的を得たものであることが窺われる歌作りとなっている、
と思うのだ。

私はこれを「構成美」と名付けて、その中身を述べてみたいと思う。

構成美①「端正さ」:
 拍の正確さ、崩しの少なさ、楷書的端正さ。
テンポ・ルバートが少ない。
 ヒット曲をナツメロで聴くと、テンポや拍がひどく崩され、
 極端な例では1小節ずれて歌詞が出てくる、といったデフォルメがなされる。
 私はこういったやり方には、その曲を歌い続けた年輪の重さのようなものは感じても、
 音楽としての美は感じない。

構成美②「言葉と音の表現バランス」:
 
語り言葉としてのニュアンス付けと、音色・音響によるニュアンス付けのバランスの良さ。
 
語り言葉としての表現を強調するため、過度の泣き、うなり、呻きなどが入ると、
 私は音楽として崩れていくように思う。
 かといって、子音、母音を、型にはまった正確な音響的
発声として追及されると、
 味気のない、敬して遠ざけられる模範歌唱のようになる。

 語り言葉延長型表現と楽譜忠実型音響表現のバランスといってもいいかもしれない。
 演歌や実力派歌手といわれる方々の歌謡曲が
、語り言葉延長型表現に偏っている現状では、
 天地真理さんの歌は
、楽譜忠実型音響表現に軸足を置いたように感じられるかもしれない。
 私にはどちらの観点も含んだ、非常にバランスのとれた美点があると思われる。

構成美③「表現の控え目な豊かさ」:
 妙な日本語だが、控え目ながら、豊かさがあるということである。
 歌詞の解釈とそれに基づく表現が、
振幅は小さいが多面的で豊かだ。
 小柳ルミ子さんのような表現の振幅の大きさ、激しさはないが、
 ダ・カーポや森山良子さんが、この曲のある側面にフォーカスした、
 モノトーンな曲作りであるのと対照的に、
 歌詞の中身を重層的にとらえ、
 物語的進行に非常にマッチした、様々なニュアンスの変化が聴いてとれる。
 歌の一つのイメージにフォーカスしすぎるのでなく、
 歌詞の様々な情景、情感に素直に反応した、大げさではないがはっきりとした
 ニュアンス付けがなされている。
 しかもそれが全体の物語構成としても、ふさわしい、納得のいくものとなっている。
 そこに、歌詞の表現として、重層的な構成美を感じる。

これらの構成美について、歌詞1番から順を追ってみていきたい。

2011年4月 8日 (金)

天地真理25 証② 構成美「小さな日記」-1 聴き比べ

これまで天地真理さんの歌の魅力、不世出の証①として、
音色美について述べてきた。
さまざまな音響的要素によって、
彼女ならではの素晴らしい響きを作り出していることが、
多少なりともご理解、ご共感いただければ幸いである。
ただし、どんなにいい声を持っていても、
どんなにうまいテクニックを持っていても
それだけでは感動的な歌にはならないことはご承知のとおりと思う。
歌として成り立たせるためには、
さまざまな魅力的音響要素をどのように用い、どう組み立てていくか
また、歌詞の魅力と曲調の魅力を、どう織り込んでいくかが重要なポイントになる。
この観点から、次は迫ってみたいと思う。

天地真理さんの不世出の証②として、私は「小さな日記」という曲を取り上げたい。
アルバム「恋と海とTシャツと/恋人たちの港」に納められた、
1974年録音の歌である。
私にとってこれは、不朽の名唱と思える。
聴きすぎて飽きるのが怖く、聴きたいがなるべく聴かないようにしたい、
そんな歌である。

いうまでもなく音色美にあふれたこの歌において、
私にこれを不朽の名唱と思わしめ、
彼女の歌に、
この曲に限らず内在していて、
抗しがたい魅力的要素として端的に認識させられるものは、
「構成美」である。

  私はここで、複数の聴き比べを行い、
  かなり詳しくその印象を語ってしまうことになる。
  天地真理さんの歌の「構成美」について理解していただくのに
  これ以上の方法を思いつかなかったためだが、
  天地真理さんの歌の魅力を語る場である以上、
  比較として取り上げられた歌手にご心酔の方々にとっては
  不愉快な部分もあるかもしれない。
  少なくともここで取り上げた歌はすべて、
  私にとっては素晴らしいと思えるものばかりで、
  歌手としても第1級であることは疑いようがない。

「小さな日記」はフォー・セインツのデビュー曲で、
4番まである歌詞が、日記という形態をちらつかせながら、
ほほえましい回想と悲しい現実とが、
告白する口調で語られるものである。
ではまず、この曲のオリジナルであるフォー・セインツ、
そしてカバー曲である、小柳ルミ子さん、ダ・カーポさん、
森山良子さん、
による
4曲を聴いてもらいたい。
いずれも実力派の歌手による名唱といえるだろう。

フォー・セインツ
 男声2部合唱で淡々と歌われる。
 フォークグループというよりは、ビリー・バンバンに通じる趣がある。
 抑制の効いた表現、ムード歌謡的声の響かせ方が印象的だ。
 歌詞1番はユニゾンで、2番は独唱になり、
 途中からバリトンがメロディー、テノールが高音でハモらせる
という手法がユニークだ。
 3番からは輪唱まで加わり、4番でユニゾンに戻る、といった構成はなかなか面白い。

小柳ルミ子
 「瀬戸の花嫁」を思わせるイントロから始まるこの歌は、
 演歌的アプローチの典型である。
 声こそ初々しく、また必ずしも演歌歌手として修業してきたわけではないと思われるが、

 拍子に対して言葉の入るタイミングをずらす、テンポを揺する、といった
 演歌特有の手法が散見され、
 振幅の大きい強制型ビブラート、うねるような長周期ポルタメントなどが駆使されている。
 歌詞4番では絶叫型の声の張り方も聴かれ、
 心にあふれる思いをストレートに、力ずくで伝えようとする情熱型の歌唱といえる。
 
表現の幅が広く、ドラマチックに盛り上げる歌いあげ方は、
 声質は全く違うが、美空ひばりさん的と言ってもいいかもしれない。
 私には、この歌には少し重すぎる、大袈裟すぎる表現のように感じる。

ダ・カーポ
 きれいなビブラートで控えめな情感が感じられ、好ましい。
 女声は1~4番まで、しっとりとしてはいるが、驚くほど単調に繰り返されている。
 男声を加えることによって、
1~4番の歌詞の物語性に合わせた変化をつけようと
 意図されているかのようだ。
 しかし、男声の加わり方も、フォー・セインツの時のような変化の付け方はなく、
 女声と同じ音程の、ユニゾンの響きが淡々と続く。
 この淡々とした歌い方は、この歌手の一貫した魅力的個性とも考えられるが、
 日記につづられた過去、というソリッドなイメージが強調された雰囲気となっている。

森山良子
 出だしの一声から、胸騒ぎがするほどの悲しい歌である。
 声の響き、言葉の語り方すべてが、この歌の悲しさを最大限に強調する。
 ほほえましいはずの歌詞2番まで悲しい。
 3番では泣き声のような表現が入る。
 拍のずらし、テンポの揺らしなどは少なく、演歌とは違うアプローチだが、
 悲しいものはとことん悲しく表現する、悲歌(エレジー)フォークの真骨頂的な歌だ。
 悲しい思いにドップリと浸りたいときは、これだろう。

2011年4月 4日 (月)

天地真理24 証①音色美 「好きだから」-19(周波数成分10 ビブラートゆらぎ・完結)

もうひとつの倍音ゆらぎの例は、ビブラートにおいてである。
ビブラートについては「天地真理13」と
「天地真理14」で触れたが、
ビブラート自体が周波数ゆらぎである上に、
天地真理さんのビブラートにおいては、倍音ゆらぎも加わる。
そして、よく観察してみると、思いつく限りのゆらぎがこれに含まれていることがわかる。

1973年録音の「愛になやむ頃」の冒頭を聴いていただきたい。

Voiceprint_aihaaruhi

この曲については、いずれ単独で取り上げてみたいと思っている。
天地真理さんの歌の魅力を凝集したような、素晴らしい歌だ。
ここではその一部を抜粋して、ビブラートについてのみ触れてみたい。

私はこれほどまで心地よいビブラートを他の歌手で聴いたことがない。
まず冒頭の”あいはーあるひー”の部分である。
それぞれの言葉をきっぱりと発した後に、強制的に揺するのではなく
どこからか湧きあがってくるようなビブラートが、ふわっ、ふわっと
この上なく心地よい音色とともに連なる。

図31に見られる2か所のビブラートは、「天地真理13」で述べた、
振幅が直線的に、三角形状に増加する、自励型ビブラートである。
これは「ビブラートの振幅ゆらぎ」といえる。
まさにゆらぎが湧いて出ている。

そして、いずれのビブラートにおいても、そのビブラートが続く間に
倍音が減少していっている。
図31の右側の
ビブラートでは、最後には基本周波数のみ残る。
すなわち単一周波数の純音にまでなっているのである。
究極とも言いたくなる「ビブラートの倍音ゆらぎ」である。

次に、”きゅうにーこのーむねのー”の部分である。

Voiceprint_kyuuni

一転して、ここでは「天地真理13」で述べた、
振幅がいきなり大きくなる、強制型ビブラートが2つ続く。
しかも、このビブラートの周期(のこぎり状の形の山の間隔)が
他の部分の
ビブラートの周期より短くなっている。
つまり小刻みなビブラートとなっているのだ。
これは「ビブラートの周期ゆらぎ」といえる。

強制型ビブラートである上に、その周期がここだけ短いことから、
ここでの歌詞に即した緊張感や胸騒ぎのようなものが、
音響効果として、非常に有効に加わっていると言えるだろう。


さらに、歌詞2番の最後の部分のビブラートである。

Voiceprint_ahuresounano

ビブラートが続く間に倍音が減少しているのだが、
残った3つの周波数(基本周波数と第2,3倍音)からなるビブラートが
徐々に消えていく過程で、「
ビブラートの音圧ゆらぎ」まで生じているのだ。
上の図33において、ビブラートののこぎり波形の低い谷の部分が、
図の上部の音圧波形における、振幅が膨らむ部分に対応しているのがわかるだろうか。
ビブラートの音程が下がる方で音圧が大きくなり、
音低が上がる方で音圧が小さくなるように変化しているのである。
声が消えゆく過程で、音の大きさまでゆらぐことで、
多次元的な音響効果となって我々の耳、そして心に、
不思議な余韻をもたらすのではないだろうか。

元々「周波数ゆらぎ」である天地真理さんのビブラートには、
ここでのテーマである「倍音ゆらぎ」のみならず、
ビブラートの「振幅ゆらぎ」「周期ゆらぎ」「音圧ゆらぎ」まで生じていた。
心地よく感じるはずである。

日本音響研究所の鈴木松美さんが、NHKのAmazing Voice という番組で
イタリアの伝統的合唱団の歌を分析していて、
周波数ゆらぎのビブラートとともに、
合唱によって音程が少し違う音が混じることによる「うなり」が音圧ゆらぎとなって加わり、
究極の歌声だと述べておられた。
しかし、天地真理さんの声の、ここでの分析結果をみると、
「究極」という言葉をそうやすやすと使うべきではないと言いたくなる。
もし究極のビブラートというものがあるとすれば、

天地真理さんのこのビブラートこそ、それに最も近いものであると思うからだ。

私は初めに、天地真理さん
「伸びのいい、それでいてやわらかく、ちょっとかすれの混じった、明るくむらの少ない声が好きだ」
書いた。
そして、”
わたしはおよめにー”の所の音色を中心に「極上の独自性」を感じ、
「不世出の証①音色美」として19項にわたって分析し、思いのたけを述べてきた。

しかしこうやって見てくると、
彼女の声を、ただ単に伸びのある、厚みのあるファルセットだということに限定することは、
彼女の声の魅力を狭くとらえたものにすぎないということに
思い至る
やわらかく倍音の多い声、真理倍音Ⅱ(O10oU4k)をベースにし、
高域の音も程よく含む、15倍音にもなる
真理倍音Ⅰ(U4kO6k)に拡張されるかと思えば、
一転、単一周波数である純音に近いハミング音まで自在に倍音を減少させ、

倍音ゆらぎ、倍音コントラストをつける。
心地よい2極の音色の間を行ったりきたりするこの音色のゆらぎが、

今も愛され、見直される Healing Sound を作り出した、
天地真理さんの音色美の本質ではないだろうか。

天地真理さんは「気が合う同志」や「大人への憧れ」の冒頭部分で聴かれるように、
響きの良い地声を持っている。
地声を追及していっても一流の歌手になったと思う。
しかし、ファルセット
(裏声)であるにもかかわらず倍音を多く出せるという特長をベースに、
その倍音が多いがゆえに厚みや奥行きを感じさせる音から、
ファルセットだからこそ倍音を減らして、純音に近いハミングのような音まで、
音色を自在に、むらなく変化させることができ、
さまざまなニュアンスをもたらすことができたことを考えると、
彼女の不世出の音色美はファルセットだからこそなしえたものだと言わざるを得ない。
「ファルセットの彼岸」といったら言い過ぎだろうか。
これ以上のことは、ここを訪れてくださった皆さんのご判断に委ねたいと思う。

  「音色美」のシリーズを終えるにあたり、
  ここで用いたソフトを参考のために挙げておく。

  周波数分析:「採紋 Ver1.0」 (シェアウエア)
          http://www.vector.co.jp/soft/winnt/edu/se479474.html
          http://www009.upp.so-net.ne.jp/hachinami/
  音声ファイルのwav化:「BatchWOO! Ver.2.5」 (フリーウエア)
          http://www.vector.co.jp/soft/win95/art/se457459.html
          http://lnsoft.net/
  音声ファイルの分割:「WaveSplitter Ver 1.02」 (フリーウエア)
          http://www.vector.co.jp/soft/win95/art/se222492.html
  音声ファイル(wavファイル)とExcelデータ(csvファイル)との相互変換:「WavCsvWav_2」 (フリーウエア)
         http://www.vector.co.jp/soft/other/java/se472182.html
         http://www.kt.rim.or.jp/~shiono/
  音声ファイル(wavファイル)の音量変更:「WAVLoud Ver1.00」 (フリーウエア)
         http://www.vector.co.jp/soft/winnt/art/se448456.html
  音声ファイルをMP3に変換:「えこでこツール Version 1.00」 (フリーウエア)
         http://www.vector.co.jp/soft/winnt/art/se445019.html
  音声ファイルの分割・結合・調整:「Microsoft Windows Movie Maker 5.1」

  これらのソフトを作成された方々に感謝いたします。

2011年4月 2日 (土)

天地真理23 証①音色美 「好きだから」-18(周波数成分9 語頭ハミング)

倍音ゆらぎの例として、さらに2つを紹介したい。
「語頭ハミング」といえば思い当たる方もいるのではないだろうか。

「好きだから」より、”だいてー”の部分にその片鱗が聴かれる。

同じく「好きだから」から、歌詞2番の”ばしゃにー”の部分。
上の例よりもう少しわかりやすいかもしれない。

”だいてー”や”ばしゃにー”の言葉の前に小さい”ん”が聴こえないだろうか。
それぞれの調波構造(周波数成分)を示す。

Voiceprint_ndaite_2

Voiceprint_nbashani

彼女のハミングの素晴らしさは、「ひこうき雲」という歌において
きわめて明瞭に、この上なく純粋な形で表れている。
だがここで言いたいのは、彼女の歌の至る所で、
このハミングの要素が見え隠れしているということだ。

”ふたりでー だいてー”の部分では、
真理倍音Ⅱ(O10oU4k)、真理倍音Ⅰ(U4kO6k)に挟まれて、
”だいてー”の前に、倍音が少ない、ハミング音がかすかにはいっている。
つまり、”ふたりでー 
だいてー”と聴こえる。

”しろいー ばしゃにー”の部分では、
倍音が少なめの爽やかな声に挟まれて、
”しろいー 
ばしゃにー”と、ハミング音が入る。

言葉の最初につくハミングということで、「語頭ハミング」というわけだ。
ハミング自体は、口が開かず、胸に共鳴した声だが、
これが語頭につくと、独特の情緒を醸し出す。

ここでの例は、かなり微かなもので、片鱗というレベルかもしれないが、
しだいにこれも洗練されて、歌の音色の彩りとして、
また感情表現の一要素として、明瞭に我々の耳と心に訴えかけてくるようになる。

1973年録音の「愛になやむ頃」より、その典型例を聴いてみよう。

Voiceprint_nmuneno

細かい説明は不要だろう。
胸から発声される
「語頭ハミング」が、切ない気持ちを否応なく掻き立てる。

天地真理22 証①音色美 「好きだから」-17(周波数成分8 合成音比較)

参考のため、今まで指摘してきた倍音構成を
合成音で再現し、比較しておく。
ゆらぎが全くないので味気ない音ではあるが、
概ねここまで説明した印象通りの音となっていると思う。

 

高いドの音(基本周波数523Hz)での比較

純音(523Hz単一周波数):オカリナ音、ハミング音と形容した音
[基本周波数のみ]

基本周波数に、わずかに第7倍音(3.6kHz)が加わる音
:チェリッシュ的 (倍音が少なく、やわらかく透明感の際立った声)
[基本周波数 +第7倍音x0.1]

基本周波数より第2,3倍音が大きく、第6,7倍音(3.1kHz、3.6kHz)が加わった音
:鮫島有美子さん的 (母音の描き分けと、よく聴こえる成分を最小限備えたソプラノ声)
[基本周波数x0.2 +第2~3倍音 +第6~7倍音x0.5]

基本周波数より第2,3倍音が大きく、第7,8倍音(3kHz台後半)が強い音
:小柳ルミ子さん的 (倍音が少なめで、
3kHz台後半が強くキーンと響く)
[基本周波数x0.2 +第2x0.5 +第3 +第7 +第8倍音]

基本周波数より第2倍音以上が大きく、第10倍音(5.23kHz)までがむらなく出る音
:松田聖子さん的 (厚みのある地声で、4~5kHz成分が強く、サイレンのように響く)
[基本周波数x0.4 +第2~10倍音]

基本周波数から第7倍音(3.66kHz)までがむらなく出る音
:天地真理さん的 (倍音が多いため厚みがあり、4~5kHz台がなく柔らかみがある声)
[基本周波数 +第2~7倍音]

基本周波数から第7倍音(3.66kHz)までがむらなく出る音
 +第13(6.8kHz)~第18倍音(9.4kHz)がわずかに加わる音
:真理倍音Ⅰ(U4kO6k) (
厚みと柔らかみがあり、ツーンとした味付けがある声)
[基本周波数 +第2~7倍音  +第13~18倍音x0.05]

4kHz未満に12倍音までがそろう音 (レ#:基本周波数311Hz)
:真理倍音Ⅱ(O10oU4k) 
(厚みと柔らかみがある声)
[基本周波数 +第2~12倍音]


”およめにー”の実際の声に、”にー”の合成音=真理倍音Ⅰ(U4kO6k)を継ぎ足した音
(シ:基本周波数494Hz)

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