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2011年4月28日 (木)

天地真理30 証③ 「天使の約束」-1 残り20%は?

これまで、天地真理さんの歌の音色美と構成美について説明してきた。
これらを備えていれば、十分魅力的な音楽になるはずだ。
私は、もしこれらを備えた歌手がいるならばすぐにでもファンになりたい。

ただ、この2つで天地真理さんの歌の魅力のすべてが語りつくせたかと自問すれば、
何か足らない、天地真理さんならではのものに迫りきれていないように感じる。
古く無骨な例で恐縮だが、星飛雄馬の大リーグボール2号「消える魔球」の、
球が消え切るための、残り20%が明らかになっていない。
魔送球の変化を生む投球技も、
これを地面すれすれに縦変化させるコントロールも持ち合わせていても、
まだ球は消え切っていない、決定的な何かが足りない、そんな印象を持ってしまう。
それはいったい何だろうか。

私はこの残り20%を説明するために、
「天使の約束」(1975年録音)を取り上げてみたいと思う。
この曲が入っているアルバムは、
19世紀半ばのオペラ「ミニヨン」をミュージカル化した「君よ知るや南の国」での
曲や歌のダイジェスト版をスタジオ録音したものである。
元がオペラだったということもあって、彼女はオペラ歌手のような発声法も見せ、
地声を混ぜるなど、表現の幅も広がっていて、
天地真理ファンとしては、
歌の実力を示してくれたという意味で大変誇らしくもある。

この「天使の約束」でも、ここで紹介したフレーズの後半で、
大変堂々とした、伸びのある声を聴かせてくれている。
それは
実力派歌手然とした、凛として近寄りがたい響きでもある。
しかし私がここで注目したいのはそちらではなく、
それと対照的な、ややもすると、それとは不釣り合いなぐらいの親しみやすさや、
温かみを湛えた、歌い始めの8小節の方だ。

この曲のタイトルからすれば、これは天使の声ということになる。
もしこの世に聖母マリア様がいるとすれば、それに最も近い声だとも思う。
聖母というと母のイメージも出てくるが、
母でも恋人でもなく、優しいお姉さんの声といった方が
私にはぴったりくる。
この歌を、「小さな日記」と同様にその歌詞の意味に沿って、
また長調と短調を行き来する音楽進行に沿って、
見事な構成美として説明することも可能だが、

私がここで考えたいのは、語りとも音楽ともつかぬここでの声が発する、
歌詞を表現する技術を超えた、何かほのぼのとした、
ああ、天地真理さんだ、と思ってしまう魅力だ。

「天使の約束」では、「空の彼方から舞い降りてきた私と」「唄歌いましょ」と言った後、
子供のコーラスが入る。
このミュージカルの詳細は知らないが、この歌だけからの印象では、

子供たちに天使が語りかけているかのようだ。
その天使に扮する天地真理さんの声が、私にはとても純粋で、
心底子供たちに語りかける、優しい響きを持っていると思う。
このような響き、ニュアンスは、
こうやりましょうと企画されたり、ある種のレッスンをしたり、
意図して自分を飾ったりして出せるものなのだろうか。

クラシックの著名な演奏家のレッスンや談話などに接すると、
音楽表現は、あるレベルを超えると、
どう指を使って、どう力を込めてなどという末端的なことや、

音をどう出すかというテクニックの追及などを超えて、

曲の流れの中に入り込んだ時、心の中で何をイメージするか、が
音楽を決定的に変えることが等しく強調されていることに気づく。
この心の中のイメージが、常人よりかけ離れて豊かで、
純粋で、
時に極端であり、さらにそれが曲想や表題、歌詩、などと的確に符合しているとき、
そこから生まれる音楽は深い感動をもたらす。

そのようなことから考えると、天地真理さんの歌の魅力として、
音色美、構成美を持ってしても説明しきれないものがあるとすれば、
天地真理さんの心の中のイメージ、あるいはそのイメージを抱くその人そのものに
その答えがあるのではないかと思うのだ。

天地真理さんは実際のところ、子供たちに絶大な人気があったという。
いわゆる「真理ちゃんシリーズ」というテレビ番組で、子供たちを想定した、
ぬいぐるみなどを使った演出のおかげでも大いにあるだろうが、

子供というのはある意味残酷だ。
偽りの微笑み、偽りの優しさは敏感に見抜く。
本来歌手というものは商業主義的に仕組まれていて、
それなりの仕掛けを使って聴衆に受け入れられようと努力するものなのだが、
本人にその意識が強すぎれば、子供はそのいやらしさを敏感に感じ取り、
そっぽを向いてしまうだろう。

私が強調したいのは、この天使となって語りかける彼女の言葉の、
邪心のなさ、まっすぐに子供に向かって語りかけるような、
そして子供が何の疑いもなく虜になってしまうような純真さなのだが、
このようなことは、演出で仕組んだり、頭で学んだり、では得られない、
その人のひととなり、人間性から出てくる以外に出せない味ではないかと思う。
こうみてくると、私が感じる、言いつくせていない残り20%の彼女の魅力とは、
彼女が歌において自分の人間性を開放している部分、
いや、解放された人間性そのものの方にあるのではないか、と思えてくる。
私はこれに象徴されるような天地真理さんの魅力に「人間美」という称号をつけてみた。

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コメント

真殿、なるほどと自分の記憶も振り返り読ませていただきました。
天地真理というひとりの歌手があれほど小さな子たちに受け入れられた理由が解かった気がします。
真理さんの歌は決して大袈裟な表現で歌われることがなく、ごく自然に子供達の耳に届いていたから、、
子供達や私達のような年下が、真理ちゃん!と呼べうる存在になりえたのでしょうね。
その後の人気歌手の中でアイドルという定義にある多くの方々を私は知ります、しかし真理さんに代わる人は居なかったしこれからも出てこないと思えます。
空前絶後、、、天地真理ほど唯一無二の存在ですよね。
「天使の約束」、目が離せない記事、大期待です。

tipさん

コメントありがとうございます。
このテーマは前から構想として持っていたのですが、
言葉にするのに難儀しています。
皆さんの心にあるものを言い当てられる自信はないのですが、
多かれ少なかれ皆さんが感じておられるものだと思っています。

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