« 東日本大震災からの教訓1 進歩なくして | トップページ | 天地真理28 証② 構成美「小さな日記」-4 歌詞3,4番 »

2011年4月15日 (金)

天地真理27 証② 構成美「小さな日記」-3 歌詞1,2番

天地真理さんの1974年録音「小さな日記」の構成美について。

歌詞1番。
まず、すべてのフレーズにおいて、
伴奏のリズムに対して、歌詞の各言葉の拍が全くずれない。
前の小節の最後に記譜される、2個の8分音符から始まる各フレーズが、
そのリズム通り、その音符の刻み通りに歌われる。
さらに、言葉一つ一つが実にはっきりと発音されている。

普通、ここまできちんと歌われると、何か就学生の歌の発表会のようで、
何の魅力もないものに陥ってもおかしくない。
ところが私には、彼女がきちんと歌えば歌うほど、
その魅力が倍加しているように感じてしまう。
その最大の理由は、やはり彼女の音色美だ。
彼女の声が持つ、
底光りする音色の素晴らしさと、
要所要所での安定した、絶妙のゆらぎを含んだビブラートがあるためだと思う。
そしてこのような音色美は、
言葉使いを強調し過ぎたり、テンポを揺すったりといった
デフォルメをしない方が、
単純にそれを味わうことができるため、より生かされる。
本当にいいものがそこあるのなら、
それは単純な方が、あまりゴテゴテと飾らない方がいい。
端正な歌い方が音色美を生かし、この歌の音楽的格調を高めている。
(構成美①「端正さ」)


全体としての端正さの中にある、細かい表現を見てみよう。
ギターのみの寂しげな伴奏にのって、
透明感が漂う、美しい声でさりげなく始まるこの歌は、
暗くもなく、明るくもない、大方の歌手で強調される悲しさも感じられない。

この透明感、さりげなさは、
「小さな日記」という、即物的で、残された静物としてイメージと、
”過去”という動かし難い現実の冷たさを表現しているように思える。

そしてこの透明感の中に、微かにかわいらしい印象があるのに気付かれるだろうか。
”ちいさなー”と、あるいは”過去でした”と発音されるとき、
彼女は微かにほほえんでいるようにも思える。

かわいらしいものは、「小さな日記」という冊子であると同時に
”私と彼との””小さな過去”であろう。
ここですでに彼女は、この曲を、この”小さな過去”を、
悲しいだけのモノトーンとしては受け取っていないことがわかる。
このことは歌詞2番で、よりはっきりする。


また、”ことーでした”や”わたしとーなどで聴かせる彼女ならではの声の音色美が、
この人をいわゆる「アイドル」などと呼ぶことが憚られる、
表面的には「アイドルの権化」のようなものでありながら、
歌手としては、そのようなものから一線を画した存在であることを自ずと印象付ける。
しかもこの音色は、
”ちいさなー”の時とは一転した、
やわらかく厚みがあって、うるさくないのにどこまでも
伸びていく、
不世出の響きを
湛えているがゆえに、どこか毅然とした印象を漂わせ、
”わすれたはず”なのに忘れられぬ、消し去りがたい過去の重みを際立たせる。

このような、歌詞の意味に重ね合わせた解釈の膨らませ方は、
必ずしも皆さんの感じられ方と一致しないかもしれないが、
さりげなく歌っているようでいて、端正さを損なわない範囲で、
彼女は言葉としてのニュアンスと、声の音色変化を付けていて、
それが歌詞の雰囲気ととてもよく照合していることはご理解いただけると思う。
(構成美②「言葉と音の表現バランス」)


歌詞2番。
一瞬の間をおいてベースギターの装飾が雰囲気を変え、
弦、ベース、そしてドラムが加わって始まる。

ここでも彼女はテンポを崩さない。(構成美①「端正さ」)

ここでの高音の弦楽器の響きは、胸騒ぎを誘う、悲しさを予感させるものだ。
彼女の、さほど張っているわけではないのにどこか奥行きのある声と、
短調を強調するように奏でられる高音の弦とが
掛け合うように交差していく響きは
この上なく美しい。
”だまった ままで”での「語頭ハミング」が胸に響く。

そして、悲しげな伴奏に囲まれて、”ちょっぴり すねて”と発せられる彼女の声は、
伴奏とは対照的に、微かなほほえましさを湛える。

ここにおいて、歌詞1番で見せたかわいらしさの微かなニュアンスが、
より豊かになって表現される。

この歌が、この歌の中の”小さな日記”が、単に悲しいだけのものでなく、
戻れないけれども、確かにあった小さな幸せを含んでおり、
しかも、そのような小さな幸せがあったから余計悲しい、といういき方よりは
悲しい中にも、確かに幸せがあった、という救いの方に
彼女はここではフォーカスしているように思える。

ここで見え隠れするかわいらしさやほほえましさは、
小さな日記に残された小さな過去には、
この上なく悲しいものだけではなく、
たわいのないものではあるが、この上なく楽しかったものがあり、
この上ない幸せがあったはずだと彼女が信じていて、
その思いを、控え目ではあるが、素直に、ストレートに表現しているように思う。

”やがてはー”の音色は、私が愛してやまない真理倍音Ⅱ(O10oU4k倍音)であるが、
ここではとりわけ、おなかにずしんと響く力強さを湛えていて、
本当に信じ合っていれば、”やがては”戻るところに戻るんです、とでも言いたげな、
どこか応援歌のような趣を持つ。

かわいらしさやほほえましさの言葉としてのニュアンス、
そして勇気を与えるかのような音響的ニュアンスは、

表現の振幅としては実に控え目ではあるが、
この歌の豊かな、奥行きのある情景と情感を私に感じさせるのだ。

(構成美③「表現の控え目な豊かさ」)
とりわけ”なかーなおり”からのニュアンスの素晴らしさは説明するのももったいない。

« 東日本大震災からの教訓1 進歩なくして | トップページ | 天地真理28 証② 構成美「小さな日記」-4 歌詞3,4番 »

天地真理」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/569269/51317577

この記事へのトラックバック一覧です: 天地真理27 証② 構成美「小さな日記」-3 歌詞1,2番:

« 東日本大震災からの教訓1 進歩なくして | トップページ | 天地真理28 証② 構成美「小さな日記」-4 歌詞3,4番 »

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

最近のトラックバック

ウェブページ

無料ブログはココログ