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2011年1月

2011年1月17日 (月)

天地真理8 証①音色美 「好きだから」-4(弁解)

正直に言うと、前項の検証記事を出すべきかどうか迷った。

その理由の一つは、検証結果の微妙さにある。

天地真理さんの言葉の発声の柔らかさを、音圧変化だけに着目して、
波形の立ち上がりの緩やかさに、その一因を求めたわけだが、
前々
で波形を示して解説していると、もっともらしくもある。
そこでやめておけば、そうかもしれないということで終わっていたかもしれない。

しかし本当にその仮説が正しいかどうかは、それだけでは定かではないわけで、
そこの違いが実際にどう聴こえるかを確かめてみたくなり、

合成波形で比較する方法もあったが、
実際の声を使って変えてみる方が面白味があるだろうと思ってやった結果である。

私自身、波形の立ち上がりを緩やかにした松田聖子さんの声を聴いて
オリジナルと比べて、思ったほど差がないと感じた。
ファイルを間違えたかと疑ったこともあったが、
両耳にイヤホーンをしっかりはめ、その気になって聴けば、

言葉のはじめの、突き刺さってくるような、はじけるような感じは緩まっている。
このようなソフトな立ち上がりが続けば、歌全体にやわらかさが漂うのではないかと、
彼女の歌の魅力の一端を言い当てた気になり、にんまりとした。

しかし一方で、思ったほどの差がない印象も強い。
真理さんの声の立ち上がりの柔らかさだけに関しても、
その半分も再現できていないと思う。
これは皆さんが聴いて感じられたところではないかと思う。

他の歌手と比較する場合、同じ歌で比較しなければはっきりしないこともあるし、
音圧波形の振幅を変えるだけで似せようというのも無理がある。
周波数成分の変化(いわゆる声紋)を見ると、もう少し違った観点もある。
しかし仮説を披露したからには、その因子がどれだけ効いているかを聴いてみてもいい。

大げさに波形を示して、もっともらしく違いを示した割には、
実際の音の差は思ったほどではないというギャップも滑稽だし、
もし差が聴き取れる方がいて、それが彼女の言葉の柔らかさと関係がありそうだと
思う方が出てきても(私がそうだが)、それもどことなく滑稽である。
そう思って掲載することにした。

私は工学の世界にいて、仮説と検証の厳しさを多少なりとも経験してきたつもりである。
仮説を立て、こうではないかと主張することは楽しい。
しかし、現実に起こっている現象をその仮説で本当に説明できるかと問われたとき、
それがうまくいったことは数えるほどしかない。
とりわけ製品として世の中に出るなど、現実の世界にさらされると、
その仮説や解析の不十分さ、的外れさを突きつけられ、
厳しく罰せられることも少なくない。

工学者の意地と誇りがあるとすれば、
もっともらしい仮説を示して煙に巻いたり、
手の込んだ方法で検証をしてみせて再現したと言い張ることにあるのではなく、
その結果を皆さんがわかる形で示し、
皆さんの評価を仰ぎ、自分でも素直に見つめることにあるのではないかと思う。
皆さんの耳にこそ真実の世界があり、
仮説は往々にして間違っている。
その結果についての評価は、素直に分かち合いたいと思う。


もう一つ、迷った理由は、
ちょっとでも具体的に、客観的に分析したら、
常に検証しなければならない、検証がなければ信じるに値しない、という姿勢を、
この音楽芸術の世界に持ち込むことの無粋さである。

私は本来、連想的、情緒的文章を得意とするつもりであるが、
ついつい遊び心で始めた波形解析に多少の反響があったため、
引っ込みがつかなくなってしまった感が
 ある。
こんなことは音声の専門家がやればもっとたやすく、
的確に解析できるのではないかという気もする。

この調子だと天地真理さんの声を合成するまで続けることになるのだろうか。
しかし、もしそれができたとしても、やっぱり本物の方がいいだろうし、
それで彼女の歌の魅力がわかったとはとても言えないと思う。

私が波形解析を持ち出してまで彼女の歌の魅力を語りたくなったのはなぜか。
もちろん、他の歌手と比較してここが違う、ここが他の歌手と天地真理とを分かつ
決定的な差だ、というものを見出したい気持ちもある。
しかし、音楽というつかみどころのないものを、
一旦波形や分析グラフなどに視覚化し、
それと、自分の心にある音楽体験と照らし合わせることによって、
検証可能な、あるいは検証不能な仮説まで湧きだし、
新たな気付きや感動が得られるのではないかという期待の方が大きい。

今は、照らし合わせる素材が波形解析であるが、
今後ある時は、連想する事物であったり、他の音楽であったりすることだろう。

ここを見に来られた方は、私の結論を盲信しないでいただきたいし、
大いに検証不能な仮説や妄想を膨らませてもらいたいと願う。
ここは答えを見つける場ではなく、
答えを見つけようともがくプロセスを楽しむ場であり、
その答えは、間違いなく永遠に完結しないはずである。

2011年1月14日 (金)

天地真理7 証①音色美 「好きだから」-3(音圧検証)

前項の検証を試みたいと思う。

声だけの部分なので処理がしやすいため、
松田聖子さんの「青い珊瑚礁」を使わせてもらい、
「あのしまへー」の部分の、言葉一つ一つの波形の最初の立ち上がり部分を
緩やかにした波形を作ってみた。
元の波形の、言葉の前半部分の振幅に、sin関数の4分の1を窓関数としてかけた。

元の波形と、変更後の波形を示す。
Voiceamp_matsuda6_2

立ち上がり部分が丸く緩やかになっているのが確認できる。

それでは聴いていただこう。

オリジナル

立ち上がり緩やか化

違いがわかるだろうか。

     「あ」と「ま」のことばの立ち上がりに注目して
     「立ち上がり緩やか化」の方を2,3回聴き
     すかさず「オリジナル」を聴き、
     最後にもう一度「立ち上がり緩やか化」を聴くとわかるかもしれない。

2011年1月12日 (水)

天地真理6 証①音色美 「好きだから」-2(音圧)

天地真理さんの声を聴くと、なぜ心地よく感じるのだろうか。
私は彼女の声を、
(Ⅰ)
音圧、(Ⅱ)周波数ゆらぎ、(Ⅲ)周波数成分、の3点から分析してみた。
音圧とは声の強さである。
周波数ゆらぎとは音程のゆらぎである。
これらは心地よさに関係するといわれている。

周波数成分とは、彼女の声の中に含まれる、異なる音程の成分である。
これを倍音というのだが、声の倍音成分は、
その声の特徴や音色を決めるものといわれている。

(Ⅰ)音圧
次のグラフは音圧を示す波形である。横軸は時間で縦軸が音圧である。
縦軸方向に大きく広がっている方が音が強いことを示す。(クリックで拡大)

Voiceamp_amachi1_4

天地真理さんの歌は、言葉がはっきりと聴こえるのだが、どこかやわらかく心地よい。
その理由の一つがこの波形に現れていると思う。

言葉一つ一つの波形の最初の立ち上がりがゆるやかで、
流線形のような、リスのしっぽのような形に見える。
言葉が、フワッ フワッ と耳に入ってくる、あの感じは、
この音圧のゆらぎに起因していると思われる。

比較的立ち上がりが急になる言葉、「あ」、「ま」を次に示す。

Voiceamp_amachi2

Voiceamp_amachi3

ここでも立ち上がりの緩やかさを見せている。

比較のために、松田聖子さん「青い珊瑚礁」からとった声の波形を下に示す。

Voiceamp_matsuda4

言葉一つ一つの波形の最初の立ち上がりが急峻であり、
歯切れ良い、パンチのある歌声に聴こえるのはこのためだろう。
地声の場合こういう声が出しやすいようだ。

ここで一つお断りしておくが、他の歌手と比較するときは注意が必要である。
ここを、天地真理さんが良くて他の歌手は悪い、という場にしたくない。
私は
松田聖子さんの声も魅力的だと思っているし、
そもそも好きではない音楽家は、このBlogでは取り上げないことにしようと考えている。
あくまでそれぞれの個性の違いをはっきりさせるために、
比較として取り上げているとお考えいただきたい。

参考のためにトランペットの音と、その音圧波形を示す。


Voiceamp_trumpet4

トランペットという楽器は、唇とマウスピースの所で、
ちょうど声帯のように音が発せられたあと、
管の中を共鳴してきれいな音になる。
吹き方にもよるが、上の例のように、音が発した後共鳴して
ウヮー 
ウヮー と音が膨らんでいくように聴こえるときは
音圧波形の立ち上がりが緩やかになっている。

トランペットと天地真理さんの声とは、音色は違うが、
音圧波形の立ち上がりの緩やかさに類似性があり、
おそらく天地真理さんが言葉を発した後、喉、胸、腹、鼻、などにおいて
ちょうどトランペットの管のように共鳴しているのだろう。

天地真理さんは、音楽学校の声楽科で、
声そのものの出し方を修行しただけでなく、
日本語の言葉一つ一つの発声法を修行し、習得したのではないかと思う。
そしてその良さを彼女自身が認め、彼女の音楽性と適合したために、
流行歌歌手となっても、ほぼ一貫して続けた歌唱法であったように思う。

彼女は、この、言葉を発する最初のアタックの部分の音圧と、
そのあとに続く共鳴の部分の音圧のバランスをコントロールすることにより、
ほぼすべての言葉を均一に、
このような立ち上がりの緩やかな、丸くやわらかい音で響かせることができた。

贔屓眼かもしれないが、彼女の歌にやわらかい温かみと気品のようなものを感じるのは
このせいではないかと思う

2011年1月 4日 (火)

天地真理5 証①音色美 「好きだから」-1

 不世出の証を示す1曲目に、「好きだから」(後藤益子 作詞、森岡賢一郎 作曲)を選んだ。セカンドアルバム「ちいさな私・ひとりじゃないの」に含まれる1972年録音の歌である。意外と思われる方も多いかもしれない。他の2曲はスンナリ決まったが、この曲に決めるのは多少難航した。これに行きつくまでに15曲ばかり候補を選んでいたが、この曲はその中にすら入っていなかった。迷った挙句に、プレミアムボックスを最初から聴き直し、出くわした。選んだ今、私は多少ほくそ笑む気持ちがある。大方の予想を覆したのではないかといういたずら心がくすぐられるのと、私が言いたいことを最も端的に表しているように思えたからだ。

 なんと他愛のない歌詞だろう。「好きだから 私はお嫁に行きたいの」。この曲を家族と一緒に聴いていたら、僭越にも「流行歌手はつらいね、こんな曲を歌わなければならないって」と言われた。ある意味当たっている。普通の大人ならちょっと恥ずかしくて歌えない、そんな類の歌である。言ってみれば、底が抜けている。底抜けに明るく、底抜けに一途である。危ないほどに。

 この天地真理セカンドアルバムは、全曲オリジナルなのだそうだ。そういう場合、アルバムの間つなぎに、軽いノリで作られた曲かもしれない。他の歌手のアルバムでも、そのように感じる曲が時にある。

 ここまでこの曲のくだらなさをあげつらっておいて言うのもなんだが、私にとってこれは大変魅力的な歌だ。何度も聴いてしまう。

 作曲者の森岡賢一郎という人は、デビュー曲「水色の恋」の編曲をしている人である。また小柳ルミ子さんの初期のヒット曲の編曲をすべて手掛けている。渡辺プロ専属の編曲者、作曲者であったのかもしれない。そのような立場でこの人は、ある意味では、まだ手垢の付いていない天地真理の音楽的特長を、先入観なく見た人ではないかと思う。そのような人が、天地真理の歌声の最大の魅力の一つに気づいていて、それを端的に示す曲を作ったのではないかと思える。わざと他愛のない歌詞を持ってきて。

 この歌が示す、天地真理の「不世出の証①」は、その声質、声の出し方である。私は、この歌で聴けるような、彼女の伸びのいい、それでいてやわらかく、ちょっとかすれの混じった、明るくむらの少ない声が好きだ。

 具体的に見ていくと、「わたしはおよめにー」の所の、母音「アーオーエイー」が続いて響く所、喉の奥の方から共鳴しているアーオー」の響きから、鼻と胸に共鳴しているイー」へ続く響きがなんとも心地よい。そして「あかーい...」から続くフレーズは、2小節ずつの言葉の単位ごとに、1小節程度伸ばし続ける声が連続する。「だいてー」、「しろいー」「すなはまー」、「かけてー」、いずれも程よい艶と透明感とがあって、それでいて細く窮屈でなく、広がり感のある、開放的な素晴らしい響きだ。

 この素晴らしい響きが表れるためには2つの条件がある。一つは、その曲のサビの部分の音程がファ(350Hz)から上のレ(587Hz)ぐらいまでとなること。彼女はもっと高い音(公式音源では高いミ(659Hz))まできれいに出せるが、ここで言っているような倍音を伴った味のある声は、この範囲にある。もう一つはそこでの音の長さが2分音符から全音符(1小節分)ぐらい伸ばせることである。

 作曲者、森岡賢一郎は、天地真理の声の最大の魅力を認識し、上のような条件を極力単純に満たす曲を作って、彼女の魅力を我々にストレートに示すことに成功した、といえるだろう。30年の時を超えてこの歌を愛聴し、ここまでグダグダと長文を書いて恥ずかしげもなく晒す人間が少なくとも一人いるのだから。

 私が天地真理を聴くときの半分は、この声を期待し、この声がどういう場面で、どういう風に響くかを聴いている。天地真理の歌の魅力の核であって、彼女以外の歌手ではめったに聴けない、とびきり極上の独自性がここにある。私はこの証①を「音色美」と名付けたい。

 では、なぜ私はこのような声を心地よいと感ずるのだろうか。私は理系の人間で、工学を生業としてきた関係上、何かを理解しようとしたときにデカルト的アプローチ、すなわち細かい小部分に分かつ、解析的方法を取りたくなってしまう。多少強引ではあるが、天地真理の歌声を音圧波形にし、周波数分析してみた。その結果を次に紹介したいと思う。ただしこの結果にあまり期待しないでいただきたい。芸術にデカルト的アプローチを取るとまず失敗する。迷宮に入りこむのみである。アインシュタインですらこう言っている。「唯一価値あるものは直観である。」と。

2011年1月 3日 (月)

天地真理4 不世出の証

 「不世出」などという穏やかでない言葉を使ってしまった以上、何をもって「不世出」というのか、について語っておかなければならないと思う。私はこれを説明するにあたって、公式音源の中から3曲を選び、私が考えるポイントを述べてみることにした。

 ただし、この3曲が天地真理さんのベスト3であるというつもりはない。素晴らしい歌はほかにたくさんある。ベストを選ぶとなると、他の曲になるかもしれない。それについては追々触れていこうと思う。選んだ3曲は、私が考える「不世出」の証とも言うべき要素が端的に現れていて、説明しやすいと思われるものであるに過ぎない。

 ここで、「不世出」の定義について触れておきたい。一般的には「めったに世に現れないほどすぐれていること」であるらしい。私はこれに加えて、2つの側面からその意味を捉えたい。独自性と普遍性である。

 独自性とは、この人でなければ聴けない、とびきり素晴らしい何かを持っているということである。普遍性とは、こういう声、こういう歌い方ならこんな歌も、あんな歌も歌ってもらいたいと思えるかどうかである。この2つに卓越性が認められるなら、私は「不世出」といっていいのではないかと考える。

2011年1月 1日 (土)

天地真理3 不世出の名歌手

天地真理3 不世出の名歌手

 私は天地真理さんが歌ったある曲を聴いて、彼女を不世出の名歌手と呼びたくなった。ザ・ワイルドワンズの「想い出の渚」という曲のライブ録音である。Tom Jonesのシングルレコード盤「Delilah」を聴いて以来の衝撃だった。歌唱技術がどうこうというのではない。一言でいえば、圧倒的に素晴らしい声である。歌詞と曲調がおのずと期待させる盛り上がりの部分にこの声が出た時、私はノックアウトされた。Tom Jonesが「... She was my woman ...」のところで聴かせた時のように。

 私がYouTubeでそれを聴いたのは、つい最近(2010年11月)のことである。それまでも私は、天地真理さんは、巷のアイドルとしての評価以上に、繰り返し聴いても飽きない、素晴らしい歌手だと考えてはいた。だがこの曲を聴いて、その考えは不十分であると思うに至った。

 断わっておくが、天地真理さんがこの曲のみにおいて、奇跡的に素晴らしい声を出した、ということではない。他の曲の中に既にあり、今まで薄々感じ取っていたことが、自分にとって愛着のあるこの曲のある部分で端的に現れることによって、私にはっきりとした気付きを与えた、というべきだろう。やはりそうだった。
天地真理さんは歌手としてとんでもないものを持っていたのだと。

 この気付きは私に2つのことを決断させた。一つは、「不世出」と言うからには、彼女が残した公式音源であるCD全集、「天地真理プレミアム・ボックス」の中にこそ、その証があるはずだ。それをもう一度聴き直し、見つめて直してみよう。それとともに、DVDとして残されているドラマ「時間ですよ」での歌唱場面、そして非公式に残され、YouTubeに投稿された音源で、私が手に入れることができたものすべてを聴き直してみよう、他の名歌手の歌を聴き直し、カバー曲は聴き比べもしてみよう、と思い立った。一時の感傷でなく、冷静に比較して、やはり「不世出」と思えるのか、その期待と不安が心にあったためだ。

 もう一つは、以前から彼女の歌の魅力を何らかの形で語ってみたいと思っていたが、今や、語らなければならない、に変わった。語るべき核のようなものができたように感じたためだろう。

 天地真理さんの歌を褒め称えるサイトがいくつかあることは承知している。まさにそうだと思うことの多くが既にそこにある。いち早く天地真理さんの歌の魅力に気付き、ライブ録音などを私的に残されている方々もいて、YouTubeに投稿されてもいる。それで充分だ、所詮音楽を言葉で語ること自体ナンセンスである、ただ聴けばよい、と言えなくもない。

 しかし相変わらずテレビでは、「アイドルとして凄かったんですから」、という切り口での振り返りしかなされないことに、もう十分だと言いたくなる。そろそろ、「実を言うと...」という切り口がテレビやマスコミにもほしい。実は歌手としてとんでもないものを持っていたにもかかわらず、それとは別の側面を、テレビは印象付けていていた、などと。そっちもとてつもなく素晴らしかったが。

 また、歌のうまさ、素晴らしさは、美空ひばりさん的なものだけではないはずで、私なりの感じ方を表現してみる価値もあるのではないか。語りつくせていない天地真理の歌の魅力を語ることによって、あわよくば、言葉から気付きを与え、歌の魅力にはまっていくというプロセスに加担してみたい。

 そして、共感を得られるかどうかはわからないが、既に天地真理さんの歌の魅力を語っておられる方々に続く一人に、+1になってみたい。ひょっとしたら天地真理さんへの恩返しになるかもしれない。

 そのような思いから、私は天地真理さんの歌について、ここで思いの丈を語ることにした。例によって、とりとめなく、グダグダと続く話にうんざりされるかもしれないが、暇な時にお付き合いいただければと願う。

 のっけから紹介できない音源に対する話から始まり、フラストレーションをためるばかりであることをお許しいただきたい。最初に触れた曲をまだ聴いたことがなく、志のある方は、YouTubeの chiccyaiwatashi さんのチャンネルに注目すれば、またいつか出てくるかもしれないとだけ付け加えておく。

天地真理2 挨拶2

天地真理ファンの方々へ

私は、天地真理さんのことを冷静に、客観的に批評できない状態にあることは自覚しています。
しかし一方で、天地真理さんの歌について、私なりに極力冷静に分析し、語ってみたい
という気持ちを抑えることができず、こうやって恥をさらしてみることにした次第です。

私は、珍しい素材は全くもち合わせておりません。
公式音源や、ファンの方々が公開しておられる素材をただ鑑賞して
感想を述べること以上のことはできそうにありません。
大半は、真理さんの歌を聴いて思いつくこと、連想することの羅列になってしまうと思います。

ある一文を読んで、実際にその音楽を聴いてみたくなる、
そんな文を本当は書きたいのですが、
共感だけでなく、読んだ方が自分はこう思うと言いたくなったとすれば、
それも私の望むところです。

お断りですが、
真理さんの魅力的な映像は意図的にあまり使わないようにしました。
真理さんの映像はあまりに魅力的であるがために、耳がおろそかになる経験が私自身にあったからです。
あの映像と歌とが一体となった魅力は、私のようなものが語るまでもありません。
それと、天地真理さんの歌以外の音楽について書いてしまうことがあると思います。
「音楽+α」のブログということでお許しください。

ハンドルネームは真理さん、真保さんの字から拝借したのではなく
私の名前の一文字を取ったものですので、あしからず。
言うまでもないですが、お二人の名前と一文字でも一緒なのは光栄です。

真理さんのファンの方々と、真理さんの歌の魅力を少しでも分かち合えれば
大変うれしく思います。
                           真

天地真理1 挨拶

天地真理さんへ

こんにちは。
ここに天地真理さんのことを書く以上、まずご本人に挨拶しておかなければなりません。
見ていただけるかどうかは別として。

私は真理さんから、青春時代に素敵な想い出をいただき、
また真理さんが青春を懸けて残された歌に、今も魅了されている1ファンです。
そんな真理さんの歌の魅力を自分の言葉で語ってみたくなり、
このようなブログを立ち上げることにしました。
微力ではありますが、天地真理さんのことを世に語り継ぎ、
またそれをきっかけに、ファンの方々とも交流できれば、
きっと真理さんも喜んでくださるのではないかと信じています。

文中で真理さんのことを「天地真理」(呼び捨て)とか「彼女」とか「この歌手は」とかと
表現してしまうことがあります。
できもしないのに、少しでも客観性を与えようと気取っているだけです。
お許しください。

もしこの一文ならびに本ブログの記事が真理さんのお目に触れることがありましたら
無上の喜びです。

                                真

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