2016年1月19日 (火)

ピアノ編曲 卒業写真 荒井由実

このピアノ編曲は習作である。
前作の「悲しい気持ち」を作る際に、桑田佳祐の作品をYouTubeで見ていた中で、
「卒業写真」を桑田佳祐が歌っているものがあった。
(現在これは削除されているので紹介できないのが残念だが)
その伴奏はエレキバンドのサウンドの中に、ピアノとフルートが織り込んであって、
そのピアノがとても気に入り、主要部分を真似してピアノのみの音楽として
編曲してみることにした。

桑田さんの歌の伴奏をしていたのは、島健というジャズピアニストだった。
奥さんが島田歌穂という歌手で、 夫婦でデュオライブ なども行っている方である。
ここでの伴奏は前衛的なジャズ音楽ではなくて、
歌謡曲であることを踏まえた、お洒落なバラード的な音楽になっていた。

私はこの「卒業写真」(作詞・作曲:荒井由実)の、
荒井由実(松任谷由実)さんの公式録音を2種類知っているが、
一つは、エレキバンドを主体とした、その伴奏形態だけから言えば「ロック」の分類になってしまうようなもので、
もう一つは、セブンスコードを多用した、かなり硬質で無機的なピアノの和音の連続からなる伴奏のものであった。
これらとハイ・ファイ・セットの作品(編曲:服部克久)を併せて聴いてみた段階では、、
いつものようにそれらの伴奏形態を取り入れてピアノ編曲をしてみよう、という気持ちがあまり起こらなかったのだが、
この桑田佳祐の歌の伴奏を聴いて、真似して勉強したくなった次第である。

この編曲はピアノ連弾用になっており、
前奏、間奏、結び(後奏)、そしてメロディーの合いの手のいくつかは、
島健さんの編曲のコピーである。
伴奏和声、内声部、そしていくつかの盛り上げ部分は私の好みで作った。

卒業写真
作詞・作曲:荒井由実
参考ピアノ演奏:島健
ピアノ編曲:真


音源作成:MIDI
ピアノ音源:Galaxy Steinway Vintage D
音声ファイル(wav)はこちら

2015年12月22日 (火)

クリスマスソング きよしこの夜

今年は きよしこの夜 Silent Night をピアノ編曲してみた。



ピアノ編曲:真(Shin)
音源作成:MIDI
ピアノ音源:Galaxy Steinway Vintage D

wav版(音声のみ)はこちら

2015年5月23日 (土)

ピアノ編曲 悲しい気持ち 桑田佳祐

桑田佳祐作詞・作曲 悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)

女々しい男の気持ちを豪華なサウンドで威勢良く歌い上げるこの曲は、
桑田佳祐がソロ名義で初めての作品で、1987年に発売されたとのことである。
あるきっかけでこの曲を知ったとき、そのメロディーとハーモニー、
そして個性的なアレンジが気に入り、ピアノ編曲できないものかと考えるようになった。
今まで取り組んでいた曲と異なり、
(メロディーそのものはもの悲しいのだが)リズムが激しく、
ピアノソロにどう移し替えるか、楽しく悩んだ。



   この歌のオリジナル盤全体が聴ける音源はYouYube等にない。
   一部を紹介する方法もあるが、原曲をどのようにピアノに編曲したのかを知るには全曲を参照したい。
   そこで音質を大幅に落としたMP3でここに紹介することにした。
   昔田舎で聴いたAMラジオの深夜放送での音のようだ。

このような曲での困難さは次のようなものだ。
1.裏拍強調の扱い
 
ジャズやロックで聴かれる裏拍(2拍目、4拍目...)を強調するリズムは、
通常音程があいまいなドラム音やパーカッションで強調される。
 ところがこれを音程がはっきりしたピアノ音でやろうとするとどうも様にならない。
 ピアノソロでやるならストライド奏法で
、2拍目、4拍目の和音を強調する方法があるのだろうが、
 とうも恰好がつかないため、ここでは断念している。
 従って原曲のリズミックなイメージが抒情的なイメージに転換してしまっている感がある。

2.高音の弦の持続音
 以前にも述べたが、この曲ではこのような持続音が効果的に使われているが、
 ピアノの高音はすぐに減衰してしまうためうまく真似できない。
 ピアノで持続音を聴かせるには中、低音で行う。
 歌が始まってから8小節目で、原曲にある弦の高音持続音をピアノの低音に変換してみた。
 原曲のような切なさのかわりに、開き直ったような迫力が出てきたように感じる。
 古い型のスタインウエイの低音のジーンとくる音が心地よい。

3.歌の装飾音
 桑田はこの曲の歌声でかなり巧みな装飾音をつけている。
 しかしこれをそのままピアノの単音にすると今一つの響きになる。
 ここではカントリー音楽でよく使われる、装飾音の頭の音にその4度上の音を
 同時に加えて鳴らす方法を使っている。
 この方法は西部劇の音楽によく出てきそうなフレーズでよく使われ、
 Floyd Cramer は過剰と思えるほどこのフレーズを多用して曲を作ったりしていたが、
 ピアノでのこの響きは間違いなく心地よい。
 メジャー9thコードの響きに並んで、ついつい使いたくなる響きでもある。

迫力ある低音の響き、少々ひきつったような不協和音、カントリー風の装飾音、などが今まで扱った編曲とはちょっと異なる新たな取り組みとなったと思う。


悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)
桑田佳祐作詞・作曲
ピアノ編曲:真



音声ファイル(wav)はこちら


   作成はMIDIによる。
   ピアノ音源:Galaxy Steinway Vintage D

2013年12月17日 (火)

クリスマスソング ああベツレヘムよ

私はキリスト教徒ではないが、
クリスマスに関連した讃美歌にはなぜか惹かれるものがある。
歌詞にはほとんど無頓着で、読んでも意味がわからないことも多いが、
その響きには抗しがたい魅力を感じる。
バロック的響きのせいだろうか。

昨年の「牧人ひつじを」をピアノ編曲したものが我ながら気に入ったものだから、
今年もということで、讃美歌115番「ああベツレヘムよ」をピアノ編曲してみた。

旋律の優美さもさることながら、
和声的にはディミニッシュコードが使われているなど結構難しく、
また半音階進行や、対位法的対旋律が使えてなかなか面白いと思う。
2回繰り返したが、1番と2番では中間部と結びの部分に少し変化を加えてある。

いろいろ勉強して和声にも時間を費やしたが、
何といってもピアノの響きの調整にかなりの労力をつぎ込んだ。
音響設定は「牧人ひつじを」と同じく EW Hall Church という教会的響きを選択したが、
ピアノの場合、和声の中の、また時間的前後の、
1つ1つの音の強弱の設定を変えることで聴いた印象が大きく変わる。
以前にも触れたが、これは実に驚くほどだ。

昔読んだHorowitzの演奏(とくにスカルラッティなどの簡素な曲において)に関する解説で、
「磨かれた音」という記述があった。
その当時は、「音を磨く」とはどういうことなのか、
今ひとつピンとこなかったのだが、
今は、それはどういうことなのか、少しは分かるような気がする。




以下はMIDIで作成したものである。

「ああベツレヘムよ」 ピアノ編曲:真
音源:EASTWEST QuantumLeap Pianos   Steinway D


「ああベツレヘムよ」楽譜

 
「ああベツレヘムよ」 ピアノ編曲:真 WAV版


昨年アップしたものも再アップしておく。

「牧人ひつじを」 
ピアノ編曲:真
音源:EASTWEST QuantumLeap Pianos   Steinway D




「牧人ひつじを」 ピアノ編曲:真 WAV版


オルゴール版も再アップしておく

→ Christmas Songs by Music Box 再生リスト
    「ミッキーとうたおう クリスマスソングブック」より
      出版:ヤマハミュージックメディア
      オルゴールのVSTi音源:Old Music Box 

2013年9月21日 (土)

ピアノコメディー (1)

ピアノもいいが笑いもいい。
ということでピアノを使ったコメディーを紹介したい。
基本的には、音楽版”あるある”が強調されているところにおかしさの源があるように思う。

まずは古くて恐縮だが、アメリカに移住したデンマーク人、Victor Borge である。
もうお亡くなりになった方だ。




ピアノ連弾物。
連弾をやったことがある人は、隣の人の存在が気になったり、
手や腕がぶつかり合ったり、交錯したりした経験があるだろう。
また時に、どちらかの人は忙しく弾いているが、
もう片方の人は暇そうにしているように感じることもあるだろう。
そんなちょっとした、よくあるざわつきをデフォルメし、拡大し、我が物顔で演じると、
実に滑稽なものになる。
ピアノの腕も相当なものでないと格好がつかないが。




次はヴァイオリンとの共演である。
ヴァイオリンとの掛け合い、速くなったり遅くなったり、
そしてこの曲特有の、移調したり、終わりそうで終わらないを繰り返す時の心の機微を、
手はいたって真面目に弾いていながら、
顔の表情や身体の動きで強調することで、
実に滑稽な風になる。
演奏自体も、妙に相手に負けまいと張り合っているようなところが可笑しい。
実際にもこのような挑戦的伴奏者がいそうである。
後半には、素人によくあることだが、
曲の中で、あるレベルを越える部分が来ると急に覚束なくなる、
そんな状況を思わせるかのように、
顔だけは平然と
という、演奏家の基本中の基本を守りつつ、
見事な恣意的崩壊を入れて見せている。
後ろに映っている楽団員が、転げんばかりに爆笑しているのも無理はない。



最後は、上記のものと同じ曲だが、リコーダーとの共演である。
リコーダーなど、口を使う楽器は、笑うと演奏できなくなる。
そこを利用して、相乗効果で可笑しさをもたらす。
ソリストがすっと演奏に入っていける前奏に作曲家はいろいろ心を砕くのだろうが、
そんな努力を嘲笑っているかのような、まったく逆の効果を追求した入りだ。
さらに曲の途中では、合わすために顔を見合わせるところが必ずある。
そこを狙って仕掛けるわけだ。
仕舞いには、わざわざリコーダーにトリルのようなものをやらせておいて、
それを口真似でひっくり返す。
必死に、真面目に、笑いをこらえて演奏しようとするリコーダー奏者は、
たまったものではない。

何事においても、大真面目と滑稽が紙一重であることが実によくわかる。

2013年7月20日 (土)

上を向いて歩こう (2)

作る側からその裏話をいろいろ書くのは少々気が引けるが、
自身の勉強の覚書として記しておこうと思う。

”上を向いて・・・”のメロディーは、中間部の”悲しみは・・・”の8小節を除くと、
ヨナ抜き(四七抜き。ハ長調ではファシ抜き)長音階である。

このヨナ抜き
音階はスコットランド民謡(「蛍の光」など)などにも多いらしいが、
西洋から見て、近代の日本の歌(唱歌、民謡、演歌など)に 特徴的な音階 とみなされたようだ。
その気になってメロディーラインを追ってみると、この曲は「蛍の光」に似ていると感じられるところがある。
 「赤とんぼ」(1927年山田耕筰作曲)もヨナ抜き長音階で、やはりどことなく似た節回しの感じがある。


  ソドドレミとか、ミソラと上がっていくところなど。
  ちなみに「赤とんぼ」はシューマンの「 序奏と協奏的アレグロ ニ短調 op.134
  に似ているという指摘もあるという。

粋なリズムと洗練された響きの中に、日本人にとっては郷愁を誘う、そして世界から見れば異国情緒の漂う、日本的
ヨナ抜き長音階のメロディー、というところが
日本でも世界でも愛された理由のように思われる。

とりわけ日本人サイドから見れば、
童謡や唱歌を思わせる、
日本的
ヨナ抜き長音階にもかかわらず、
とても軽やかで、リズムが切れているところ、ジャズを思わせる雰囲気などに新しい魅力を感じられたと思う。
出だしの木琴(シロフォン)の音の軽やかさ、
ベースの、ボン、ボンとはずむような粋な響きとリズム感、
そして呼吸するような、ウワーン、ウワーンと膨らむ弦の音。
これらの伴奏音と歌詞も含めて考えてみると、
一見(個々には)相反すると思える複数の要素が、合わさると見事に調和していて、
それらの全体と、構成された個々からくる刺激に、聴き手はいろいろな心象を抱くように感じられる。
坂本九さんの歌い方(声の響き)も一役買っているだろう。


  坂本九さんの歌い方が、”ウヘホムフイテ”のようだとか、
  ”H音”が入るだとか言われているようだが、私にはどうもそのように聴こえない。
  坂本九さんはところどころに(”涙がこぼれないよヲヲに”のところなど)
  ヨーデルのように裏声を入れているのであって、
  これは 中村八大さん自筆の楽譜 の指示通りだ。
  裏声を日本語表記しようとすると”こぼれないよホホに”と書かざるを得ない、
  というのならわからないでもないが。

出だしの木琴の音には 多少の曰く があるらしいが、
ピアノで真似してみると案外すんなりとそれらしい音が出た。
ただし右手のオクターブのトレモロは、実際に演奏してきれいに響かせようとすると大変難しい。
辻井伸行さんレベルなら難なく弾いてしまいそうだが、
素人が演奏する場合は、良いピアノと相当の練習が必要だ。


A-A-B-A-A(口笛)-B-A
というこの曲の構成において、フレーズAは出てくるたびに変化させようと考え、
起-承-転-転’(口笛的)-結
となるようイメージしたのだが、

このAの部分で使用したコードパターンは大きく分けて3種類になる。

”起”では、原曲のコード進行にほぼ忠実に従い、1,3拍目にベース音を入れてリズミックに、
”承”では、いろいろ勉強したコード変化を取り入れ、
そのコードの響きがより際立つように、1、3拍目に和音を置き、2,4拍目にベース音を持ってきた。
”転”では坂本龍一さんがサントリーのCMで用いた伴奏のコード進行を拝借し、そこにあった対旋律や、その他の合いの手を加えた。
転’(口笛的)”では1オクターブ上の単音の響きと、高での和音の響きの良さを入れた。
結”ではそれまでに使った明るい感じのコードを組み合わせ直し、
それらの響きが最も素朴に響くように、上昇型の分散和音を、少々抑揚をつけて入れた。

このAの部分のコードパターンがどのように変化したかを示しておく。
  (画像クリックで拡大)
Sukiyaki_code1
これ以外に、Bの部分でも、
1回目は”幸せは”ということでメージャーコードを多めに、
2回目は”悲しみは”ということでマイナーコードを多めに用いたりしているが、
ジャズのような凝った代理コードやテンションコードなどではなく、
ポピュラーでよく使われるコードや、せいぜいMコードや9thコード程度までのものを使っても、
ここまでいろいろなコードに付け替えられ、しかも違和感が感じられない流れになるとは、不思議な感慨を抱く。
コードが変わると、同じメロディーでも微妙に雰囲気が変わり、
聴いた時の心象が変わる。
そこのところが、曲自体でも語る力を持っている、この曲のスタンダード曲たりうる価値の一つのように思う。


  「 ぼく達はこの星で出会った 」(講談社)という本を私はこのピアノ編曲を終えてから読んだのだが、
  この中で中村八大さんは、
  少年期のクラシックのピアノの先生の、「荒城の月」や「さくらさくら」の変奏曲を聴いて、
  生涯をかけて大音楽家になろうと心に誓ったことや、
  日本の歌謡曲が、歌手と歌詞を重点としてつくられるものが多いせいで、
  歌詞のニュアンスはよく出るが、曲としての印象があいまいなこと、
  メロディーにはメロディーなりの構成と緊張感が必要であって、
  それらの要素がきちんとしていないと、曲としていつまでも残りうるものとはなり得ない、
  ということなどが書いてあった。
  この方は作曲家としては決して多作ではなかったようだが、
  それは曲単独としての質に非常にこだわった結果でもあったことが、
  この言葉からもうかがわれる。

お気づきの方も多いと思うが、(
面倒なので階名で、コードもハ長調で説明するが)
原曲では、”_-う-え-を-む-う-い-て”が
”_-ド-ド-レ-ミ-ド-ラ-ソ”と歌われる背後に、
”ド-レード-レ-”と低い弦の音が入っている。
後の口笛の部分ではもっとはっきり聴こえるのだが、
この低音の音は、歩いている動作を、擬音というよりは擬態的に表しているように感じられ、
同時に心の中で、何かの思いを反芻したり、揺れ動いたりしている様子を、
実にうまく表しているように思われる。
この部分のレの音は、原曲のコード(ハ長調で”C--Am--”)には無い音である。
ここらあたりが、作曲者で編曲も取り仕切った中村八大さんの天才的なところだと思う。
この音は、単純にピアノの音で真似するとうまく響かない。
CとAmのルート音がベースではっきり鳴っている中では、低い弦の音でこそうまく調和するものだ。


  この辺りは中村八大さんがジャズバンドを取り仕切っていた経験からのものだろう。
  ちなみにご自身が弾くこの曲のピアノ・ソロではこのレの音は入れていない。
  余談になるが、中村八大さんの ピアノ・ソロ がCDで残っていて、
  日本の唱歌や自作の歌謡曲、洋楽のスタンダード曲を弾いているのだが、
  使っているピアノの音が少しキンキンしていて残念ではあるが、
  シンプルな中にも、不思議な魅力があり、
  また、的確なコードワークとフレーズのひらめきが、とても参考になる。
  何より弾いているご本人が心から楽しんでいるような幸福感が感じられる。

  さらに余談だが、NHKテレビ番組 「夢で逢いましょう」の記録映像にあるこの歌を聴くと、
  レコードの公式録音が成される前なのか後なのか定かではないが、
  レコードにかなり近い編成の伴奏音がある中で、
  中村八大さんがピアノで実によい響きの合いの手や対旋律(ハモり)を入れている。
  (レコードになった公式録音の方にはこのようなピアノの音は出てこない)
  (ただし”涙が”の部分の1拍目にピアノの和音が微かに入っているようにも聴こえるが)
  録音が古く、音が鮮明ではないが、
  その単音の響きの良さや、フレーズのセンスの良さには惚れ惚れする。

この部分のレの音を何とか取り入れようとして、Cadd9とDmを使ってみた。
少々もつれ気味の足取りのようにも聴こえるかもしれないが、
なんとなくモゴモゴとした、私好みの響きが出たように思う。
原曲の雰囲気とは違うが、
Cadd9の響きはどこか茫洋とした印象を与え、視界が広がっていくようにも感じるのではないだろうか。


”滲んだ星をかぞえ--て”の部分では、
それまでのモゾモゾとした部分から、一気に上に解放されていく感じが心地よい。
ここではM7コードや9thコードなどを経過和音的に使うと、心地よさがより増幅されるように感ずる。


  この部分のコード進行は、右手の上昇と逆行して、
  左手コードの一部の音(軸となる音)が規則的に下降している点に
  心地よさの秘密があると思う。
  上掲のメロディー&コード譜中の5から7小節の、青色で示したコード進行なのだが、
  Cadd9 → CM7 → Am → C9 → F の各コードは
   ド   → シ  → ラ  → ソ  → ファ  という下降音を含む。
  もう一つ、C9 → F の心地よさだが、
  C9に含まれるミとラ#が、次のFに含まれるファとラ♮にそれぞれ
  ミ→ファ、ラ#→ラ♮ と半音移行する。

  また別のパターンで、この部分の紫色で示したコードは、
  C → Em → C7 → F と移行しているが、これは
   ド→  シ → ラ# → ラ♮   という半音階の下降音(カウンターライン)を含む。
  セカンダリードミナントもサブドミナントマイナーも
  この半音階進行が軸となっており、それが心地よさの理由であるようだ。
  このようなカウンターラインを含む経過和音を見つけることが、
  心地よく感じる和音を見つけることにつながりそうだ。

”だ星”の部分のAmは原曲のコードEmの代理コードなのだが、
このAmから”を”の部分のFに移る間にC9またはC7(特にその中のラ#の音)を挟むと心地よく感じるから不思議だ。
”をかぞ”の部分は、基本的には皆Fの仲間なのだが、
3拍目にDm9を入れると、上がっていって少し行き過ぎる感じが、この部分の盛り上がりを強調するように感じる。

次に”え--て”ではG#(コードとしてはE7)を入れてから、Am(原曲はC)に移ると、少々ブルーな”思い出す”になっていく感じがする。
原曲では”思い出す”の部分にC-Dmを使っているが、
メジャーコードとマイナーコードを入れ替えてAm-Gとすると、
微妙に変化した寂寥感が漂うように思う。


最後の締めくくりについて、ピアノをいろいろいじくっていると、
なぜかリストの コンソレーション第3番 のように終われないかという思いが湧いた。
最後のフレーズを、コードをシンプルにして( →F-G)、3回繰り返したのだが、
1回目は3つの音からなる和音で、
2回目は右手を単音に戻し、
3回目は3つの音からなる和音の最上音を、ラでなく、その上のドまで上がってから折り返すようにしてみた。
(コンソレーションは3度の2音で降りてくるが)

さて、以上のようなコードがらみの勉強のまとめとして、
メロディーとコードがどういう関係にあるのかを可視化するため、
メロディーの各音が、コードの何番目の音か、をまとめて表示してみた。
コードのルート音がメロディー音の時は”1”、7thの音がメロディー音の時は”7”というわけだ。
(I、II、III、のような和音記号とは異なる)
つまり例えば、初めの2拍で、メロディーが”ド-ミ-”と動いているときに、
コードCが使われているとすると、表示される数字は”1-3-”である。
”2”と”4”は(コードCの時のレとファ)コードの呼び方に合わせて”9”、”11”と表記した。
Sukiyaki_code2

通常の歌謡曲レベルなら、よくあるコード進行を覚えてしまえば、
メロディーにコードをつけることはさほど難しくないだろう。
(インターネットでその歌のコードを検索すれば原曲のコードは容易にわかる)
またコード理論などを勉強すれば、コード進行のいろいろなパターンを知ることができ、
それを当てはめていくことでコードを決定できるだろう。
ただ、私の経験で、メロディーを弾きながら機械的にコードを探せないか、
どのような手順で探したらよいか、ということはあまりはっきり書いてないように感じていた。
もちろん慣れていけば、メロディーを弾けば自然とコードはつけられるものでもあるのだろうが、
例えば、少々凝ったコード進行を持つ曲や、
原曲と異なるコードを使ってみたい場合や、
ある部分の経過的コードに変化をつけたい時などは
上に示したような見方も役立つように感じられる。

上記の図から言えることは、メロディーにコードをつける場合、
1.まずメロディーのいくつ分に一つのコードを割り振るかを決める
  (上の例では4拍子の2拍分に1コード)
2.そのメロディー音のどれかが、コードの1(ルート)または3または5番目の音になるようなコードを弾いてみる(メジャーコード、マイナーコード両方)
  (メロディー音をルートに持つコードと、その代理コードを試す)
  (1と3,5では感じが変わることを体感しておけば、どんな時に1か、
   どんなときに3,5かがある程度わかるかもしれない)
  (試した
メジャーコードまたはマイナーコードが、その調の音階に無いコードになる場合は、セカンダリードミナント、サブドミナントマイナーとなる可能性がある)
3.経過的な部分(どこかに移行していく過程のような部分)では
  上記1,3,5を持つコードの6th、7th、M7th、susコードを、
  またはそのメロディー音を6thまたは7thに持つコードを試す

もちろん、セカンダリードミナント(A7→Dm7、B7→Em7、C7→FM7、E7→Am7)、
サブドミナントマイナー(F→Fm→C)、susコード、
などの進行パターンを知っておくと、効率的だろう。
単独でなく、前後のコードの組み合わせで雰囲気や心地よさが変わるから大変面白い。
私の場合、後はこれらにどこで9thの音を加えるかとか、dimコード、少々の不協和音を試していくわけだが、
この範囲にほぼ答えがあるとわかれば、
あとは実際に音を出して試してみて、自分の感性(好み)で決めていけると思う。

この歌がいろいろなコードをつけられるといったが、
例えば4小節目で見ると、一音目が5であるパターンと、2音目が5になるパターンとがある。
また3音目が1,3となるパターンと、4音目が1になるパターンがある。
2音に1コードをつける場合、その2音のうちどちらに1,3,5をつけるかで
コードが変わる。
それがどちらも成り立ちうるということは、
この歌は、その2音のうちどちらかを省略して、どちらかを2音分伸ばしたとしても
音楽として心地よく成り立つようにできているということなのだろう。
そして、これは四七抜き長音階で音が上下に動くメロディーを作ると、
そうなりやすいものなのかもしれない。
4と7が初めからなければ、音が上下に動いても、その2音の関係が3度または5度になる可能性が高く、
代理コードが当てはまりやすいということなのではないだろうか。

コードが同じでも、そのコードを構成する音から何を減らすか、
あるいはどの音域にその構成音を配置するかによっても、
響きの感じが大きく変わる。
そこら辺は、編曲をかじってみると、プロのうまい編曲や名ピアノ曲などを聴くと
さすがにうまくできていると感じられることがある。
市販の、歌謡曲やポピュラー音楽をピアノ独奏に編曲した楽譜集などは、
このような観点では
案外、時にはコード進行すら、満足のいくものが少ないと感じられるが、
(原曲を聴きこんだり、YouTubeでのピアノカバーなどを参考にした方がよっぽどいい)
家族が、学校で使われる合唱のピアノ伴奏を弾いたりしているのを聴いたりしていると、
そこで使われるピアノ伴奏には、コードだけでなくその響き方まできちんと吟味した音になっていることが多いと感心させられることも多い。
今回の編曲の最後の部分のコード変化は、その中から参考にさせてもらったものである。

最後にこの編曲の楽譜を公開しておく。

   上を向いて歩こう_楽譜(ピアノ編曲:真)

2013年6月 7日 (金)

上を向いて歩こう (1)

「上を向いて歩こう」(英語タイトル:SUKIYAKI)
  作詞:永六輔、作曲:中村八大、歌:坂本九
この歌が1963年6月に米音楽雑誌「ビルボード」のヒットチャートで1位を獲得してから、
今年でちょうど50年とのことである。
これを記念して、東京の世田谷文学館では「上を向いて歩こう展」なるものも開かれている。
(2013年6月30日まで)

私がこの曲に惹かれたのには2つのきっかけがある。
一つは、以前このブログでも紹介した Beegie Adair さんがこの歌をピアノカバーしていて、
この曲が非常に魅力的な響きを持っていて、
デリケートな和声と、とても相性が良いということを知ったことである。




原曲の雰囲気とはかなり異なるが、とてもお洒落な響きに惹きつけられる。
ここで気づいたことは、この曲は、いろいろなコードパターンが適用できるという意味でも、
とても魅力的な曲だということだ。

もう一つ、心にひっかかっているものがあった。
それは この歌のオリジナル盤 の出だしの木琴の音である。
どことなく寂しく、素朴で、しかしどこか温かみがある。
その響きがいつの頃からかずっと心に残っていた。
作曲者の中村八大さんはピアノの名手で、
ご自身の ピアノ・ソロ曲集 でも この歌のピアノ独奏 を残している。

しかし、坂本九さんが歌うこの歌のオリジナルでは、
ピアノの音は一切出てこない。
ストリングスとベース(コントラバス)、金管、ドラムス(ブラシ音)、
そして前奏と間奏部分に出てくる木琴、により構成される伴奏音は、
もの哀しさを漂わせながらも、歌詞の意味とは裏腹に、
どこか心が浮き立つ、前向きになれる、そんな心地よい雰囲気を醸し出しているように思える。
ピアノの音の素晴らしさを生かすとともに、
原曲の良さを極力素直に編曲に取り入れたい私としては、
Beegie Adairさんとは別の行き方で、
とりわけこの出だし雰囲気を取り入れつつ展開していく編曲を行えないか、
と考えるようになった。

ついでだが、Diana Kingさんが日本公演で この歌を歌った記録 がある。
音楽としても歌としても、とても素晴らしいものだと思うのだが、
私がはじめてこれを聴いたとき、
この歌手の、ソウルフルで、能弁で、草書的ともいえる歌声の間に現れた、
会場の人々による合唱の歌声に、不思議な感慨を覚えた。
素朴で、控えめで、いわば楷書的な合唱が、夢見るような魅力的伴奏に乗って響くと、
それが見事な草書の間に不意に挟まっていたせいなのか、
それともその合唱の響きに、明るく、喜びに近いニュアンスが含まれていたせいなのか、
実に感動的な気分になり、
楷書もいいもんだと、つくづく感じ入ってしまった。
上手く崩すことができないという技術的問題は棚に上げて、
私の編曲における、旋律線を崩さない、という暗黙の方針も
 (ほかにやりようがないことは本来方針とは言わないが)
まんざらではないのではないかという思いを強くした次第である。

この曲の構成は
  A-A-B-A-A(口笛)-B-A
となっている。
おぞましいことに、同じフレーズAが5回も出てくる。
この歌の編曲に半年近く費やした主たる理由がそこにあるが、
結論から言えば、この繰り返し出てくるフレーズAが、
現れるたびに、音楽的に、
  起-承-転-転’(口笛的)-結
とイメージされるように意識した。
これらは聴く人にどのような心象をもたらすだろうか。

この編曲におけるコードの使い方と楽譜化については、
追ってまとめておこうと思っている。


「上を向いて歩こう」(英語タイトル:SUKIYAKI)
  作詞:永六輔、作曲:中村八大、歌:坂本九
  ピアノ編曲:真
  MIDI音源:EASTWEST  Quantum Leap Pianos : Steinway
  絵:開田風童、坂田喜作、中島潔、木村千代、他


2012年12月19日 (水)

クリスマスソング 牧人ひつじを

おまけで「牧人ひつじを」をお届けする。
この曲は前回紹介した楽譜に載っていなかったので、自分で編曲してみた。
ついでにこの曲のみピアノ版もお届けする。

オルゴール版全13曲連続再生はこちら →また来年

 

オルゴール版 →また来年

 

ピアノ版 →また来年

2012年12月15日 (土)

クリスマスソング by オルゴール

あるきっかけで見つけたクリスマスソングの楽譜が大変素晴らしく、
いつかご紹介しようと思っていた。

「ミッキーとうたおう クリスマスソングブック」
  出版:ヤマハミュージックメディア

非常にシンプルだが完璧な和声で、実にいい響きを生み出していると思う。
ピアノで弾いても心地よいが、オルゴール音でMIDIを作ってみた。

全部で12曲ある。

クリスマスまでの期間限定でお届けする。


  オルゴールのVSTi音源:Old Music Box

全曲連続再生はこちら  →また来年

第1曲目
↓ →また来年

2012年12月 8日 (土)

Nobuyuki Tsujii Japan Tour 2012

I used to listen to the rendition of Tsujii-san by CDs, DVDs, on TV and internet.
And this time, for the first time, I got a chance to listen at his live concert.
As I wrote in the previous articles on this blog, I’m very interested in Nobuyuki Tsujii, a Japanese pianist.
Therefore, I attended the concert with a great expectation and a slight anxiety to get disappointed.
As was pointed out on an article somewhere, there were many ladies of middle age.
It made me more anxious.

That concern proved unfounded and what’s more, I experienced a wonderful music which is far different from that on CDs or TV.
After this concert, sadly, I felt the sound of CDs as something unsatisfied.
It is beautiful and well-organized, but just like miniature garden and less interactive with audience.
That is how much the absolutely stunning power of his rendition overwhelmed me.


First of all, he had achieved torrential speed.
After the Chopin and Cliburn competition, he had stepped up his rendition power further.
I felt some pieces to be too fast.
But I think it is acceptable for his age.
It will be the next highlights how he settles down in his 40s and 50s.

Visually, his hands worked fast, of course, and his head moved around a lot, as everyone knows.
But the black part of his clothes, that was from his  shoulder to feet and elbows, was very stable.
It moved less but was not rigid.
It seemed relaxed, natural, and capable to handle anything on the keys precisely.
His posture reminded me of a legendary pianist, Lazar Berman, whom I saw at NHK Hall.
The manner of music and a quality of sounds are quite different each other.
But both had a slight stoop and could play stiff pieces effortlessly.
Their postures were visually very similar.


The first half of the program was Debussy and the last was Chopin.
I’m not familiar with the pieces of the first half and too familiar with those of the last.
I was anxious about whether they could be enjoyable.
But by the first piece, he drew me into his music world.
I was afraid that blind pianists tended to play with small volume and less contrast.
But such concern turned out to be groundless.
His vibrant touch generated ringing sounds throughout the hall.

During the first piece, several audiences were coughing gallingly.
But in the next pieces, insidiously, they fall into silence.
All of the audiences seemed to concentrate into his music.

As the program progressed from Arabesque to Bergamasque and Estampes, diverse vibrancy became richer.
I wondered what he did in the last passage of Menuet.
The vibrancy of glissando there was so airy-fairy and wondrous.
His Clair de Lune had mystical vibrancy and was firm, far from saccharine.
Magical touch generated extremely diverse vibrancy in Estampes.

In L'isle joyeuse, a good stiff piece with many trills and crossing arms, he prolonged the first trill and made a breathtaking pause after that.
It had an air of patina and it drew us into the mystical world of this piece.
I knew this piece had some length but he played so exhilaratingly that it ended all too soon.


The first piece of the last half was Chopin waltz No.1.
By this one piece, he proved that he could express the amusingness of Chopin’s music in front of the audience.
He seemed to have self-confidence for that with his cheerful and a little mischievous nature.
In the pieces of Chopin, pianists must have the courage to represent extemporaneity and ever-changing phrasing without hesitation.
In addition, such rendering must move the heart of the audience.
By this piece, which I had been getting bored with and rarely had voluntary to listen to, he succeeded in both points.

I was impressed with scherzo most in the concert.
It was so imposing and had moral tone of virtuoso.
From the start, overwhelming sound and its quality thrilled me.
The fortissimo was so powerful that it might shake the walls of the hall.
Yet, it was well-controlled and listenable.
He played this piece with brisk rhythm, various tone color, rich vibrancy, exquisite pause and elegant nuances.
Above all, sounds were vividly sparkling.
I could understand the reason why audiences crowded to his concerts.
Those sounds cannot fit inside CDs.
I got to hope to come to his concert again.

Frankly speaking, it is a great challenge to play Polonaise Fantaisie in 20s.
This is one of my best pieces written by Chopin.
What image did he have when he was playing this piece which was full of caprice, somber and textured?
I hope he will continue this challenge over 40s and 50s.

Heroic Polonaise divides my opinion whether I like the pianist or no.
This piece reveals the manner of rhythm of the pianist.
I came to like his Heroic Polonaise since I listened to his debut CD.
The sound of the octaves in the middle part was admirable.
And furthermore, I especially impressed by the next soft part.
I was sometimes disappointed by the technically remarkable pianists who could not play such gradual part attractively.
I can say for sure that the pianists who are loved and can keep popularity for a long time are ones who can play such gradual, somber, songlike part fascinatingly which exists in almost all the pieces.
The pianist who cannot develop musical charm in such part would be lost interest and disappear.
Tsujii-san played this part with penetrating sound and admirable nuance.
I was persuaded that this pianist was beyond a temporary or fashionable star.


In an encore, he played Chopin’s 'Tristesse' and ‘Revolutionary’ etude, and of his own composition, theme from “Still we live” and Flowers Bloom.
'Tristesse' etude was one of the reasons I came to like him, too.
His 'Tristesse' today is not a heartbreaking farewell but a parting with hope and another chance.
Even so, I like his manner of singing, that is, sharp rhythm, firm phrasing and some instances that bring tears to my eyes.

Last of all, I would like to refer to the theme from “Still we live”.
I know there exists a certain argument about his own compositions.
I myself don't listen to his own pieces frequently.
I took it only as a lovely piece which represents his warm thoughts in his own way.
He composed this piece thinking of the Great East Japan Earthquake, and the hall was just where he was when the earthquake occurred.
So it might be all because he let this piece have it all.
The piece which I have listened to several times by CD and TV sounded significantly different to my heart.
In objective terms, the melancholy melody by right hand deeply spread all over the hall and subtle, faint background-like accompaniment by left hand was in perfect harmony with the melody.

I felt the the real strength of the piano as a musical instrument, too.

I thought this was a kind of music which we could not listen to by CDs.
Unlike the sound of CD, which was not taken by ear of the player but by microphone, the sound I met there was what came into existence by interaction with the sound reflected to the pianist and a sense of existence of audience.
I used to have an impression that the piece was a kind of soft, soothing music.
But the melody rendered by him had a power of driving through my heart uncannily and swayed me emotionally.
It has stringency enough to extend his mind directly.
He has an exceptional ability to demonstrate extraordinarily magical power especially when he is in front of an audience.

Mass media sometimes touts him as a “blind” pianist.
And some critics indicate his blindness as a psychological advantage to an audience.
What I was convinced after this concert was that it is a trifle to think “he is wonderful in spite of blindness” or “I emotionally have a good feeling toward his childhood and growing up”.
If ever he has an advantage to be blind, it is that he has been given many times more stringency to convey something by music, to communicate with audience by sound, to send something invisible to someone’s heart than any other pianist because of his blindness.
I realized we can totally enjoy this characteristic especially in his live concert.

«辻井伸行 日本ツアー2012 鑑賞記

2016年1月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

最近のトラックバック

ウェブページ

無料ブログはココログ